87 ロンファーレンス家の密談②





2個1対の瞳。燭台だけの薄暗い部屋、3対の瞳が対峙している。


お祖父様、伯母様、そしてわたし。


わたしは、今ほどお祖父様に尋ねられたことを、すぐには理解しかね、咀嚼していた。


王国への叛意はんいーー? わたしが王国に逆らうつもりがあるかということ?


「言い換えよう。そなたには、王位の奪取、あるいは、リンゲンの独立を狙っているのではないかーーという疑いが持たれている」


はいい?


お祖父様の言葉があまりにも想定外で、わたしの頭の中は少しのあいだ、真っ白になる。


いったい何からどうしてそんな話になったの? わたし、反逆罪なの?


努めて平静を装いながら、内心おたおたするわたしに、ラディア伯母様が語りかける。


「長引く魔王軍との戦いで、諸侯と民衆の疲弊が高まっている。疲弊は不満になり、その不満はこの王国を治める王への不満になっているのよ。つまり、はっきり言わせてもらえば、いま王の威信が落ちているのよ。


この冬の勇者の活躍で、魔王軍との戦いにはようやく目処がついたけれども、こうむった被害は大きい。


諸侯や都市の財政は大きく傾き、復興の財源もない、食料供給すらおぼつかない。王国の問題が表面化しそうになった・・・・・・。そのときに、自分の領地の安全を保ち、食も財もあざやかに供給してみせた者がいる。


ーーそれが、あなたのリンゲンなのよ」


王様の威信が揺らいでいるだなんて、知らなかったし、思いもしなかった。


はっきりいって中央政界の情報は、わたしのところにまったくと言っていいほど入ってこないのだ。


新たな角度からのお話に、お祖父様が補足する。


「リンゲンは、戦乱からまるで超越するように存在しているのだからなーー『精霊と天使に護られし街』などと評判になるのもわかる。


しかし、王都の体たらくと比較して、リンゲンを持ち上げる軽忽な者も出てくるのじゃ。過激なものは、今の王と、そなたが変われば、世の中が良くなると叫ぶものまで居る」


えーっ。わたしにとっては、はっきりと迷惑な話だ。


潜在力は高かったけれどそれを今までうまく活かしてこれなかったリンゲンと、広範な地域を治める王国とは、事情がまったく異なる。苦境を誰かトップのせいにして、首をすげかえればいいというのは、とてつもない暴論だと思う。然るべき立場に立ったことがない人がとなえる空論だろう。


「もちろん、民のうっぷん晴らしの居酒屋談義に過ぎんが・・・、リンゲンの今年の税収の大幅増収、大成功を見せられてはな。


こうなると、居酒屋談義もまったく根拠がないことでもなくなり、うわさの煙を消すにも苦労する。これまで戯れ言と無視してきたものを、そのまま座視することもできなくなったと・・・、儂らがリンゲンに来たのは、そんな背景もある。儂の領国で起きていることを、把握せぬわけにもゆくまい」


なるほど、勝手なことを言うひとはいつの世にもいて、迷惑を受けるのは矢面に立つ人だ。でも良いことをしたのに、それが悪い結果につながるというのは、どういうことだろう。なんだかやるせない。


議論とは関係ないところで考え込んでしまったわたしはスルーされて、お祖父様は、改めて最初の質問を口にした。


「それで、どうだ? そなたにはリンゲンを独立させるような野望はあるのか?」


「いいえ」


わたしはいきごんで即答する。


「そのような考えは一切ありません。リンゲンを守り、疲弊する王国を助けようとしただけであって、お祖父様が世間の噂として言われたようなことは、まったくあたりません。


わたしは王位や爵位には、興味が無いのです。お祖父様がリンゲンに隠遁されるまでに、ここを良い場所にしておこうと思っただけで、それ以上の気持ちはありません」


「うむ。そうか、よく・・・よくわかった。・・・そなたは昔のままじゃな」


お祖父様は細めた目でわたしを見る。そして、何かを思い出したのか、次の一瞬で苦いものを舌に載せたような表情になり、さらに尋ねた。


「いまひとつ聞こう。2年前、儂のロンファーレンス公爵位はラディアに譲り、そなたは継承権を放棄することを確認した。その考えは今も変わっていはすまいな?」


「はい。それは今も変わりません」


わたしは即答する。別に爵位がなくても不自由なく生きられるから、わたしは困らない。


けれど、わたしの答えように、ラディア伯母様は軽く目を見張っていた。


「ーー貴女は、リンゲンでこれだけの功績をあげていながら、野心がないというのね」


「わたしは確かにリンゲンと王国の平穏を望みましたが、ですが、それはより高い地位を望んでのことではありません。平穏そのものが手に入れば、わたしはそれで満足なのです」


・・・ほんとだよ? だから、魔王の落とし子としての力だって、本当はいらないんだよ。


伯母様はしばらく沈黙したあと、お祖父様と視線を交わした。


そして、伯母様は小さく点頭した。わかったわ。


伯母様は息を吐いた。細く、長く、品位を壊さない溜息。


その息は、薄暗い部屋に広がっていた粘性の靄を、少し軽くしたように思えた。


伯母様は腰掛けていた椅子に座り直して、わたしを見据えた。またしばらくの沈黙のあと、艶やかに化粧された唇を小さく開いた。


「・・・貴女の弱点を教えてあげるわ」


ラディアおばさまが言った。


わたしの弱点? たくさんありそうだけど・・・なんだろう。


「それは、欲が薄いことよ」


「・・・?」


欲が薄いことって良いことなんじゃないの? いや良いことにはならないとしても、それって弱点になるの? わたしにはわからない。


「貴族という生き物は、欲が強いのよ。欲が強いということは、欲しいものがはっきりしている。だから行動も読みやすい。


けれど、欲が薄いと、その人がどう動くかが読めない。その場その場の考えで行動が揺れるし、軽薄な人でなくても、重大な土壇場で心が変わってしまうかも知れない。動きが読めない人は、信用できない。


そう考えると、欲が薄い人は、何を考えているかわからなくて、信用を得られない存在になってしまうの。・・・貴族のなかではね」


なるほど、あまり考えたことはなかったけれど。そういえばラディア伯母様は、王国西部の中位貴族を束ね、動かしている人でもあった。貴族社会を泳いでいる伯母様らしい、人間通的な考え方だ。


「欲の強さは生来のものだから、欲深くなれということではないわ。けれど、こうしたことを知っていないと、思わぬところで足をすくわれるわ。気をつけなさい」


「ありがとうございます。おばさま」


わたしがお礼を言うと、横のお祖父様がうむと同意するように大きく頷いた。


「その通りじゃぞ、リュミィ。ラディアのいま言ったことは、正しい。我欲の強さは身を滅ぼすと言われるが、貴族の社会では欲が薄くても破滅につながることがあるのじゃ・・・。そしておりよく、それを確認できる教材がある」


「教材・・・ですか?」


今日はわからないことだらけだ。話の行き先がまったく予想できない。


気の所為だと思うけれど、かしげる首が疲れてきた。


「そなたに、王の署名で、リンゲンの『一代公爵』を叙勲するという話が来ておる。受けるか?」

えっ? えーと、それはいったいどういうことだろう? うーん・・・。


「すみません、それはどういうことでしょうか」


考えたけれど、わからないので素直に聞いてしまうわたしである。


「リンゲンからの赤色魂結晶、それと南瓜芋をはじめとした食料の供給は、王国の危機を救った。その功績に報いての叙勲という名目じゃ。


『一代爵位』は、大きな功績をあげた者に与えるもので、名誉とそれと少しじゃが恩給が出る。通常は騎士爵か男爵位だが、そなたが公爵家のものであることをおもんばかって、公爵位にしてかたちばかり整えた、というだけのものよ。


王家はどうも金品の褒美を下賜する余裕がないと見える」


「王家に余裕が無いのであれば、その叙勲も辞退したほうが良いのでしょうか? 恩給分でも、復興のために使ってもらえれば・・・」


と、わたしが口にすると、そこが違う、とラディアおばさまに指摘を受ける。


「で、では、辞退せず、とりあえずもらっておけば良いのでしょうか?」


「そう、この話を受けるが正解。なぜだとお思い?」


今度はラディア伯母様から問題が出た。叙勲を受けるのに理由? うーん。


そういえば、王家は戦乱による財政疲弊と食料不足を失政として指摘されているんだったっけ。それをわたしたちリンゲンが救って、それがわたしたちの手柄ということに世間ではなっている・・・。けれど、それを王の手柄にしたいってことなのかな・・・?


「王がわたしにご褒美を与えることで、食料不足の解決を王があらかじめ指示していたことにし、手柄をご自身のものにしたい、ということでしょうか」


「そう。より正確に言えば、貴女が今回の手柄を王に進呈することが、求められていることよ。叙勲という名誉と引き換えにね。そしてそれで、リンゲンの忠誠がーー叛意がないことが確認できる。そのために叙勲を受けるの」


お話はよくわかった。叙勲を受けておかないと、リンゲンの独立を疑われ続けるということだ。別に手柄を進呈するくらい良いけれど、叙勲と引き換えにそれを求めるというのは、なんというか・・・こう言っては何だけど、セコい王様だと思う。


そんなわたしの表情の曇りを看取ったのか、お祖父様が豪快に笑声を放って、言った。


「統治は無数の問題を解決していかなければならぬ。今の王は賢王とは言えぬが、悪王でもない。そして我々統治者が問題にしなければいけないのは、民が安んじているかどうかじゃ。


貴族の誰が手柄を持つかなぞ、些細なことだ。まあ、リュミィ。あまり難しく考えず、一代爵位ぐらいは受けておけい。今回は王の顔も立てておくがよかろう。それくらいで、ロンファーレンス家の者にくびきを嵌められると、向こうも思っておらぬじゃろう」


お祖父様に笑い飛ばしてもらって、気持ちは軽くなる。わたしはわかりました、と頷いた。


お祖父様は「重畳ちょうじょう、重畳」とまた笑い、伯母様は静かにお茶の入ったカップに口をつけた。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る