197 濃縮された一瞬






(・・・頭がぐらぐらするな)


会議室での商談は続いている。老商人と商談をする少女主君たちの後ろ、護衛役のアセレアは帯剣し立っている。


午前中の日差しが細糸編の緞子越しに窓から差込み、綾目の模様のような影を落としている。季節は夏を過ぎ、暑い日差しなのにときおり冷たい風が吹くような、夏を忘れさせ、秋の訪れを感じさせれる気候だ。


アセレアは護衛として、主君を危険にさらさぬように、常に周囲に気を配り、また近づくものが危険な動きをしないかを見張っている。


護衛の常として、細心に目を配りつつ涼しい顔をしているけれど、実は今日の彼女の体調は最悪だった。


理由は単純で、昨日飲みすぎたためである。部下でもある情報官のセシルが『実は自分はさる組織の間諜だ。しかしリンゲンに鞍替えしたい』と申し出てきた驚きで、自分では知らぬ間についつい飲みすぎたーーと彼女自身は思っている。


とはいえ、自らも周囲からも酒豪をもって任じられている彼女だ。


昨晩飲みすぎたからといって、ここまで体調が悪いのはどうにもおかしい。


ーー世界がぐらんぐらんと揺れているようだ。


と、彼女は思う。


そのなかで足を踏ん張り、平静を保つその精神力は、さすがと言わねばならないかもしれない。


(セシルの持ってきたあの宿酔ふつかよいの薬。まったく効かんではないかーーむしろ・・・)


「おい、シーウェン、設計図をお見せしてくれ」


彼女が胸中で愚痴るあいだに、老商人が、隣の比較的に若い男ーー補佐役であろう商人に向けて指示の声を出す。


指示を受けた櫛目のついた黒髪の補佐役らしき男は、足元にあった鞄から、筒に入った設計図の巻物を取り出した。


その動きに、長細い影が、部屋を横切るように動く。


ほど長い巻物、人の指先から肘までほどの長さの、書類にしては長大なものだ。巻物には木軸が入っており、また端を押さえるためのおもしが入っているので、それなりの重量感がある。


けれど、その巻物の設計図が、普通のものよりもより重くあることに、普段の状態のアセレアなら気づけたかも知れない。


館に出入りする全ての者は、館の入り口で持ち物に武器など危険なものがないか確認される規則になっている。その確認を通って来ているからには、この場にいる商人が、危険な武器を持っている可能性はほぼない。


そのはずだが。護衛としてのアセレアは、立ち位置を変えた。主君の背後ーーというより革張椅子の後ろから、横に出る。櫛目の補佐役の男が、万が一の動きをしたときのために、取り押さえられる位置。これは護衛の規則通りの動きだ。


しかし一歩動くたびに、アセレアの頭のなかは鐘を叩かれているかのようにガンガン響き、そのたびに世界が揺れて、彼女の喉元まで嘔吐感がこみ上げる。


その体の不調をどうにか抑えながら、アセレアが所定の位置についたころには、補佐役の男は説明を始めていた。


「ご説明いたします。この生産設備は、高床式のかまどのようになっておりーー」


すらすらと口上を述べながら、するすると設計図が白大理石の膝高の机の上に広げられている。


その様子を目端に収めながら、嘔吐感に耐えるために、彼女が鼻から大きく息を吸い込んだ、そのときだった。


ほどかれた巻物、その最後に、刺突型の小剣が現れたのは。


アセレアは、とっさに一歩踏み込むように動く。不調のせいで世界がぐらりと揺れて彼女の体は傾ぐ。しかし、踏ん張って。無理やりに体を動かす。


このようなとき、咄嗟の判断と、動きがすべてだと、彼女は頭でも体でも理解している。


時間の流れが濃縮されるその一瞬。彼女は、自分の動きが遅く足りないことを悟る。男の動きを止めることができない。


もはや主君と男のあいだに体を張って飛び込むしかないーーとしたアセレアの判断は、一流のものだ。


だがしかし、櫛目の男の動きは、いまのアセレアの一瞬の見立てより、さらに早い。


ーーこいつ、相当な手練てだれだ!


切り取られた数瞬のなかで、アセレアはそれだけを認識する。


頭をよぎる最悪の結果は無視して、彼女はただひたすらに疾さを求めて動く。





□■□





一般的に、だけど。ーー魔法師は、自分の肉体を使った肉弾戦に弱い。


理由はいろいろある。魔法には一撃必殺の威力があるから接近戦にまで至らないとか、厳しい修行を乗り越えて肉体の限界を超えなくても、魔法を使えば生物としての人間の限界は容易く乗り越えられるとか。


けれど、一番の理由は、『物理と魔法、両方を極めた存在は、この世の中で求められていない』ことに尽きる。


人間というものは、個人の力で手に負えない問題があれば、衆が集まって対処する。進化を推しすすめれそれは組織になって、役割を分担して、より効率的に、秩序だって、問題は解決されるようになる。


ひらたく言えば、一人で解決できない問題は、みんなで得意なものを持ち寄って、解決するのだ。


どこを見ても、古きをたずねても、人はそうやって生きてきた。


強大な敵と戦う軍では、前衛と後衛という概念が出来た。前衛が敵の侵攻を食い止め、安全が確保された状態の後衛が、飛び道具で敵を攻撃する。当然、魔法師は後衛兵種のひとつだ。


前衛によって安全が確保されるなら、後衛ーー魔法師が肉弾戦に強い必要はない。強いに越したことはないかもしれないけれど、それは基本的に騎士のような前衛の仕事なのだ。求められる役割が違うということ。


『組織化』と『役割分担』。人間の社会的な知恵が、魔法と物理を極めた個人が存在しなくても、社会がまわるようにしているのだ。


そういうわけで、わたし、魔法師のリュミフォンセも、多くの例に漏れず、肉弾戦はからっきしだ。


運動量を増やしたり、防御力をあげたりするには、肉体強化などの何かしらの魔法を使うか、あるいは魂力エテルナを全身に行き渡らせて身体能力を上げたり、魂力の出力をあげることで、体を覆わせて防御力を上げる。


魔法、魂力の操作。いずれにしても一動作が必要なわけで、それをする前の魔法師というのは、じつは普通の街人と変わらない。


だから、魔法による防御行動を取る前に、不意をつかれて刃を心臓に突き立てられてしまえば、魔法師はそれで死んでしまうわけで。


だから、魔法師は、不意討ちを得意とする、暗器を扱う暗殺者のような兵種と、ひどく相性が悪い。





糊の商談を行っていた会議室。


設計図の巻物の端から、突然現れた刃物が、男の手に掴まれ。


疾風はやての速さで、わたしの心臓へと向かっている。


窓から柔らかく差し込む晩夏の光。揺らぐ影。


突然すぎて予想もできなかったし、相手の動きも疾すぎる。


実際のところ、わたしは、何が起こったかもわからないまま、死んでいただろう。


ーーあの子が止めてくれなかったら。






ドガァンッ!


白大理石の天板が砕ける、破壊の音。


気づけば、わたしに向けて小剣を突き出した男が、床に倒れている。


「なっ・・・なんじゃあ〜〜!! これは!!! シーウェン、お前・・・!」


「動くな!」


狼狽し叫ぶフェーン翁。その翁に、アセレアがぴたりと腰から抜き放った剣を突きつける。


「動くな、ご老人。動けば斬る」


言いながら、倒れているシーウェンという男の背を踏み、アセレアは場を秒も待たずに制圧した。


足元を見れば、男の小剣を突き出した右腕が、黒い獣の足で砕かれていた。


その獣の足は、馴染みのあるものだ。


(やれやれ・・・)


ぼやきながら、わたしの足元の影から、ぬるりと巨大な黒狼が現れた。獣の足の持ち主。


「バウ・・・」


そこまで来て、わたしはようやく何が起こったのかを把握することができた。


巻物に忍ばせていた小剣をつかみ、わたしに向けて突き出してきたシーウェン。その動きは、わたしがわからないくらいに早いものだったけれど。


それを上回る速さで、わたしの影のなかに潜んでいたバウが、小剣を握るシーウェンの右腕を上から叩き潰したのだ。その下にあった、白大理石の低机ごと。


だから今のように、砕けた机の残骸の上に、シーウェンが腹ばいに横たわっている。


「大きな音がしましたけれど、何事ですかぁっ?? ・・・!!」


ばんと会議室の扉を開けて、外からは入ってきたのは、情報官のセシルだ。商談に入る前に会った。まだ近くの部屋に居たらしい。


「セシルか。ちょうどいい。衛兵を呼んで来い。そしてこいつをふんじばって、地下牢に転がしておけ」


フェーン翁に剣を突きつけながら、アセレアがセシルに指示を出す。


こいつ、というのは、彼女が顎を使って示したけれど、踏みつけて押さえつけているシーウェンのことだ。


わかりましたと身を翻し、駆けていくセシル。


アセレアはなにかに耐えるように一瞬歯を食いしばり、けれど鋭い眼光を保ったまま、そしてフェーン翁に向けて口を開いた。


「さてご老人。聞かせてもらうぞ。なぜこのようなことをしたのか」


「ああっ、シーウェン。なぜにこんなことを・・・。行き倒れていたお前を、助けて雇ったのは間違いだったのか・・・? なぜ、なぜだ・・・?」


フェーン翁はただただ目の前の光景が信じられぬと首を振り、同じことばを繰り返す。受け答えは噛み合いそうにない。


事情を詳しく聞くには、翁が落ち着く時間が必要な様子だった。


けれど、そこで。


もう少しで自分が死ぬところだったという恐怖が、今更ながらに実感されてきて・・・わたしは限界を超えた。


「リュミフォンセ様っ?!」


目の前が真っ白になり。わたしは、ふっと意識を失った。


あとで聞いたところによりと、崩れ落ちるところを、隣にいたチェセの腕に支えられたらしい。







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