第十二章 政闘渦中
183 並び立つ王子
■ ざっくりとした登場人物紹介
<主人公まわり>
リュミフォンセ
・・・主人公。王子の嫁になるまであと1年。
チェセ
・・・侍女のトップ兼侍臣。あと富商フジャス家の娘。おはようからおやすみまでの身の回りの世話、政務商務の実務まで守備範囲が広い。
アセレア
・・・護衛の人。不遇のリンゲン行き人事から、護衛の対象が一代公になったので自分も出世できて喜んでいる人。実力はある。
シノン
・・・護衛の人になった。婚礼で活躍。
クローディア
・・・見た目が中性的な女性である精霊。シノンと一緒。
バウ
・・・狼。
お祖父様
・・・西部のロンファーレンス家当主。現公爵。さいきん名前はフランツだと判明した。
ラディア
・・・フランツの娘で、次の公爵位の継承が決まっている。伯母様。
ルーナリィ
・・・主人公の母。だいたい行方不明。
<もうすぐ王太子指名の儀>
オーギュ
・・・第二王子。リュミフォンセを婚約者とすることで西部公爵・北辺境伯の支援を獲得。王太子選の有力候補に躍り出た。
セブール
・・・第一王子。王太子選では、東部公爵・南部公爵・中央貴族の支援がある。
東部公爵・・・伝統的に西部と仲が悪い。保守派。
南部公爵・・・いまのところ出番なし。保守派。
フェル・・・第三王子。ひっそりと王太子選から降りている。
<北の婚礼で出てきたひとたち>
ハインリッヒ・・・辺境伯。ヴィクトの父親。武辺の人。
ディアヌ・・・第一王子の嫁、東部公爵家の令嬢、才色兼備。あと紅瞳。
マイゼン・・・オーギュ殿下のご学友①。猫っ毛で文官っぽい。よく喋る。
クジカ・・・オーギュ殿下のご学友②。新兵みたいな雰囲気。あんまり喋らない。
ポーリーヌ・・・オーギュ殿下のご学友③。婚礼には招かれたが来なかった。ディアヌの妹。
ヴィクト・・・新婚の辺境伯子。わりと幸せそう。置かれた場所で咲くタイプ。
サフィリア・・・嫁になった水精霊。
キャロライン・・・ヴィクトの妹。末っ子ポジション。ヴィクトのほかに兄がひとり、姉がひとりの4人兄弟。
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本日は良い取引ができました。大変光栄です。
一代公様とは、これからも末永くよしみを結んで参りたいと願っております。なにとぞよしなに・・・。
客人たちの背が見えなくなるまで見送って、わたしはふうと息を吐く。
「おつかれさまでございました」
「うー・・・さすがに早朝から商談6本連続は疲れるわね」
隣に立つ侍女頭兼秘書のチェセのねぎらいに応えて、あたりにひとけがないのを確認して、わたしは首と肩をぐるんと回す。こきこきと音がする感じがする。
ここはリンゲン。新築した迎賓館のなかだ。
北部ベルンでのサフィリアの婚礼式を終え、わたしはリンゲンーーいまは森に浮かぶ都なんて呼ばれているーーに帰り、普段の政務に戻っていた。
婚礼式では、貴族要人が集まるなか、リンゲンの新特産品である『精霊布』の商品紹介をしたのは、ディアヌ様に向けてだけではない。
ディアヌ様とは特産品の情報をタネにした政談だったけれど、それとは別に、チェセの指揮のもと、フジャス商会の人材を使って、『精霊布』純粋な商品紹介、つまりは販売促進を行っていたのだ。
伝説級の布の量産版、高品質で高級。商品の特性上、『精霊布』の顧客は、やはり上級貴族や大商人などの富豪がターゲットになる。量産を軌道に乗せて価格を下げたりすることでまた一般人への販売もあるだろうけれど、いまはまだ先の話だ。
幸いなことに『精霊布』の売り出し前の評判は上々で、多くの引き合いをいただいている。
貴族が顧客の場合は、爵位持ちが購入先だったりする。さすがに商談の交渉はしないけれど、大きな商談であれば、最後の段階で双方の責任者が顔合わせと合意内容に齟齬がないか最終確認の面会をする。
その大物相手の最後の面会を受け持つのは、自然とわたしになる。
難しい交渉はすでに終わった段階での面会だし、面会の場にはチェセがついていてくれるので、難しいことはないのだが、大物相手なので失礼がないように、またわたし自身一代公の名を貶めない品格でーーと。とにかく気疲れをするのである。
「次は、なんだったかしら?」
チェセは手元の手帳を開いて答えてくれる。
「次の面会予約まで少し時間がございますので、少し休憩にいたしましょう。『浮きだつ小路亭』の
やった! わたしは心のなかで快哉を叫ぶ。
浮きだつ小路亭とは、王都で有名な焼き菓子店の名前である。リンゲンにも支店が出来たのだ。
新鮮な果物と上品な甘さのクリームを添えたガレットは、わたしの大好物だ。
「
「はい。マシマシマシのやつでございます。リュミフォンセ様のお部屋に、すでにお茶も準備しておりますので」
しかもチェセは、当然のようにわたしの好みをわかってくれている。他にも大量に仕事を抱えているのに、この気配り。ホント有能である。
迎賓館にも、わたし専用の執務室兼休憩室を備え付けてある。わたしとチェセは、並び立って、落ち着いた臙脂色の薄縁が敷かれた館の廊下を歩きながら、あれこれ話して。
でも頭の中は浮きだつ小路亭の蕎麦焼菓子の想像でいっぱいだ。
口に含めば広がる程よい甘み。口のなかから広がる幸せ。疲れもふっとぶ、まさに口福。
浮足立ちながら、わたしの執務室は階段をあがる。
変な話、婚礼式から戻ってずっと働き通しだったのだ。こういう小さなご褒美がないと、とてもやってられない。
■□■
あの婚礼のあと、サフィリアたちから手紙も来た。一枚の紙に、サフィリアのごしゃごしゃした文字と、ヴィクト様の几帳面そうな文字が並んでいた。
『旗取り』はとても痛快で楽しかったと感謝の言葉とともに書かれていたけれど、それよりも二人の仲良さげな様子が透けて見える手紙だった。
夫婦仲だけじゃなく、彼女は結構うまく北部に馴染めているみたいだった。北部は精霊が大事にされる土地柄、さらに辺境伯子の奥方ということで、決して下には置かぬ扱いらしい。
けれど、サフィリアは祭り上げられてじっとしている性格じゃない。気さくにアブズブール家の面々に接して、さらに他の貴族や戦士たち、平民にも声をかけ、それがまた皆に喜ばれているらしいことが、文面から察せられた。
わりと世渡りにたくましい彼女のことだ。とくべつ心配していなかったけれど、それでも、連絡をもらって安心した。
むしろ、心配されるべきなのは、わたしとオーギュ様の立場かも知れない。
北の婚礼式の終わり際。ーー王太子指名の儀が行われることが急報されて、場が浮足だった。
けれど、オーギュ様のその後の対応は、結構なものだった。
その急報があったことを皆に隠すことなく、その場で演説をぶったのだ。国の復興と発展がまず大事だと訴え、この先どのような立場になれども、思いは変わらないことを訴えた。
短いものだったけれど、直接的に支援を求めなかったのは宴の参加者の好感を得たようで、現西部公爵であるお祖父様や北部辺境伯を始め、友人であるヴィクト様、参加者の面々の賛同を、その場で得ることができた。澱んだ空気は、振り払うことができたと思う。
けれど、そこにはディアヌ様を始めとした第一王子派に遠慮してか、オーギュ様を直接的に支持する強い声にまでは至らず、盛り上がりに欠けた。マイゼン氏とクジカ氏だったか、オーギュ様のご学友の方々ももっと声をあげてくれたら良かったのに・・・などと思ってしまうわたしである。
わたしはリンゲンに居るので感じないけれど、第一王子のほうが、貴族内での支持が優勢だという情報も、実はある。
どうして、第一王子のセブール殿下がこうまで王太子になると目されているのか。
それは、こんな話だ。
今の王がまだ10代の若者だった頃まで話は遡る。
王城でのある夜会が催された。貴族の若者たちが集まる類の夜会。
当時王太子だった王は、その夜会に参加し。そこで、さる美しい令嬢に心を奪われた。
夜会の出し物は、貴族たちの遊びの小演劇。その主役を務めていた令嬢だった。
しょせんは余興、お遊びの素人演劇に過ぎないけれど。その女優令嬢は、他の令嬢たちと比べて、特別華美な装いというではないのに、立ち居振る舞いからして艶やかなその存在は、人の目を引きつける魅力を持っていた。塵界に降り立った夜蝶のように。
だが、彼女は貴族の位では一番下である男爵家の娘。とても王と結ばれる身分ではなかった。
しかし、当時王太子だった王と同じように、女優令嬢もまた王太子に恋をした。
ならぬ恋こそ、当事者たちを盛り上げる。一晩の火遊びは、密やかな睦ごととして続いた。
身分違いでありながら、遊びが遊びで終わらぬことを危惧した王と周囲は、ひとつのはかりごとを用いた。
それは単純なもので、王太子に相応しい王族の妻を娶らせ、さらに女優令嬢は別の貴族に嫁がせるというものだった。
そして、そのはかりごとは成った。
お互いが違う相手と結婚をし、一見、関係を諦めたようなふたりであったが、城の隠し通路を使って、密会は続いていた。
そうして、令嬢はひとりの子供を身ごもった。生まれた子は男児。そして、幼いながら王太子の面影があった。
王族の妻も、また子を生んだ。やはり男児だった。
やがて先代の王がみまかり、王太子は王になった。彼は、かつての令嬢を妻に迎えることを画策したが、当然ながら正妻を始めとした周囲の反対が強く、話はまとまらなかった。
だが、そのかわりに、子供を王子として迎えることにした。王は貴族にとっても民にとってもそう悪くない為政者で、そうする力があった。それに、令嬢の夫にとっては、周囲から不義の子と知られている子を、自分の子として育てるのが苦痛だという申し出もあがったからである。
こうして、女優令嬢の子ーーセブール第一王子と、王族正妻の子ーーオーギュ第二王子が並び立つ関係が出来たのだ。
普通に考えれば、正妻の子が王太子として優先されるべきだが、王はおそるべき忍耐強さで、愛する女が生んだ子を王子としたのだ。
となれば、王太子の指名をここまでしてこなかったのは、愛する女が産んだ子を次の王とすべく、王は時期を待っていたからではないかーーという推測が成り立つ。実際に、そう思っている貴族も多い。
その推測が、第一王子の支持を強いものにしている。
さらに、少年時代も、セブール様のほうが、オーギュ様より優秀だと言われていたらしい。年齢差があるので、直接比べられたことはないけれど、セブール様が文武に優れているのは確かなようだ。
性格的にも、華やかな雰囲気で、人の懐に入るのが抜群にうまいセブール様が好かれた。
逆にオーギュ様は、真面目な堅物という評価で、貴族たちからなんとなく敬遠されていた時期があるというのも、頷ける話ではある。
けれど、オーギュ様も立場を挽回をしている。王立学院の制度づくりに貢献し、学院中興の生徒会長として、貴族の子弟たちからの支持を広げた。さらに魔王討伐に直接貢献することで名を高め。そして、ちょっと気恥ずかしい話だけれど、
オーギュ様は年齢を重ねて成長し、人格的にも器量が広がっているとも評判もあり、周囲の評価はあがってきている。
こうなってくると、正しい血筋の王子として、王も自分の感情だけを押し通すことはできないのではないか、と思われる。
まさに伯仲ーーどちらの王子が王太子として、後継者として指名されるのか、予断を許さない微妙な状況がいまなのである。
■□■
むずかしいわね。
内心でため息をついたとき、わたしは、付き随うチェセとともに迎賓館の二階への階段を登りきっていた。
執務室の扉は、階段のすぐ側だ。
「どうぞ」
チェセが扉を開けてくれる。
わたしは中に入ろうとして、部屋の中にある自分の机を見やるとーー。
そこに、豪奢な黒髪、胸元を大きく開いた黒ドレスの美女が居た。
明らかに暇を持て余し、けだるげに窓の外を見遣っている。
わたしは、一瞬で頭が真っ白になる。
なんで、貴女がそこにいるの? ーールーナリィ!
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