172 北の婚礼







分厚い石壁の狭い窓にはめられた、分厚い木を黒鉄で補った頑丈で重たい鎧戸。


こいつを思い切り吹き飛ばすように開けるのが、小さなころからの彼女の習慣だった。


ぐんぐんと身長は伸びてるものの、まだあどけなさを顔に残す彼女は、ぱきぱきと指を鳴らし、十分に気合を溜めてから。両手で鎧戸を押し開く。


「てやっ!」


ばん!


「やったッ、晴れだッ!」


東の空は曙光を残し、屋根に雪を残す町並みを照らしている。この北都の人々は働き者ばかりで、黒い影がいくつも街路を歩いているのが見える。


彼女は身を乗り出して、遠くまで雲が無いことを確認すると、今度は彼女は身をひっこめて、狭い部屋を飛び出して石の階段の駆け下りていく。館のなかで一番高い、物見の尖塔。


晴れだぁーっ、とその彼女はよばわりながら館を駆ける。


「うるさいぞキャロ! 朝っぱらから! アブズブールの淑女らしく、とは言わんが、少しは周りの迷惑ぐらい考えろ!」


彼女の小兄が投げたクッションを廊下でもってひらりとかわし、彼女は続ける。


「だってさ、小兄ちいにいィ! 今日は、トクベツ! 大兄おおにいぃの結婚式なんだよ!」


くるりくるりとキャロと呼ばれた少女は踵を軸にして、舞うように体を回転させる。


「ご機嫌かよ」


小兄ィと呼ばれた目つきの悪い青年が、ちっと舌を鳴らす。が、妹のキャロのほうは、小兄の態度の悪さはいつものことなのか、気にした様子も無い。


「ご機嫌だよ! ああ、信じられる? 大精霊様が、私のお義姉さまになるんだよ! すごく綺麗な人なんだって! そんな人と一緒になるんだから、大兄ィはほんとすごいよね!」


「けど、キャロは行儀が悪いから、大精霊様のお怒りを買うんじゃないか? それが心配だな」


むっ、とキャロは可愛らしく口を尖らせる。


「お義姉さまの前では、そんなことしないもん!」


「俺の前ではするのかよ」


寝てるところを起こされたのか、まだ寝癖のついた髪で、小兄はふあとあくびをする。


「小兄の前では・・・いまさらでしょ。それより、早く朝の支度してきなよ。今日は忙しいんだよ! 偉い人が、お客様でたくさん来るんでしょ? 王子様とか!」


「ああ・・・。昨日のうちからな。親父や家宰さんは、応接でばたばた。メシを食う時間もまともになくて、大変そうだ」


「小兄は? そういう仕事ないの?」


妹の無邪気な問いに、小兄は不機嫌そうに睨みつける。


「俺の担当は今日からなんだよ。お前もそうだろうが」


睨まれてもまったくひるんだ様子を見せず、キャロは、そういえば、と言葉をつないだ。


「あの、西部公爵家の、リュミフォンセっていうお嬢様も来るんでしょ? 大兄ィをフッたひと」


「花嫁の義姉でもあるからなぁ。式には招くだろ、当然。ところでキャロお前。さっきのを本人たちの前で、絶対に言うんじゃないぞ」


小兄はもともと怖い顔を、自分なりにさらに怖くする。だが、彼の努力は、爛漫な妹に通じたことはない。


「いやー、ワタシ的には、大兄ィ世界一カッコいいんだけどなー。でもさすがの大兄ィも、美貌の王子様には勝てなかったねー」うんうんと独り頷く妹姫。「でもそのおかげで、大精霊様をつかまえることができたんだから、感謝! だね!」


「当時は、その大精霊様は、リュミフォンセ様の侍女だったんだって言うんだからな・・・。しかし、大精霊様を侍女にするなんて、何度聞いても信じられんのだが」


兄妹が属する北部の辺境伯家は、公然の秘密だが代々が精霊使いだ。当然兄妹も精霊との交霊を訓練しているが、普通はそう簡単にできるものではないのだ。


「私なんて、いまでも下級精霊にも舐められっぱなしなのにさ。リュミフォンセのお嬢様と話せる機会があれば、交霊のコツを聞いてみようかな・・・。大宴会バンケットのときなら、話せるかもしれないし」





■□■





ごぉーん、ごぉーん・・・。


わたしは、昨日から北都ベルンを訪れ、結婚式に列席していた。


むろん、わたしリュミフォンセのそれではない。かつては主従契約を結んだ精霊ーーいまは養子縁組によってわたしの義理の妹でもある、サフィリアの結婚式だ。


お相手は北部の雄たる辺境伯家の長子、ヴィクト=アブズブール。


荘厳な鐘の音が降るように鳴り響く。蒼、赤、黄色、白・・・とりどりの祝福の花びらがまかれ、ベルンの薄青の空に舞っている。


北部に降り注ぐ太陽の光は、気のせいかも知れないけれど、どこか控えめで白く、落ち着いた質を宿している。


王国4家たる公爵家と辺境伯家の結婚というだけあって、この結婚式には王家も含め高位の貴族が招かれ、参列している。


(なんだか、緊張してしまいます)

(貴女が緊張しても仕方ないだろ)

(サフィリアさん、すごく綺麗・・・)

(新郎も凛々しくてすごく素敵。ああいいうのも、良きですわあ・・・)


晴れた屋外に小さな祭壇が準備され、そこに木製の椅子がずらりと列になって並ぶ。わたしたちは、椅子に座り、祭壇の場に立つ、初々しい新郎新婦が儀式を進めるのを見守っている。


わたしは、お祖父様と伯母様とともに前列に座っているので、儀式の最中におしゃべりなどできはしないけれど、後ろに控える侍女や護衛たちが囁き合う声は聞こえてくる。ずいぶんと盛り上がっているようでなによりだ。


『この結婚式は、西部と北部の同盟結成式でもある』とは、ラディア伯母様の言だ。


ロンファーレンス家の養女になったサフィリアと、アブズブール家の継嗣であるヴィクト様との結婚は、西部と北部との紐帯を強める意味を持つ、重大な儀式でもあるのだ。


そしてロンファーレンス家の令嬢であるわたしが、王家の第二王子であるオーギュ様と婚約をしている。ということは、今後、西部ー北部ー中央第二王子派でひとつの政治勢力が出現することになる。


現王と結びつきが強いのは南部。中央第一王子と結びつきが強いのが東部。これまではこの単純な勢力図だった。中央の政治からは、西部と北部は一歩引いていたのだ。その構図を崩す、一連の婚姻による西部ー北部ー中央第二王子派の結びつきは、強力な新興勢力の出現、と言い換えてもいいかも知れない。


この勢力図の変更は、いまだ指名が為されぬ王太子争いーー第一王子と第二王子の継承権争いにもつながってくるだろう。


その絵図を描いたのは、いまわたしの隣に座る、ラディア伯母様だ。彼女はいま、壇上に立つ純白の新郎新婦を優しい目で見遣っている。想い合う若者たちを応援したい・・・ということでサフィリアの結婚を強く後援した伯母様であるけれど、思惑はそれほど単純なものではないはずだ。


伯母様の言葉に嘘は無いけれど、それとは別に、自分の思惑をいくつか重ね合わせて、自分の描いた絵図に近づけようとしているのはわかる。一手々々が、一部から卓越した政治家だと評される理由だと思う。


次代のロンファーレンス家公爵である伯母様だけれど、爵位と家長の地位の継承は、延期されていて、まだ行われていない。聞くところによると、延期は伯母様の意向だということなので、適切な時宜を計っているのだろうと思う。このあたり、伯母様の政治的感覚はわたしが及ぶところではない。


このような政治的な話とは別に、精霊という存在に対する価値観ーー文化的な差異の話もある。


北部や西部では、精霊は、人間よりも一段高い偉大な存在として敬われている。けれど、東部や南部では、人よりも一段低く扱われている。貿易や商業の盛んな南部では、精霊は売買できる準人間と認識され、東部では牛馬とまではいかないまでも、高価な家畜のような認識のされ方をしている。なお中央では、それらの認識を持つ人が入り混じっており、まだら模様だ。


こうした地域ごとに精霊への認識の差異があるということは、最近になってわかったものだ。この王国には民俗学のような学問分野がない。地域の価値観は存在するものの、それがまとめられて分類されるなどしない。オーギュ様が政治集団グーペを作って続けている、精霊の地位向上活動を通してわかったことだ。


話を戻すと、東部や南部の人間からすれば、精霊と結婚するなどとは異常な事態で、しかもそれをするのが高貴な家柄の重要な人間であるというのだから、今回の結婚は、とんでもないことだ、という認識になる。


しかし西部や北部ではそういう理解の仕方はしない。ことに北部では、精霊は神聖なものであり、上位の大精霊と縁付くとなれば、只人が半神になるかのような、神韻を帯びた理解のされ方になる。


どう見ても相容れないふたつの考え方。普通に進めれば、大紛糾は間違いなかった。けれど、このあたりは伯母様が素早く先手を打つことで、早期に解決してしまっている。すなわち、大精霊たるサフィリアのロンファーレンス家への養女と輿入れについて、問題が表面化する前に、王の承認を取ってしまったのだ。王のお墨付きがすでにあるということで、南部も東部はーー内心はどうあれーー表立った批判はしてきていない。


この大精霊と辺境伯家の継嗣との結婚は、民衆に精霊の尊さをわかりやすく知らしめ、精霊の地位向上の取り組みと価値観を、大きく前進させることになるだろう。精霊の地位向上活動にも寄与する。オーギュ様の活動は進み、北部や西部の価値観が力を得ることになる。


最近では、文化的な価値観の違いが、政治的な立ち位置に直結させる動きもある。


誰が呼び出したのかは知らないけれど、最近では、精霊の立場を向上させる意志を持つ、第二王子派と北部、そしてわたしたち西部を含めたグループを『進歩派』と呼ぶようになり、枢機卿や第一王子派のような保守派や、東部と言った精霊の地位向上を認めないグループを『旧俗派』と呼ぶようになっている。南部は政治的な争いから距離を置こうと中立を目指しているけれど、立場から言えば、旧俗派のなかの穏健派にあたると聞いている。



『進歩派』

第二王子派。

西部ロンファーレンス家。

北部アブズブール家。


『旧俗派』

枢機卿・第一王子派。

東部ポタジュネット家。

その他の保守派。

南部(中立)。



『進歩派』と『旧俗派』の争いは、まだいまのところ、表だっては来ていない。


直接的な利害関係が、いまのところ発生してはいないからだ。


けれど、西部と北部は勢力を強めているし、王太子指名争いをきっかけに、中央政界で勢力を振るうことになる・・・かも知れない。事実、東部と南部は、そのように捉えており、警戒を強めている。




政治的勢力と文化差異による主張が絡まり。さまざまな思惑が入り乱れるなか。



(いよいよですわよ)

(うわっうわっ、顔の薄布ボヮルがあがった)

(顎に指を添えられるのは良いな。それ、よし、いけっ!)

(ああ、本当に綺麗な花嫁御寮ーー)



天使と世界にあまねく精霊の名の下において、永遠の愛を誓い合いーー。


そして、壇上の幸福な花婿と花嫁は、そっと唇を合わせ。


ほぼ同時に、冷やかしの声と祝福の万雷の拍手が、会場に響いた。










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