92 船中にて②
レーゼが語ってくれたのは、彼女自身の生い立ちだった。
彼女の母が人間の精霊との
ただ伝聞調であることからもわかるように、レーゼ自身はその祖母と直接会ったことはないという。物心ついたときには、彼女は祖母とは引き離されていた。
祖母は東部のさる高位の貴族と結ばれ、そこでレーゼの母を生んだ。しかし祖母は、どうも妾というにも微妙な立場だったらしく、レーゼの母はその家で疎まれ、これまた東部の下位貴族の家ーーフォブナー家に、厄介払いのようにして、下げ渡され嫁がされた。そこで生まれたのがレーゼだという。
「高貴な血と精霊の血を引いているとはいえ、貴族のなかでは正式な立場もない。なのに幼いころから、亜精霊の声が聞こえて会話もしていましたから、家人からは不気味がられていました」
普通の人から見れば、何もない空間に向かって、子供が楽しそうに会話しているのだ。気味悪がる気持ちはわかる。
そんななか、事件が起こる。もともと風精霊が居た東部の高位貴族が、精霊に惨殺されたのだ。一説には、精霊の報復行為だったという。
「人間のような実体を持つ位階の精霊でも、なんらかの理由で力を失ったりすることがあります。そういう精霊を捕まえてきて、慰み者として莫大な価格で流通させる
レーゼは言う。であれば、その風精霊が逆になんらかの理由で力を取り戻したか、仲間の協力を得たかして、購入者である貴族へ恨みを報いたのだろうか。証拠もなく、推測でしかないけれど・・・。
ただ人の力を越えた力でその貴族が殺害されたことは、残されていた現場から明らかだった。そしてレーゼの祖母である風精霊は、その日を境に姿を消したのだという。
「祖母は姿を消してそれで済みましたが、すでに別のところに嫁いでいた母と私はそうは行きませんでした。上位貴族への
しかし働かなくては生活できないので、私は精霊への偏見が少なく、事情を知るものない西部で職を求めました。そしてエルージア伯爵夫人・・・ラディア様に拾っていただいたのです」
わたしは、告白を終えた緑がかった黒髪のメイドと向かい合う。彼女の細い目に、光る粒が宿っている。
「リュミフォンセ様。お話をさせていただいているうちに、気づきました。
立ち上がり、頭をさげるレーゼ。
しばらくの船内の沈黙。そして、わたしは言葉を選んで語りかける。
「ラディア伯母様は、今の話をご存知なのかしら?」
「・・・私の家の事情はご存知です。私が高位貴族の血を引いているとはいえ、種を宿した祖母は妾ですらなかった女。
「それは、なぜ?」
「言う必要はないと思いました。
「・・・貴女の話は理解できたと思います。しかし、レーゼ=フォブナー。わたしには、貴女にいとまを出す理由が、思い当たりません」
わたしが言うと、レーゼの細い目が見開かれて、濃緑の瞳が丸くなる。
「精霊の血を引いていること。別の場所では知りませんが、それはここでは、まったく欠点になりえません。むしろその力を十全に活用し、これまで以上に、わたしに仕えてもらうことを願います。よろしいかしら?」
「はい・・・。ありがとう存じます。リュミフォンセ様」
「貴族、平民、精霊・・・わけ隔てなく、
チェセが良いことを言って、この話を締めてくれた。両手でガッツポーズを取ってみせる。可愛い。レーゼも感激して意気投合している。
けれど、リュミフォンセ一派って・・・なんだかマフィアっぽくない?
「しかし
御座船のなかでの会話が続いている。サフィリアが彼女らしくない思わしげな顔で言ってきた。
サフィリアとしては、レーゼの祖母である風精霊の顛末が、他人事とは思えないのかも知れない。
「潰すというと?」
とわたしが問うと、
「それは決まっておる。本拠地を見つけ出して、関係者を一網打尽にしてやるのじゃ」
気持ちは賛成だ。けれど、そんなにうまくいくかしら?
「サフィリア様。
意外にも、たしなめ役に回ったのは、一番被害を受けているだろうレーゼだった。
「しかし、そやつらは悪なのじゃろう?」
「悪も悪、巨悪で御座います。けれど、黒を白と、白を黒と言い換える力を持っている者たちです。うかつに動けば、逆に身の破滅を招きます」
「うむ、そうなのか、しかし・・・こう、お腹のなかがもやもやするのう」
サフィリアらしくない、歯切れの悪い反応だ。不安なのだろう。
エテルナの集合体である精霊の力は強大な一方、不安定なものでもある。突然強くなることも弱くなることないわけではない。人が不意に不治の病にかかるようなものだ。
「だいじょうぶよ」わたしが宣言してあげる。「サフィリアが危ない目に会えば、わたしが護ってあげるわ。たとえ万難を排しても、世界を敵に回しても・・・。サフィリアだけじゃない、ここにいるみんな・・・。わたしの家臣に何かあれば、わたしが身を呈しても、護ってみせるわ」
そして、チェセ、レーゼ、サフィリアの顔を順々に見遣る。みな、わたしの想いが伝わったを通り越して、感激の表情をみせている。
「リュミフォンセ様・・・」
「あまりに、もったいないお言葉です」
「あるじさま・・・なんて男前なんじゃ」
うんサフィリア。男前って、それは、お嬢様に対する褒め言葉じゃないからね?
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