182 粟立つ腕を擦ってなだめ、そして顔をまっすぐにあげる






「花嫁方の、勝ちで御座います!」


颯爽と、赤い旗を、地面と垂直に立てられた丸太の上で振るシノン。


電光石火の幕切れに、何が起こったのか起こったのかわからず、乱闘を続けていた戦士たちもーーやがて『旗取り』の勝負が終わったことを悟る。


誰かがあげた勝利の声。青軍の戦士が次々にそれに和して声をあげ。勝どきが鯨波のように轟く。

小柄な少女が大男を軽々と空に放り投げ、そして立てられた丸太を駆けあがり、旗を取った。


眼の前の信じがたい光景に、呆然と思考を奪われていた宴席の観客たちも。


勝負の帰趨をようやく理解し、わっと称賛の声をあげる。


ぱちぱちぱちぱち。


わたしも手を打って、シノンの功績を称える。


宴席の観客方は、ざわざわと話をしている。


「いやあなんだ? まだ賭けが締まってもいないのに、勝負が決まっちまったぞ? すごすぎる」

「戦士たちのあの顔。まるでレナードに鼻先つままれたって顔してるぜ」

「旗を獲ったのはまだ子供じゃないか。戦士団じゃない、いったいどこの誰だ?」

「・・・なんだって、他領の飛び入り?」

「護衛か。誰の・・・いやどなたの?」


それにしても、シノンのあの宣言・・・。方ではなくて、婿方が正しいんだけど・・・。


あれは間違えたんじゃなくて、わざとかしらね。


きっと、シノンなりの、花嫁へのはなむけなんだわ。


主役の席を見れば、淑やかなはずの銀髪の花嫁が、羽織っていた薄青の精霊布のショールを頭上で振り回して、旗取りの勝利をたたえている。


そして花嫁ーーサフィリアは、わたしの視線にも気づき、満面の笑顔でまたショールを振る。精霊布の淡い光が、ちらちらと虚空に舞っていて、まるで小さな花びらを振りまいているようだ。


わたしは拍手を続けながら、片目を瞑って合図し、サフィリアに応えた。


言葉はなくとも、伝わるはずだ。


「いやあ、驚きました。まさか、シノンがあんなことができるようになっているとは」


わたしの隣で『旗取り』を観戦していたオーギュ様も、同じように手を打ち鳴らしながら話しかけてきた。


わたしは微笑で受け止める。


「2年前のあの戦いでは、あんなことはできませんでしたよね。なにかしらの精霊の加護を受けているとか? ・・・それか、貴女が、また何かをされたのですか?」


わたしがまた何かしたかって、微妙に失礼じゃない? と一瞬思ったけれど、いろいろとオーギュ様に心労をかけることをやっている自覚は一応はあるので、にこにこと表情だけで間を置いて、そして言う。


「いいえ。わたしはもちろん何もしていませんし、特別な精霊の加護を受けているわけでもありません。彼女ーーシノンは、もともと魂力の保有量がとても大きかったのです。その持てる才能を、彼女自身がこの2年間で開花させたのです。彼女の本来のちからによるものです」


見事なものです、とわたしが話を締めると、そうですか、とオーギュ様が頷いた。


そのとき、いきなり、ばんばんとわたしは強く両肩を叩かれた。


びっくりして、見れば、ハインリッヒ辺境伯だ。


「一代公! おみそれしました! まさか、あのような子供が、あれほどの豪傑だとは! このハインリッヒ、役儀柄、戦士を見る目には長けておるつもりですが、あの子供がこれほどとは、まったく見破れませなんだ! いやぁ、我がまなこの曇りを、恥じ入るばかり!」


お酒が入っているので、辺境伯もテンションが高めだ。喋っているあいだも肩を叩かれ続けるのだが、武の人なので、ちょっと、冗談にならないくらい痛いんだけど・・・。肩の骨が砕けちゃう!


どうしようか、と指先に魂力を少し流しながら体重移動したとき。


しかし、そこで、オーギュ様が割って入ってくれた。


オーギュ様にたしなめられて、辺境伯はそこでご自分がしていたことに気づいてくれたようだわ。わたしの骨が砕けなくて良かったよ・・・。


辺境伯は、すまぬすまぬと謝ってくれた。悪気はないんだろうけれど、ちからが強いから、ちょっとこの人に近寄るのは危険だわ・・・。


『辺境伯への接近危険』と頭に残して、とりあえずこの場は、笑って許すことにする。


あとは、殊勲賞であるシノンのことについてあれこれ聞かれたので、わたしはそれとなく距離を離しながら、彼女の来歴について、差し支えない範囲で、質問に答えた。


そのあいだに、『旗取り』は両軍が分かれて整列し、戦いの後の戦舞に移っていた。


勝者を讃え、そして戦いのなか加護を与えてくれた、自然の精霊たちと天上の戦士霊たちに感謝を伝える、勇壮で荘厳な舞である。


宴席も観客たちの多くも、杯を傾けつつ、戦士たちのその舞に魅入っている。


そのような宴席上に、ひっそりと人影が走るのが目の端に入る。


ーーどなたかへの急使かしら。


けれど、同じような人影が、ぽつぽつと増え始める。辺境伯も侍従に何事かを耳打ちされ、席を外した。


一緒に観戦していたと思っていたオーギュ様のご学友たちは、いつの間にか居なくなっていた。


「リュミフォンセ。すまないが少し外すよ。またあとで」


オーギュ様にも、また急使らしい。離れていく彼、そして不自然にさざなみだつ会場。


なにごとかしらと思っていると、彼が離れていくのとと入れ違いで、わたしのところにも、やってきた人がいる。侍女頭のチェセだ。


もはや一人だけその場に残されていたかたちになっていたわたしの耳元に、チェセは手で翳した口を寄せ、そっとささやく。



「ーー急報です。さきほど王都で、王が、王太子指名の儀を行うことを発表しました。時期は、来年。新年の儀で同時に執り行うとの由」



わたしは、ひゅっと息を飲む。


今までずっと先延ばしにされてきた、王太子指名の儀。


周囲の貴族が要請しても王は頑として受け付けず、内定を出すことすらもしてこなかった。


そこに、急遽期限が設けられた。来年の新年の儀。


夏、秋、冬とみっつの季節が巡れば、王太子が決まる。


セブール第一王子と、オーギュ第二王子。


フェル第三王子は臣籍降下が濃厚だと言われているので、第一王子か第二王子のどちらかが王太子になる。そして王太子は、法的な王の後継者、次の王であることを意味する。


あと季節が3つ巡るまでに、オーギュ様の運命が決まる。そして、婚約者であるわたしの将来も、同様に・・・。


いままで余裕があると思っていた時間、それが急になくなった。


胃の腑に固い塊が落としこまれたようで。緊張に、わたしは知らず自分の胃のあたりを手で押さえる。


周囲のわたしを見る目が、急に変質した。そう感じられた。


ざわりとした、肌触りの悪い空気。


皆、あらためて推し量っているのだ・・・。


オーギュ様と、そしてわたしを。


彼ら彼女らの、貴族としての人生を、賭ける価値があるかどうかを。


遠巻きに突き刺さる視線。


魔王との戦いとはまったく異質の、貴族の戦場。


その貴族の戦いが、最終局面へ向けて、またひとつ段階を進めたのだ。


ぞくり。


皮膚の粟立ち、北部の寒さによるものではない。


粟立つ腕を、わたしはそっと擦ってなだめ。


そして、混沌としたものたちを受け止めるため、顔をまっすぐにあげる。






■□■







アブズブール辺境伯の長子の結婚式の会場から少し離れた、山ひだの影になる峡谷の地、

小さな森のなか。


ふたつの影。


そのうちの片方の影が、もうひとつに音もなく、気配もなく、ただ近づく。


「襲撃計画は中止。撤収だ」

「どうした。なにがあった。ここまで来て」


動いていないほうの影が、遠眼鏡の筒を覗き込みながら応える。遠視の魔法では、見られていると気づくものもいる。なので、遠くの相手の様子を隠密に探るには、遠眼鏡のほうが適している。


「雇い主からの指示だ」

「だろうな。警備が手薄なところを狙うって言う話だったが、北の氷壁戦士団が居るなんて聞いてねェし」

「余興に戦士団を引っ張り出してくるとは、さすがに予測できなかったのだそうだ」

「余興じゃなくても、お歴々が集まるんだ。厳重な警備ぐらい敷くだろ」


甘ぇよなァ、読みがよォ。しょせんは密室惚けしたお貴族様か。


その影は舌舐めずりする。長い舌。


指示を伝えに来た影は、遠眼鏡の影のぼやきには言及しない。


「前金は返さなくていいそうだ」

「たりめーだろ。そのための前金だ。人数集めて、わざわざ出張ってんだ」


山陰の小さな森はひっそりと静まり返ってはいるが、見る者が見れば、そこに多数の人鳥と、武器が伏せられていることに気がついただろう。


だが、存在を感じさせない、熟達の業。達人の集まり。


「『対精霊の最新兵器』があったって、『大狼』が居なくても、人の戦士は倒さなきゃならん。あいつらをヤるのは、骨が折れる」

「泣き言か?」

「ちっ」


伝達役の影の言葉に、もうひとつの影は遠眼鏡を外し、わかりやすく舌打ちをする。


「単に面倒くせェ仕事だっつーことを話してんだよ」


伝達役の影は、たしなめるような調子の声音。


「水精霊だけじゃない。氷壁の戦士団だけじゃない。護衛たちもいる。それに標的も軍経験がある。軍経験がなくとも、モンスターとの戦闘経験が豊富な奴もいる。魔王と戦ったっていう辺境伯子や第二王子、それに、噂では、深森の淑女ドラフォレットもそうらしいぞ」


「あんな与太話」吐き捨てて、遠眼鏡の影。「精霊は新兵器がある。軍人は不意をつけばいい。魔王との戦いといったって、怪しいもんだ。実際は、勇者に守られて、後方で震えてたんだろうさ」


伝達役の影は、否定もせず、肩を軽くすくめるような仕草。遠眼鏡の影は、声音に皮肉を強めて続ける。


「いや、戦場に一緒にいたかもわからんな。金を積めば、人は良いように証言してくれる。それが勇者サマだって例外じゃねぇ。嘘をつかなそうな『いかにも善人』ってヤツを、買収するのがコツだ」


同じ気持ちなのだろうか。あるいは、強気の言葉が引き出せたことが良かったか。とにかく、伝達役の影は、満足そうに言う。


「その意気だ。その大言を最後まで続けてくれ」

「ちっ。てめぇのその唆すやり方は気に食わねぇ。嫌な野郎だ」


遠眼鏡の影は、舌打ちのあと、押し黙った。口戦に勝利した伝達役の影は、残った指示を伝えきる。


「なんにしろ、金がもらえる以上は、それに見合った仕事はする。・・・『機を狙え』が雇い主の指示だからな」







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