107 王城夜会 冷たい鞘当て①





日が暮れて、王都が薄闇に包まれる。


王都の家々にあたたかな光がこぼれ、食事処や居酒屋に、仕事を終えた人々がたむろし始め、鼻孔をくすぐる夕食の香りが辻に満ち始める。


王都のどこからでも見える高台、白亜の王城にも暖色の灯りがともり。日中壮麗だった威容の城は、薄青紫色の艶めいた装いに姿を改める。


その日は、招待のあった夜会の日だった。


あの狩りの日から送られてきたものになんとかお返事を返しきり、いただいたものの目録を作ってそれを半徹夜で頭に叩き込んだ上での、夜会の参加だった。正直なところ、この日にたどり着いただけでも達成感があった。


城の入り口に、わたしが乗る4騎立ての鱗馬ケル車が到着した。


夜会用のドレスに着飾ったわたしは、先に降りたチェセとレーゼに導かれて、鱗馬車のステップを踏み降りる。


ドレスの裾を汚さないように敷かれた赤絨毯の上に降り立つと、薄緑色のドレスの裾を踏まないように引き上げながら、しずしずと前に入り口の階段を昇っていく。


「・・・?」


お澄ましで階段を踏みながら、違和感にわたしは胸中、首を傾げる。


実は、直前に夜会の時間変更の連絡が届いた。わたしは侍女たちとともに、その時間に間に合うように慌てて準備してやってきた。なのに、他の招待客が居ないのだ。今回の夜会は王族と主だった若い貴族が招かれていると聞いていたので、入り口はもっとごった返していると思ったのに。


とはいえ、客人用の赤絨毯は敷かれているし、衛兵も控えているから、夜会客を迎える準備はできている。どうも、わたしが一番乗りらしい。


侍女レディーズメイドのチェセ、レーゼ、モルシェも今日はいつものメイド服ではなく、着飾ったドレス姿だ。チェセはシックな濃茶色にオレンジ色の宝石のワンポイント、レーゼは涼しげな青色、モルシェはお嬢様らしい黄色がイメージカラーだ。


また護衛のアセレアも同じく、髪色と同じ赤色のドレスをまとっている。その下には薄い鎖帷子をつけているそうだけど、肩を出して大きく胸元の開いたドレスの下につけられる鎖帷子とは、いったいどんなものなのか。ただ護衛役とわかるように、飾り鞘の短細剣を腰に提げている。


慣れたレーゼを先頭にして、侍女たちがと護衛がわたしを取り囲むようにして、階段を登る。裾を踏んで転んだりしないように、慎重に、けれど優雅に見えるように気をつけて、段を昇っていく。


このように優雅な場では、さすがに仔狼姿とは言え、バウを連れてくるのははばかられた。なので、今日は彼は、わたしの影の中に入ってもらっている。バウには闇の精霊の眷属が使える影潜りという特技がある。夜会のこの場で彼が必要になるということはないだろうけれど、本当にいざというときの護衛役である。


階段を登りきって、衛兵のかたちばかりの身元確認のあと、3メートルはある巨大門から城内に入っていくと、エントランスホールに、出迎えるがごとく水色のドレス姿の美女が立っていた。ウェーブのかかった黒髪をアップにして額を出し、前髪を顔の縁を覆うように垂らしている。


「リュミフォンセ=ラ=ロンファーレンス=リンゲン様ですね? ようこそいらっしゃいました。お城をご案内いたします。・・・お付きの方は、別口からどうぞ」


その言葉どおり、侍女たちにもどこからか現れた案内が付き、別口へと案内された。


主君とお付きの者が入り口で別れるというのはあまり聞かないので変だと思ったけれど、これが王城の風なのかも知れないと思い直す。王城のしきたりがよくわからない。


護衛のアセレアだけは、わたしについてこようとしたが、案内役の水色のドレス姿の女性が、アセレアに視線を合わせ、ゆっくりと首を横に振る。


人を指図することに慣れた、なんとなく言うことを聞かなければいけないという雰囲気。初対面だけど、高位の人なのだろうというのは察しがついた。その彼女がゆったりとした口調で言う。


「女だけでございますよ。過剰な配慮は、無粋でございましょう」


「・・・・・・」


護衛役のアセレアは、指示を仰ぐためだろう、わたしを見る。わたしはこの場は従いましょうという意図を籠めて、頷く。アセレアもまた了解したと頷くと、わたしから離れ、侍女たちと一緒に別の通路へと向かった。


わたしの侍女たちと護衛役、いろとりどりのドレスをまとった彼女その背が離れて、城内の影に消える。


「では、こちらへ」


わたしにそう促して、水色のドレスの案内役の美女は、エントランスホールの正面から続く大階段を登り始めた。わたしはその彼女について登る。


一時的に、わたしとその美女の、ふたりだけになる。


と、先行していた美女は、階段の踊り場で立ち止まり、振り返った。


そして彼女は、わたしに向かって言ったーー必然的に、見下ろすようになる位置関係で。光の加減で、彼女の茶色の瞳に赤みがかかる。


「そうーー。ご挨拶を忘れておりました。わたくし、ディアヌ=ポタジュネットと申します。はじめまして。どうぞお見知りおきを」


言われて、わたしの中で記憶が閃く。


伯母様から教えてもらっていた特徴ーー。黒髪。赤目。ポタジュネット家。ディアヌーー。


このとき、わたしの顔からは血の気が引いていたはずだ。


この人、わたしに求婚してきている、第一王子セブール様の、奥さんだーー。




■□■




「こちらは八角の間です。部屋の形状が八角形であることが名の由来です。ここで先々代の王がーー」


ディアヌ=ポタジュネット・・・様は、あれからともに王城を歩いて現物を示しながら、王城の構造、部屋や美術品などについて、いわくや来歴を教えてくれる。王城にあるものはどれも一級品、それぞれに歴史があり、聴き応えもあるはずなのだが・・・。頭に入ってこない。


第一王子のセブール様は、すでに夫人がありながら、わたしに求婚をした。この『求婚劇』は彼の軽薄さだけから来るものだけでなく、勢力同士の政治的な力学と今後の状況を冷徹に読み通し、次の王座を確実なものにするための離れ業の一手だとーーそう解釈されている。


けれどすでに第一王子に娘を嫁がせていた東部公爵にとってみれば、いい面の皮であり、政治力に見切りをつけられたとも解釈できる。そして、嫁いでいる当人にとってみれば、二重の屈辱ーー政治として、さらに女としても、セブール王子に見切りをつけられたという解釈も可能だ。


その場合、彼女の憎しみはどこに向かうのかーーと考えた場合。


時間をさかのぼり、ディアヌ様がセブール王子に嫁いだとき。周囲に祝福され、次の王妃にと嘱望され期待されたはずだ。きっと、それはそれは輝かしい時代だったはず。その輝きを、意図的ではないにしろ、奪い去った存在ーーつまり、わたし。そのわたしに、憎しみが向けられるのは、しごく当然のことなのではないか。


貴族政治とは、人生の栄爵と没落を賭けた闘争。その人の全霊をかけたむき出しの感情に向き合っていくことだと、知っていたけれど。


どうやら、わたしには覚悟が足りていなかったらしい。その証拠に、ディアヌ様を前にしたわたしは、気を抜くと膝が震えてしまう。迷宮の底の主を相手にしても、震えなかったのに。


そしてーーとわたしは考える。


いま、ディアヌ様は何を企図しているのだろう。


きっと、夜会の時間を前倒しにする連絡を伝えたのは、ディアヌ様の策略だ。そこまでしたのだから、こうして城を案内するのだけが目的ではないはずだ。


けれど、直接わたしを害するような気配も感じなった。話の印象からは、美しさと知的さを兼ね備えている人で、そういう短絡的なことをする人にも思えなかった。だからこそ不気味でーー。


「リュミフォンセ様は、芸術はあまりお好きではないかしら?」


問いかけに、わたしの物思いは破られた。一呼吸のあいだに、わたしは体裁を整える。


「ひととおり嗜んだ程度で、造詣があまり深くなくて、申し訳ありませんわ。ーー王城の美術品はどれも一級品ばかりで、圧倒されてしまいます」


「ロンファーレンス家では、荒々しい冒険者の支援に明け暮れていらっしゃるのかしら? 東部、西部・・・それぞれ事情はあるでしょうけれど、人間の心を真に豊かにするのは、教養、そして芸術でしてよ」


「勉強になります」


「王のそばに侍るものは、やはり人間の心に通じていなくては」


独り言のような言葉を投げて、ディアヌ様は背中を向けて前に進む。最後の言葉は、宙に浮いたままにして、わたしはまた彼女の後を追うように歩く。






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