178 交渉合意
ーーまったく理由になっていませんね。貴女を少し買いかぶりすぎていたようです。
仲良くしたかった相手にそう言われて、焦らない人はいないと思う。
えーとえーと。わたしは・・・何を言えばいい? いえ、何が言いたいのかしら? 自分でもわからなくなってきたわ。わたしは、何がしたかった・・・?
焦れば焦るほど、思考はわたしの手からするり離れていく。ほどけた束が、宙に流れるように。
沈黙が続く。せっかくのディアヌ様との会談は、失敗に終わってしまう。
ディアヌ様が口を開いた一瞬、おそらく終わりの言葉が語られる前、わたしは思いついた言葉を投げる。
「わたしたちが仲良くすればーー王国が平和になります」
それぞれの夫(わたしの場合は未来の夫)が第一王子と第二王子、いずれも王太子指名のために争う間柄だ。
まだ本格的な争いは始まっていないけれど、始まれば陰に陽に関係者が争い出す。
悪くすればーー内戦が起こる。それはなんとしても避けたい。そんな思いを込めて伝えるけれど、ディアヌ様の回答はにべもない。
「ひとつの椅子を求め合う者同士には、それは欺瞞でしょう。西部お得意の詐略にしては、おそまつですね」
「ええ、たしかに求めるものが同じもの同士では、難しいでしょう」
わたしが認めると、ディアヌ様は、意外そうな反応を見せた。興味を引けたのだ。わたしは続けて言う。
「ですが、我々は? ーーわたしたちは、違うはずです。わたしたちが寄って立つところは、究極のところ、王権ではないからです・・・妥協し合える落とし所があるはずです」
ディアヌ様は、しばらく考えるそぶりを見せる。わたしたちは、それぞれに実家のーー西部と東部の公爵家のーー基盤がある。夫が王座を得られなかったとしても、立場は悪くなるかも知れないけれど、なにもかもを失うわけではない。
思慮深げな紅色の瞳をまたたかせながら、用心深く彼女が口を開く。
「私に、夫と道を異にしろと?」
「言いたいことは、条件が違うことは、強みだということです・・・。では伺いますが、王太子指名戦で、セブール様は必ず勝てるでしょうか?」
「それは挑発? それとも脅し?」
「どちらも違います。純粋な可能性の検証です」
「・・・」
「ちなみに、わたしは自信がありません。オーギュ様が負けることもあり得ると思っています・・・なぜか?」
ディアヌ様の紅い瞳が、いつの間にかわたしをしっかりと捉えていた。直截に問題を語り、さらには自分に不利なことまで語ろうとしている。こいつは何を言い出すのか・・・と思っているだろう。
なんとか彼女の興味が引けたことに小さな安堵を抱きながら、わたしは言葉をつなげる。
「なぜか? それは、王太子指名は、王の御心ひとつで決まるからです」
「・・・」
紅瞳は動かず、反論はない。わたしはさらに続ける。
「貴族社会のなかで、オーギュ様の支援者を増やすことはできます。世論を盛り上げることもできるでしょう。ロンファーレンス家からは、精神的な支援だけでなく、金銭的な支援も可能です。けれど、どうやっても、最終的な王太子指名の決定権を持っているのは現王。これは国法典に書かれていますから、変わりません」
わたしの息継ぎをする音が、強く鼓膜に残る。余裕を装って語っているけれども、緊張で心臓がひきつりそうだ。
「無論、王も、周囲の反対を押し切るように王太子を指名しないはずです。無理を通しても、あとから周りにつぶされるだけだからです。王はそのような愚かなご判断をなさらないでしょう」
微笑みをつくる。説得のなかで表情をつくるのは慣れているはずなのに、顔の筋肉がひどく重く感じる。
「ですが、いくら周囲を固めても、最終的には王お独りのご判断であること。この事実は変わりません。その御心に、多くの人が人生を賭けようとしています。しかしこれは、分が悪いやり方ではないでしょうか」
ここが要所だ。身振りを交えて、わたしは切に訴える。
「セブール様とオーギュ様は、ひとつの椅子ーーそう貴女は表現されましたねーーまさにひとつの椅子を巡って争われるでしょう。それこそお互いを憎み合うほどになるかも知れません。
けれど、争いが終わったあとは? どちらかが勝者となり、どちらかが敗者となる。けれど、そこで終わりではありません。なぜなら、人生は続いていくのですから」
正面に立つ淑女の、紅瞳を見る。吸い込まれそうなほど魅惑的な瞳。気の所為かもしれないけれど、その奥が揺らいでいる気がした。わたしは、最後の言葉を届けるべく、唇を動かす。
「力に訴えることも、争いが拡大することもあり得るでしょう。それこそ、民に害が及ぶことも。そのときに、憎み合う者たちだけでは、落とし所を探るのは難しいはずです。ーーでは、必要なのではないでしょうか? 相手の陣営に親しい相手が居る存在が。それも、それぞれの王子に近しければ、なお良いでしょう」
敵対するもの同士だけでは、交渉はできない。調整役、パイプ役が必要だ。わたしたちの立場は、いろいろな面から見て、それに相応しいと思うのだ。
「・・・ずいぶんと」
つややかな唇から、ようやく引き出せた言葉。
「ずいぶんとーー先を見ていらっしゃるのね」
はらりとうなじに落ちた髪を、赤瞳の淑女は耳にかけ直した。
「譲り合うには、高貴な精神と知性、そしてお互いの信頼が必要です」
わたしはそう口走って、口から出したあとに自分が言ってしまった言葉を検証して、それはまったくそのとおりだと思う。
くすりと、ディアヌ様は笑う。どこか自嘲もあるように聞こえた。
「貴女はそれをお持ちのようですけれどーー私もそれを持っていると?」
「はい。そう思いました。わたし自身のそれは、わかりませんけれど」
「それが、私を選んだ理由かしら?ーー陣営の交渉窓口に」
今後、敵対する第一王子派と折衝するようなことがあれば、ディアヌ様を窓口にさせてもらうこと。望み通りのことだ。
「そのとおりです。貴女しかいないと、ずっと思っていました」
「名高い
合意に至ったーー。わたしはとても喜んで内心ガッツポーズをとったけれども、相手の紅瞳の奥はごく静かだった。
意味するところは、
交渉・・・。これ、とっても難しいわ。
「ついては、先程に提案させていただいた贈り物を、こちらの誠意との証として受け取っていただけますか?」
「婚礼の引き出物ということなら、ありがたく頂戴いたしましょう」
あまり目立つ規模にしないで欲しいということか・・・。
「ーーわかりました。のちほどお届けいたしましょう。これから、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
ある程度の友好を勝ち取ったーーと、そう理解しても良いだろう。及第点といったところかしら。
最後に固い握手を交わすほど、懐に入れたという気はしない。お互いに微笑を交わす程度に留める。
「女性おふたり、仲がよろしいようで。結構ですね」
絶妙な間でかけられた声。
振り向くと、オーギュ様だった。
柔和な笑顔でにこにこと笑っている。白い頬に赤みが差しているのは、おそらく北部の出席者とともにあおった強いお酒のせいだろう。けれど、瞳の動きを見る限り、まだ酩酊には至っていないようだ。
「これはオーギュ殿下。ご機嫌麗しゅう。ご挨拶が遅れて失礼いたしました」
オーギュ様に向けて、淑女の礼をするディアヌ様。
「それほどかしこまらずとも。貴女は私の義姉上でもあるのですから、もっと気さくに接していただいても結構ですよ」
「そこまで甘えるわけには・・・。お心はありがたくいただいておきますわ」
たおやかに微笑む赤瞳の淑女。そしてさらりと話題を付け足す。社交のお手本のようだ。
「いま、貴方の婚約者様から、新たな布のお話を伺っていたところですのよ。こんなに可愛らしくていらっしゃるのに、織物事業にまで造詣が深くて。お纏いのショールがそうですわ。淡く輝いて、なのに軽くなめらかで。素敵ですね」
「おお、これが『精霊布』なのですか! 確かに見たことのない布ですね・・・美しい」
驚きの声をあげて、オーギュ様がわたしの若草色のショールをまじまじと見る。視線が首元にも当たって、なんだかくすぐったい。
「あら、オーギュ殿下も初めてでいらっしゃって?」
ディアヌ様の問いに、わたしが答える。
「手紙ではお伝えしていたのですけれど、実物をお見せするのは初めてですね。忙しくてなかなか時間がとれなくて」
すると彼女は、ふむ、という表情をした。
「あら・・・。ひょっとして、お二人はあまり直接お会いになっていらっしゃらないの?」
「お互いに政務が忙しくて、なかなか都合が合わないのですよ」
「まあ」オーギュ様の補足に、紅瞳を見開くディアヌ様。「それではお邪魔をしてはいけませんね。端役の私はこれで舞台からはけるとしましょう」
ご遠慮なさらないでくださいと引き止めるオーギュ様の言葉を、ディアヌ様は固辞して、その場から立ち去ろうとする。けれど去り際、ぼそりとオーギュ様に向けて呟いた。
「立派な婚約者様ですね・・・。たしかに、『そばに居る可愛い子』というだけでは、貴方には不足なのかも知れませんね」
ん? どういうこと?
わたしがいぶかる間に、ディアヌ様はその場から離れていってしまう。そしてその場には、オーギュ様とわたしが取り残される。
今の言葉は・・・。
尋ねようとすると、ぐるんとオーギュ様がわたしのほうを向いた。綺麗な顔だけれどむすっとした表情で、まるで拗ねているようだ。
「冷たいではありませんか、リュミフォンセ様。ほんとうに久しぶりにお会いしているのに、婚約者と話すよりも、優先する用事があるのですか?」
ほんとに拗ねてた。
えー・・・。なにそれ。
いえ、妬いてるってことかしら? めんどくさっ。
・・・なんて言っちゃいけないわよね、やっぱり。
公平な目でみれば、オーギュ様のほうに理がありそうだし。
そういうわけで。それから、しばらくふたりでお話をした。
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