177 農商問答






「精霊布の原料となる魔綿は、育成のときから魂力を当てることで生まれます。なので、通常の綿花畑に細かく砕いた魂結晶を肥料のように与えるのです。この魂結晶の配分にコツがありまして・・・」


わたしは、リンゲンの新しい特産である精霊布について、ディアヌ様に説明を重ねる。


どのように魔綿を育てるか。それは通常の綿花とどうちがうか。洗浄、紡糸、染め、縫製の段階で、どのような困難があって、どう技術的に回避しているかーー。


「なぜ、それほど詳しく語ってくれるのですか?」


ディアヌ様が、頬と顎に指を添えて質問する。


「精霊布は、リンゲンの新たな事業です。成功させるためには、事業のことを知っていただくのは当然ではないですか」


わたしは語る。


東部が持っているだろう敵愾心を弱めるには、相手が知りたいはずの情報をオープンにする。そうすることが、陣営同士の友好につながると思ったのだけれど・・・。


「・・・リュミフォンセ様。貴女は、美しい御手をしていらっしゃいますね」


「はっ?」


ディアヌ様から出てきたのは、まったく予想と違う反応だった。


彼女は続ける。


「農作業をすると、手が痛みます。重いものを運べば、手が節くれ立ってくる。私の領民は、そうして手を、体を動かして、私をーーポタジュネット公爵家を、支えてくれます。私どもも領主として、その献身的な働きに応えて、彼らに保護を与えています。王国一と言われるほどの、手厚いものを」


王国の東部は、豊かな穀倉地帯で、農業が盛んだ。明るい太陽、滋味豊かな大地。品質の高い小麦や野菜、果実を産出し、お酒などの加工品も一級品だ。東部の産物は一流品として全王国じゅうに流通している。そして、豊潤な土地に住む民には手厚い保護が当てられている。


そういう場所には、人材も集まる。画家や彫刻家、歌人などの芸術家、学者や研究者のような知識人。そして思想家と呼ばれる人種も多い土地柄だ。


「商は詐術ーーこの国ではよく口にのぼる言葉ですが、リュミフォンセ様はご存知ですか?」


わたしは頷く。この王国では、農業がすべての産業の基本だとされている。だから、農業をする者が一番偉い。わたしは家庭教師からそう習った。でも、西部ではそれを言うひとはほとんどいない。それほど農業が盛んな土地柄ではないからだろう。


「農こそ国のもとい。なぜなら、新たな価値は、大地の恵みとして、土地からしか生まれない。金銀は人から人へ巡るだけで新しく価値を生むものではない。地から掘り出す場合、金銀は掘り出してしまえば終わりです。

それにたいして、農、つまり大地の恵みを育み享受することは、尽きることのない営みです。冬に枯れても、春には芽吹く。夏に育ち、秋に採り、そしてまた冬を耐える。永遠に続く恵みです。農は、季節の巡りそのものであり、人の営みとも等しくあるのです。故に尊い。いえ、尊ばねばならぬのです」


「・・・」


「金銀を扱うものーー商人は、大地の生んだものを、右から左へ渡しているだけです。不要なものを、詭弁を弄して売りつけようとする。なのに、利を得ている。それは詐術ーーかたりです。寒さを凌ぐなら、綿織物が、毛織物がすでにあるーー。

これまでにない余計な贅沢品を作り、売る。貴女は、それを私に説明してどうしようというのです? まさか、私にそれを為せと?」


「ち・・・違います」


話が思わぬ方向に行き、わたしは慌てる。


精霊布も、もとは魔綿と呼ばれる植物から生まれる。同じく大地から生まれた品で、それを役に立つように糸、織物、服にまで仕立てあげるのは、職人であり人である。農作物との差異はそれが口に入るか入らないかの違いで、だから価値を生んでいないということは無いはずだ。そういうことを説明する。


「そして、商売は詐術ではありません。あるものが在るところから、不足する地へ、商品を運ぶのは騙りでしょうか? そうではありません。商売は世の中に必要なものなのです」


「なるほど。けれど、民が汗を流して育て作ったものを運ぶだけにしては、過剰な利益を取っているのでは? 善良な働き手が、商人に全財産をむしりとられて、我が子を売らなければならない実情があることをご存知ですか?」


「残念ながらそういうことも存じております。もちろんそうしたことをなく、すべくわたしたち貴族は努力をしなければいけません。それは一例であって、すべてではないと思っています。

商人も民のうちです。彼らも食べていかなければならない。商品を持って移動するにもお腹は減る。宿も必要です。大荷物を運ぶのであれば、鱗馬ケル車を準備しなければいけないでしょう。そうなれば、世話をする者、餌がいる。その費用は? もし途中で山賊に襲われたら、すべて失う。その危険性も考えて、彼らは必要な利益を取っているのです」


わたしは必死に反論する。こういう議論には慣れていない。いないけれど、なんとか返せるのは、事業を立ち上げるにあたって、ともに働き指導を受けたレオンに、かなり鍛えられたということだろう。


充分に反論ができたつもりだった。けれど、ディアヌ様がわたしを見る紅色の瞳。独特の煌めきに彩られて美しいそれに、うさんくさいものを見ているという色が宿る。否定だった。


こんなことは初めてだった。考えてみれば、わたしの周りは、元商人か、少なくとも商人の理論がわかる人ばかりだ。話をするには相手の利益のことを考えなけれいけなかった。


逆に言えば、利益の正当性をを考えていれば良かったけれど、それを真っ向から否定されるとは思っていなかった。いや、利益の種類が違うというべきだろうか。


わたしはこれまで、少なからず商売に関わる者たちに囲まれて育ってきた。知らず知らずのうちに、商人的な考え方に染まってしまったということか。


貴族の世界、いや、西部の外の世界は違うのだ。ことに東部は、農業を神聖視している。そうやってずっと豊かさを保ってきたしてきた歴史がそうさせるのだ。


わたしの世界とはまた別の世界が存在することを、すっかり忘れていた。


2年前の王城の夜会でも、西部とは違う、中央の常識と規則に出会って驚いたのではなかったか。


けれど、いまわたしが持っている考え方が、間違っているとは思わない。


なるべく平静に、相手に届くように、わたしは西部の事情を説明する。


「西部は東部ほど豊かではありません。豊穣な土地も限られます。ですので、違う生き方があるのです。水が高き山からいでて平野に流れるように、豊かな土地からそうでない土地へ、商人を流通させてやらねば生きられないのです」


「なるほど。商人や冒険者が多い土地柄には、そういう事情があるのですね」


ディアヌ様は、わたしが語ったことは先刻承知なのだろうけれど、話を聞いてくれる様子を見せた。


「ですが、リュミフォンセ様ご自身が、商人の真似事などする必要などは無いのでは?」


わたしは、一瞬息につまる。東部公爵家に精霊布を買ってもらいたいと思っていたのは本当だからだ。それが両家の友好につながると思ったからだけど・・・。


ただの売り込みだと思われては、話が先に進まない。わたしの目的はこの話の先にあるのだ。


「それでは、差し上げるのではいかがでしょうか」


ディアヌ様に、この精霊布を。


わたしは提案する。


「なぜ?」ディアヌ様は紅瞳を瞬く。「突然ですね」


「2年前のあのとき、お城のことをいろいろ教えていただいた、そのお礼だと思っていただければ」


「・・・それで、貸し借りを無しにしたいと?」


「いえ、違います。正直に申し上げて」わたしは瞳にちからを籠めて、彼女を見る。「わたしは貴女と、仲良くなりたいのです。そのための贈り物です」


「ふふ」


正直にお話したつもりだったけれど、第一王子の夫人は、わたしの提案を笑って一蹴する。


「可愛いお顔で、やはり詐術に長けていらっしゃるわ。さすが西部の方、と言ってもいいのかしら・・・。たいした理由もなく物を贈られては、警戒したくなりますわ」


ディアヌ様の、ガードが固い。


いえ、わたしの話の持って行き方もうまくなかったわ。


「理由はあります。もし、この精霊布を気に入っていただいて、精霊布で仕立てた服をまとって夜会に出ていただければ、きっと評判になるでしょう。淡く光り輝く晴れ着ですから。

それこそ、新しい流行になるかも知れません。流行になれば、貴女は新たな発信者として、影響力を持つことになる。わたしにとっては、精霊布が売れる。お互いに理由があると思います」


きちんとお互いの利益を説明したつもりだったけれど、返ってきたのは冷たい一言だった。


「本当に商人のような・・・、なぜ、貴女とそんなことをしなければいけないのかしら?」


「わたしは・・・、貴女と仲良くなりたいのです」


「だからなぜ? 伺いたいのはその点なのですが」


「そうですね・・・」


わたしは、平静を装っているつもりだけれど、どうしたらこの人に響く言葉が言えるのか、説得できるのかがわからない。だんだん焦ってきた。思考がまとまらない。だめだ。いい言葉が思いつかない。


「仲良くなれる気がしたから、でしょうか」


苦し紛れの一言は、まったく逆効果に働いた。


「はぁ・・・」ディアヌ様は、わかりやすくため息をつく。「まったく理由になっていませんね。貴女を少し買いかぶりすぎていたようです」


ううっ。話がまったく進まない! 問答でペースが狂ったせいだわ。なんとか挽回しないと・・・。







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