第九章 激闘
132 白昼夢
真っ白なだけだったわたしの視界は、次第に輪郭を取り戻している。
とりあえず、わたしは吹き出しそうになったお茶を、ゆっくりと舌で押し返しながら喉の奥に落とす。
ぐるりと視線を回してみれば、巨大虫型モンスターも、推定魔王もいない。生え揃ったきれいな草の上で、皆が車座になって歓談している。皆が口々に言祝ぎを投げかけ、わたしもうわの空で、祝いの言葉を贈る。メアリさんがはにかみ、ルークはしきりに鼻の下をこすり。その上空では、青空を鷹が旋回し続けている・・・。
白昼夢・・・。
そんな言葉がわたしの脳裏に浮かぶ。
いまが夢? それとも、さっきまでの惨劇が夢なのか。
はっ。そうだ。
さっきやられた、サフィリアは? ヴィクト様は?
視線を巡らせてみれば、サフィリアは勇者に負けずに豆菓子を口いっぱいに頬張り、満足げな表情を浮かべている。ヴィクト様も・・・。
わたしは手を伸ばして、ぺた、と隣に座っていたヴィクト様の胴を触る。現実の肉の感触がある。
「りゅ、リュミフォンセさま?」
驚いたようにーー実際に驚いて、ヴィクト様が身じろぎするが、わたしはぺた、ぺたとエテルナの流れを確認しながら触る。
「よかった、ちゃんとひとつの体ですね。みっつになっていませんね」
「な、なんの話です?」
顔を赤くしたり青くしたりして困惑するヴィクト様をすて置いて、視覚と、エテルナの動きに注意して、確認を続ける。シノンもオーギュ様も勇者も、もちろんメアリさんも無事だ。
そしてこれが現実だ。となれば、さっきまでのことは、夢だったのか・・・。
あれだけ現実的な夢はそうそうない。けれど、推定魔王とのあの戦いが、夢であったなら。むしろ夢であってほしい。さわ、と草を揺らす風が走り、わたしの顔を撫でていく。
手に持つお茶の入った陶器からじんわり伝わる熱。陶器を傾ければ喉を通っていく香り。鼻腔を通る爽やかさ。
・・・うん。あれは白昼夢だったに違いない。
そう結論づけると、ほっとした。そして、そこで皆の視線を集めていることに気づいた。白昼夢を見ていたわたしだ、外から見ればよほど変だった可能性がある。はずかしいわー!
さて、どうやってごまかそう。
とりあえず笑っておけばいいかしら。
とりあえず、脈絡はないけど、ぺかりと最高の微笑みを作ってみせたそのときだった。
オーギュ様が身を乗り出して、わたしの左手に視線を注ぎながら、いぶかしげに言った。
「リュミフォンセ様。その・・・」
「なんでしょう。わたし、とても楽しくなってしまいましたわ。ついはしゃいでしまって、ほんのすこし変な振る舞いがあっても許してくださいませ。酔ってしまったのかもしれません」
「いえ、お茶では酔いません。そうではなくて・・・、その左手の甲の、しるしはなんですか? そんなしるし、いままでありましたか?」
「しるし?」
わたしは、左手の甲を見る。騎士団の外套の袖をまくってみると、その下から現れるわたしの手に、二本の飾り棒のしるしが、入れ墨のように刻まれていた。
どくん、と心臓が強く鼓動する。
なんなのかはわからない。わからないけど・・・これはとても、だいじなものである気がする。
指先でこすってみても、にじむこともない。そして、奇妙な感じのするエテルナをほのかに感じる。
ーーいーちゃんが言うんです。『巻き戻すべきは貴女だ』と。『3回の限られた運命』!
ふいにシノンの言葉ーー夢の中の言葉ーーが脳裏に蘇る。
どくん。どくん。
「それは、”2”じゃな」
「え?」
サフィリアの声に、わたしは顔をあげる。
「あるじさまの手の文字。古い文字じゃが、精霊文字の”2”じゃ。ふむ、お洒落じゃの。いつのまに描いていらしたか?」
呑気に言って、サフィリアは魔法で空中に浮かべたお茶の珠をつまんで飲み込むと、豆菓子をまたひとにぎり分、口に入れて噛み砕く。
知らない、そんなの、わたしが知りたい。
ひくりと頬を引きつらせた、そのときだった。
ふいに、シノンがゆらりと上体を揺らし。
崩れるようにして、その場にどさりと倒れた。
■□■
「エテルナの欠乏症のようです・・・。体をあらためましたけれど、外傷は見当たりません。しばらく休めば体調も戻るでしょう」
倒れたシノンの首筋に指を当て、脈をとりながらメアリさんが言う。
場所は箱庭のくさ原のままだが、陰のあるところに移動し、簡易の枕を作ってシノンを休ませている。顔色は悪いものの、呼吸は安定している。眠っているのと変わらない。
「周囲にも、特殊なモンスターの気配はない・・・攻撃されているっていう感じはしないッス」
しゅたっ、と地面に降り立ちながら、勇者ルークが付け加えた。空中歩法の特技か魔法を身に着けているようで、空高く舞い上がって周辺を哨戒してくれたのだ。
「罠感知の魔法にも、反応はないーーと、この
腰に手を当て銀髪に手を入れ、サフィリアがさらに補足する。足元のバウは、仔狼姿で、ふすんと鼻を鳴らした。
「攻撃でもない、罠でもない。となるとーー。どうしてあの子が突然、倒れたのか?」
「単なる体調不良かも知れない。考え過ぎも良くないけれど、闇雲に考えても答えが出るわけでもない。まずは手がかりがいるだろう」
ヴィクト様の疑問に、オーギュ様が答えるかたちで喋り。そして視線は、わたしに流れる。より厳密に言えば、わたしの左手に突然浮かんだ、古代精霊文字の”2”の表記に。
わたしはふるふると首を横に振る。
「すみません。いまは何もわかりません」
さっきみた、白昼夢のことを話すべきかどうか。話すべきはいまのような気がしているけれど、わたしがまずうまく理解できている感じがしない。このまま話をしても、皆を混乱させるだけのように思えた。
結局、皆が意見を出し合って話し合うのに耳を傾けながらも、わたしは口を閉ざして、考えを巡らせる。
白昼夢の終わりでは、バウが瀕死の重傷を負って、ヴィクト様がやられて、サフィリアも斬られた。勇者もメアリさんもおそらくやられていて、最後の攻撃で、シノンとわたしと、そしてきっとオーギュ様も・・・。全員がやられた。
シノンの動きを反芻する。オーギュ様の言う通り、筋道だった思考には手がかりが必要だ。
振り返ってみれば、シノンと鷹のいーちゃんの行動は、すべてがおかしい。わたしに無理やり接触してきたこと、何かと運命を主張すること、この枯れ谷に無理やり連れて来たこと。
あのときの最後には、シノンはわたしをかばうようにして、言ったのだ。
ーーいーちゃんが言うんです。『巻き戻すべきは貴女だ』と。『3回の限られた運命』!
わたしを巻き戻す・・・?
それはつまり、『わたしの運命』を巻き戻す、ということーーなのではないかしら。
言い換えれば、『時間』を巻き戻したということ?
わたしは上空を旋回し続けている鷹のいーちゃんを見上げる。
そしてひとつの仮説にたどり着く。
鷹のいーちゃんは、時間を戻す能力を持つーー『時の精霊』なのではないかしら。
わたしたち全員が推定魔王にやられたあの時点で、いーちゃんは、能力を使って時間を巻き戻した。そして時間の巻き戻しには莫大な
そう考えると、これはーー。
わたしは手の甲に刻まれた、模様のような黒い文字を見る。
巻き戻せる時間の3回のうち、すでに1回巻き戻したから、あと2回巻き戻せる、ということを示しているのではないだろうか。
だから、あと数分ののちにさっきと似たことが起こる。つまり、魔王が、『
前回、勇者は魔王に負けたみたいだ。やはり
いずれにせよ、現状で勝つための作戦を立てなければならない。いいえ、あの強さを考えれば、撤退も考えたほうが良いのかも。
とにかく、魔王が来るまで、そう時間は無いはず。はやく皆に知らせて、話し合いをしなくては。
皆さん、大事な話がありますーー。
そう声をあげようとしたそのとき。
どくん、と手の甲の紋章がうずき。
わたしの意識が暗転する。
「・・・さま? リュミィさま!」
「う・・・あれ、わた・・・し?!」
声をかけられて。わたしの意識が覚醒する。ぼやけた視界には、見慣れた金髪の侍女の顔があった。がばと跳ね起き、あたりを見回す。
そこは意識が暗転する前と同じ景色があった。箱庭のくさ原。
皆が心配そうにわたしを見ていた。シノンは青白い顔で眠ったままだ。
「リュミィさま。お体は大丈夫ですか? 何か違和感はありませんか?」
メアリさんに言われて、わたしは自分の体を確認する。寝起きのようなだるさを少し感じるくらいで、いつもどおりだ。
「ええ、いまは大丈夫みたい・・・。わたしはどうなったのかしら?」
「何かを仰られようとされたように見えました。そうしたら、突然倒れられて・・・肝を冷やしました。突然眠るような感じで。意識を失っていたのは、そう長い時間ではありませんでしけれど・・・」
「そう・・・心配かけてごめんなさい。きっと貧血か何かね・・・」
心配をかけないようにそう言って立ち上がりながら、わたしは心のなかで舌打ちしていた。
依然として左手に浮かぶ、古代精霊文字をにらむ。
メアリさんには貧血だと言ったけれど、いま失神はきっと、いーちゃんの、時の巻き戻りの能力の制限によるものだ。
察するところ、巻き戻すのは『わたしの運命』だけだから、この巻き戻しを他の人に知らせることができないのだろう。知らせようとすると、今みたいに、罰則がある。・・・少しの間だけど、わたし自身が、意識を失ってブラックアウトするということね。
ささいな罰則かも知れないけれど、誰かと相談できないなんて、ずいぶんと意地の悪いルールだわ。
ピューーィ・・・・・・・ ピューーィ・・・・・・・
わたしは、どこか雰囲気が変わった空を、警告のように甲高い鳴き声をあげつつ旋回する、鷹を睨む。
魔王の特技『大凶宴』はすでに発動しているみたい。
たいして間をおかず、ここにモンスターが押し寄せ、激しい戦いが始まる。わかっていたのに、何も準備ができなかった。
短時間意識を失う。小さいペナルティのようだけど、いまこの状況では、致命的な損失になってしまった。
「リュミィ様。ご報告があります」
わたしと同じように立ち上がったメアリさん。黄金色の瞳に、緊迫したものを宿して伝えてくれる。
「ルークによると、魔王がこちらへ急速に近づいてきています。魔王は『大凶宴』という特技をすでに発動したと見られ、いまここはその影響下にあると思われます。そして話し合いの結果、私たち全員で、この場で魔王を迎え撃つことにしました」
そう・・・。今回は、すべて”織り込み済み”で、全面対決するってことね。
ピューーィ・・・・・・・ ピューーィ・・・・・・・
空を旋回する鷹の甲高い警告が、不吉に鳴り響いている。
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