196 早業






衣料に使う糊を専門に扱うフェーン商会は、小商会といっても差し支えない。その商会の起こりも現会長のフェーン氏が、少年期より糊が好きで好きでたまらないため、最終的に糊を扱う商売を興した、あるいは起こさざるを得なかった、という変わり種の商会である。


他の商会に比べて商品を手広く扱っているわけではないし、売上も販売網も大きくないけれど、フェーン氏の個人的な熱量により調べ上げられた各地の糊の種類と使い方の知識は、他の商会の追随を許さない。


そんなフェーン氏は、外見は小柄なおじいちゃんである。腰はすでに曲がってしまっているけれど、長い毛の眉毛の奥の半分閉じられた瞳は、人の良さそうな光がともっている。


「これはリュミフォンセ様。ご機嫌麗しゅう」


わたしが会議室に入ったとき、フェーン商会はすでに部屋に入っていた。向かい合わせに置かれた2つの3人がけの革張り椅子、その間に白大理石の天板の机。


もう70歳に近いという年齢とは思えない滑らかな動きでフェーン氏は革張り椅子から立ち上がり、わたしに礼を向けてくる。


「こんにちは。フェーン翁。無理をしないで座ったままで結構ですよ」

「なんのなんの。老いぼれてはいますが、座る立つの動きでどうにかなるほどではありませんわい」


かっかっかと笑う翁に微笑を向けつつ、わたしはチェセとともに向かいの革張り椅子に腰を下ろした。翁も同時に腰を下ろす。


そして視線は自然と翁の隣にいる男性に向かう。青年と呼ぶには落ち着き過ぎている、年は30頃だろうか? 同じくフェーン商会の者なのだろうけれど、初めての顔だ。


わたしが疑問を差し挟む前に、フェーン翁は自身の隣に座る男性を紹介してくれた。


「これは新しく商会に入った同好の士でしてな。なかなかに目端が利きいて助かっておりますわい」


同好の士・・・。フェーン翁が好きなものとは糊に決まっている。ということはこの男性も糊好きなのか。言っては悪いから口には出さないけれど、めずらしい人だ・・・。


「シーウェンと申します。今後なにとぞご贔屓に」


櫛の通った黒髪。鋭い目つきだが、礼儀正しく頭を下げる彼に、悪い印象は持たなかった。


初対面の彼に向けて、わたしとチェセがそれぞれ名乗る。


フェーン翁にはたしか子供がない。フェーン商会は商会と名乗っているけれど、ごくごく小さい所帯で、ほぼほぼ翁がひとりで切り回していると聞いている。だからこれまでの商談も、翁ひとりが出向いてきていた。


それが新しい人を連れてきた・・・ということは、少なくとも幹部、商会では重要な立場なのだろう。翁にも気に入られているみたいだし、いずれ商会を継ぐ立場になるのかも。


となれば、下に置く扱いもできないだろう。


そんなことを考えながら、挨拶がわりの雑談を交わしていると、会議室に、遅れて護衛役のアセレアが入ってきて、わたしたちの座る革張り椅子の後ろに影のように立った。


それがきっかけというわけではないけれど、わたしたちは商談に入った。


当然商談の対象は、フェーン商会が扱う糊。むろん、この商会でしか取り扱っていない特殊な糊だ。


精霊布を衣服の下地に使うのはいいけれど、服の表に使う布と下地を貼り付ける必要がある。布と精霊布を縫うときは、普通の針なんてとても通らないので、特殊な針と糸を使う。


道具が特殊だけでは頑丈な素材である精霊布を扱うには足りない。土木工事とも思えるような大規模で特殊な工法が必要になり、布と貼り合わせるだけでも、とても工数と労力がかかる。


そこで、代わりに糊を使って貼り合わせることで、労力を減らせないかという試みをしているのだ。




しかしそこはやはり扱いにくい素材の精霊布。糊をのせても表面で弾いてしまったり、あるいは精霊布の魂力が作用するのか、糊を分解して無効化してしまったりして、なかなかうまくいかない。


そこで、わたしたちのリンゲンの精霊布事業企画班は、精霊布に通用する糊を探し求めた。


大商会を含めていくつもの糊を持ってきてもらったのだが、一番有望そうな糊を持ってきてくれたのがフェーン商会だった。この商会との付き合いは、そこから続いている。


「ご存知のことと思いますが、こちらは前回お渡しした、南部の隠れ里で作られている糊です。非常に珍しい糊でーー製法は残念ながら秘伝ですな。植物性だということ以外はわかりません。けれど、この糊もごく微弱ながら魂力を帯びているので、特殊な植物を使っていると思うのですが」


商品見本の入った瓶を白大理石の小卓の上に置きながら、フェーン翁が説明する。


前回の確認では、この糊だけが精霊布の裏地の試作で比較的良好な結果を残したと報告書にあった。けれど、まだ実用に至るものでもない。


「今回お持ちしたのは、隠れ里の糊に、にかわ性の糊を混ぜ合わせてさらに粘着性を上げたものです」


さらに置かれる小瓶。窓からの光で白天板の上に影ができる。


わたしは頷く。担当者級の事前の確認では、フェーン翁の言う通りに粘着性があがっていたとの報告だ。


ーーけれど、その報告書には、精霊布の魂力がまだ接着剤を弾いてしまうため、密着がまだら状になってしまって安定が足りず、見た目が悪い。よって引き続き検討が必要、という結論で締めくくられていたと記憶している。


しかし。


「その糊を使って、こちらで試作した裏地があります・・・シーウェン」


フェーン翁が、隣の新入り幹部候補の男性に指示をする。指示を受けた男性は、櫛目の入った自身の黒髪を一度なでつけ、傍らの大きな鞄から、一片の布地を取り出し、小卓の上においた。


その布地を見て、わたしは目を瞠る。隣のチェセも同様だ。


表地と裏地の接着がまだら状であれば、生地同士が歪んで、見た目がとても悪くなってしまう。それでは商品として成立しないーーと考えていたのだけれど、どうだろう。


眼の前の布地は、二枚貼り合わせていながら、皺のない綺麗な表面を維持しているではないか。


「・・・ッ!! これは・・・?!」


つぶやくようにわたしが聞くと、フェーン翁は我が意を得たりと、長毛眉の奥の目を光らせた。


「ひと目でおわかりになりますか! さすがはリュミフォンセ様だ! この老体に自ら鞭打って働く甲斐があるというもの! ーーこれは、糊の塗り方に工夫があるのですわ


布地をぴんと張る工夫なら、もちろん事業企画班もしている。けれど、それでは成功品はできなかった。なにが違うのだろう。


わたしは、チェセとともに思わず身を乗り出す。フェーン翁は、ぴんと一本指を立てる。


「ーー鍵は、精霊布が帯びる魂力の傾向にありましてな」


翁が語ったところによると、こうだ。糊を弾くのは精霊布自体ではなく、帯びている魂力の浄化作用によるものだという。魂力はゆらぎ流れて一定ではないので、普通に糊を塗るとまだらになるというのだ。


だから、糊を塗るときに魂力の方向を操ってやればいい。それをどうやったのか?


「精霊布は、負荷をかけると、負荷をかけたところを補強するように、魂力が集まる性質があります」


ーーたしかに。そういう性質があるから、強力な攻撃、地を割るような斬撃にさえ耐えるのが精霊布だ。


翁は続ける。


「ですから、精霊布の表面おもてめんに負荷をかけ、魂力を集めさせる。そうすると裏面の魂力が薄くなりますから、その隙にこの特殊糊を塗り、表地と貼り合わせるのです」


ほお〜。


チェセとともに、思わず声が出る。そんなやり方があるんだ。


しかし説明を聞いて新しい疑問もまた出てくる。


精霊布の表面に負荷とは、いったいどうやってかけたのだろう。均一に、長時間の負荷をかけ続ける必要があると思うけれど、それは結構難しいのではないだろうか。


一級魔法師が魔法を当て続ければできるのだろうけれど、それだと経済性が合わず、結局、精霊布の製品はできないということになりはしないだろうか。


そんな疑問を問いかけると、それも想定内だというように、フェーン翁はうなづいた。


「それを解決するために、新たな生産設備も設計しましてなーーおい、シーウェン、設計図をお見せしてくれーー、この生産設備は未完でしてな。ついては、はは、恥ずかしながら、その費用についても今回ご相談させていただきたいと考えておるのですよ」


翁が長毛眉を指先でかきながら言う。


むろん、金額次第だけれど、それでこの問題が解決するなら、投資をすることに問題はない。


わたしはチェセとアイコンタクトをとり、そして頷く。説明の先を促した。


このとき、その先に起こることなんて、まったく想像もできなかった。


櫛目のシーウェンが、足元の鞄から長い筒を取り出し、中から木軸の巻物を取り出した。あれがその生産設備の設計図なのだろう。


「それでは、ご説明いたします。この生産設備は、高床式の竈のようになっておりーー」


するすると。


彼の言葉に合わせて、巻物の設計図が、


白大理石の小卓のうえに、ほどかれて広げられる。


そしてその図面が広げられきったところで。


わたしの一の腕ほどの長さの小剣が、巻物の最後に現れる。


早業。


櫛目の黒髪の男は、


まるで疾風のようにその小剣を掴み取ると、


一息に突き出す


ーーわたしの心臓めがけて!








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