141 零れ出る秘密①
勇者は空中歩法で空を駆け、サフィリアは『水渡り』を使って、いまこの場を離れた。
向かう先は枯れ谷の中庭。そこが魔王との戦場になるだろう。
そしてこの場に残っているのは、わたしとバウと、月詠さまとルゥと呼ばれている星影の女。この場もある意味、わたしにとっては戦場と言えるだろう。
勇者たちの離脱を許してくれたものの、大鎌は相変わらずわたしの首筋に突きつけられたままなのだから。
「さて。どこで天つ神の情報を得たか、教えてもらおうか」
低い声で、星影の女が囁いてくる。
さて、どう答えようか。考える前に、白外套の月詠さまが割り込んできた。
「待つんだルゥ。この
「・・・貴方の言いたいことはわかる。けれど、そんな偶然、あるかしら? 貴方の言うリュミフォンセだったら、深窓の令嬢のはずよ。こんなところで出くわすのはおかしい」
「そうだけど・・・貴族らしいじゃないか。それに・・・よく似ている」
ん? どういうこと?
星影と月詠さまは言い争い。月詠さまはわたしを見ながら話をしている。彼の言葉のはしばしに、さっきまでとは質の違う・・・なんというか、距離感が近くなった感じが混じっている。
星影の女は、ため息混じりに言う。
「わかったわ。そっちの確認を先にしましょうか。ーーあなた。貴族であれば、家名は?」
後半はわたしに向けての言葉だとわかったので、隠すことでもない、わたしは素直に答える。
「ロンファーレンス公爵家。わたしは、リュミフォンセ=ラ=ロンファーレンス=リンゲンよ」
「ほら、やはりそうだ! ーー運命というものは、あるものだよ!」
月詠さまが嬉しそうな声をあげる。名前を言ったらこんなに喜ばれることってなにかしら? うーん、わたしのファンだったり?
「リンゲン・・・とはなんだ。ロンファーレンス家の者なら、ロンファにいるのではないのか」
星影の女はまだ用心深く質問を重ねてくる。けれどその疑問はもっともなものだったので、わたしは素直に答える。
「2年前に戦火を避けるために、ロンファからリンゲンに住まいを変えたの。そしてつい先日、リンゲン一代公の爵位を賜って、名前が変わっています」
「・・・・・・そうか。あなたが・・・」
どこか観念したように、星影の女が声を出す。
ゆっくりと、大鎌が首から離れる。いままでまったく離れる気配がなかったそれが。
えっ、だからなんなの? わたしがロンファーレンス家のリュミフォンセだと、なんだというの?
わたしの頭のなかに疑問符が乱舞していたそのとき、がばりと月詠さまにわたしは抱きすくめられた。
たくましい肩が頬にあたり、わたしは目を白黒させる。
えっ、ちょっといきなり。そりゃ月詠さまには淡い恋心的なものを抱いていたこともあるけれど、いまこの流れでわけわかんないし、派手なお触りは禁止の方向でーー!
などと思っていると、至近距離の月詠さまが、口を開く。
「・・・月詠というのは、もちろん仮の名前でね。本当の僕の名前は、リシャルという。そして・・・君の父親だ」
■□■
月詠さまーーリシャルの告白を聞いて、わたしの頭は混乱していた。
わたしの母親は、ロンファーレンス家の令嬢、ルーナリィ。そして8歳のころ確認したステイタスカードではわたしは『魔王の落とし子』ということになっていた。それはつまり、父親は魔王だということで、ずっとそう信じてきたけれど・・・。
自分をわたしの父親だと名乗るリシャルは、わたしから体を放し、けれどわたしの両肩に手を置いている。真正面にある深い海のような、空のような濃紺の瞳に、吸い込まれそうになる錯覚を覚えながら、わたしは強く鼓動するわたし自身の心臓に戸惑っている。
それに、奇妙なこともある。リシャルというのは、先代勇者と同じ名前だ。先代魔王とともに、次元のはざまに消えたはずの英雄・・・。
「リシャルというのは、もしや先代勇者の・・・?」
「うん。隠していたけれど、そのとおりだ。名前ひとつでたどり着くなんて、君は優秀なんだね」
「ーーでは、貴方はわたしのお父様ではないと思います」
「えっ? どうして?」
「だってーー」
わたしはその一言を言うのに、躊躇した。ずっと誰にも言わず、隠し続けてきたことだからだ。けれど、そのときは先々の見通しの計算はまったく抜きで、言葉が出た。リシャルに父親だと言われて、混乱してしまっていたのだと思う。
「だって、わたしの父親は、先代魔王のはずですから」
それはわたしにとって、一生を台無しにするほどの問題発言だったはずだがーー。
リシャルは、きょとんとした顔をしたあと、次に破顔した。
「ははは。それはないよ。それは絶対にないと言い切れる」
完全に予想外のリシャルの反応に、わたしは戸惑ってしまう。
「どーーどうしてです?」
「じゃあ逆に聞くけれど」よほど面白かったのか、リシャルは自分の目尻に浮かんだ笑い涙を指先でぬぐう。「どうして、自分の父親は先代魔王だと思うんだい?」
「そっそれはーー。・・・ステイタスカードが、教えてくれました」
これもわたしが大切に抱えてきた、秘密のひとつだ。
錆びついていた秘密の扉。一回開いてしまうと、秘密はぽろぽろと零れ出てしまう。
秘密は重い。ずっと抱えているのはつらい。だから、いちど話してしまうと、留まることが難しい。
「わたしは、『魔王の落とし子』だーーって」
わたしの心に、空白ができた。大変なことを言ってしまった、と理性が訴えているけれど、心は告白によって軽くなっている。だめなのだけれど、それが奇妙に気持ちがいい。体すら軽くなったような気がしてきた。
「ステイタスカード?」
魔道具には詳しくないのか、リシャルは首をかしげたが、星影の女が補足するように言った。黒い大鎌は、もう消したのか、見当たらない。
「最高品質のステイタスカード・オリジンは、
「そうなのかい?」リシャルが聞く。
「ええーー。お祖父様に渡されて。8歳のときだったわ」
「問題には、ならなかった?」
「もらったステイタスカードは隠したからーー。お祖父様には、偽物を見せたわ」
なるほど、とリシャルは頷いた。
「それでずっと秘密を隠し通してきたんだーー大変だったね」
リシャルのその言葉は、わたしの心の一番深いところに触れてーーわたしは涙が出そうになり、取り出した手布で目頭をさっと押さえる。
意外なところでわたしは自分の出生の秘密をは話すことになったけれど、まだやるべきことが残っている。わたしは令嬢力を使って心を落ち着かせて涙を止めると、一度目を瞬かせた。
「それで、リシャル・・・さま。貴方が、わたしの父親だと主張する理由を教えてください」
むろん、親が魔王であるよりも、勇者であったほうがいい。それなら秘密として隠す必要もない。もし、先代魔王ではなく、先代勇者リシャルが父親であったならーーというのは、わたしに芽生え始めていた期待だった。
「もちろん。でもそれはね、僕よりも彼女の話を聞いたほうが、はっきりとわかると思うな」
そう言って、リシャルはわたしの背後を見る。わたしの後ろにいるのは、星影の女。
わたしはゆっくりと女のほうを見る。豪奢な髪と、戦場に似つかわしくない、仮面舞踏会のときにつけるような蝶の仮面。胸元の開いた真紅と黒レースのドレス。
星影の女は、はぁとため息をつくと、なぜか嫌そうに仮面を外した。
けれど、仮面の下から現れた顔は、どこか見覚えのあるーー血縁を感じる顔貌だった。
綺麗な長い黒髪をばさりと振って、その女性は軽く一礼のしぐさをする。
「改めてごきげんよう。私はぁ・・・まだ許されるならば、ということだけど。私の名は、ルーナリィ=ラ=ロンファーレンス。いまは
そこで彼女は、ためらうように言葉をすこし切った。
「私は・・・先の魔王。貴女の言う先代魔王とは、私のことよ。私が貴女の母親。そして、父親は、さっきから言っているようにそこに居る勇者リシャル。ステイタスカードの表示には、間違いはないわ」
うぇぇっ?
父親じゃなくて、身元がはっきりしているはずのルーナリィが・・・魔王だったの!?
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