88 ロンファーレンス家の密談③





ロンファーレンス家の密談の次の日の早朝。


まだ川面に朝靄が立ち込めるなか、お祖父様と伯母様は、アーゼルの船着き場から御座船に乗り込み、領地へと帰っていった。


御座船はウドナの河の中を走る水路に入り、どんどんと遠くなり、小さくなる。その船影が川面と空の境界に消えるまで見送って、ふう、とわたしは息を吐いた。


「皆さん、ご苦労さま。視察はこれで終了です」


ふはぁ〜〜。と音がしたわけではなかったが。


さすがにこの公爵領のトップが来るということで緊張したのだろう。後ろで控えていた家臣団が、どっと力を抜く。


「公爵様の良いお人柄はよく知っておりますが、いやはや、久しぶりにお会いするとさすがに緊張しますね」


そう言ったのは、一番緊張に縁のなさそうなアセレアだ。さっそく襟元に指を入れて首元を緩めている。本人いわく、胸が最近また大きくなって、胸元が苦しいらしい。


「ところで、新しいメイドが採用されたと伺った。君が、新たなお目付け役、というわけかな?」

無礼ではないぎりぎりのラインを踏みながら、アセレアは、緑がかった黒髪のメイドへと顔を向ける。


水を向けられて、緑がかった黒髪のメイドは、元々細い目をさらに細め。軽く頭を下げた。


「お目付け役など・・・改めて自己紹介させていただきます。私は、メイド業務と、リュミフォンセ様の貴族との付き合い方におけるご指導と補佐を言いつかりました。レーゼ=フォブナーと申します。元はーーつい昨晩まで、エルージア伯爵夫人のメイドをさせていただいておりました」


「貴族との付き合い? このリンゲンではそう必要なものではないと思うが・・・」


「これからその『貴族との付き合い』が増えることを見越し、公爵様と伯爵夫人様のご判断にて、私めが配されました」


緑がかった黒髪のをさらりと揺らし、優雅な一揖する、目の細いメイドーーレーゼ。


「この地には不慣れゆえ、至らぬところがあるやも知れません。先達のアセレア様におかれましてはリンゲンのやり方にお詳しいかと思います。どうかこの若輩者に、ご指導ご鞭撻いただければ幸いにございます」


そう言われて、アセレアはうむ、と機嫌を直したように頷いた。新入りレーゼの折り目正しい対応がいたく気にいったようだった。実に体育会系っぽい。


「私はリンゲンへと戻らせていただきます。今からなら午後には戻って執務に入れますから」


空気を読まずそう言い切って、長衣を翻したのはレオンだった。時間を無駄にしたくない彼らしい。そして家臣たちはめいめいに仕事に戻っていく。わたしもその流れに従って、リンゲンへと戻るために、チェセにいざなわれて移動する。準備のためまずは自分の天幕に戻るのだ。


新入りメイドのレーゼと言えば、迷いのない足取りでわたしの斜め後ろを歩いている。軽くうつむいて、揺れる前髪が、彼女の糸目を、つまりは感情を、見えにくくしている。


(表立っていないだけで、彼女に、わたしのお目付け役、という役割が無いとは言えないんだよね)





ーー昨晩の密談で、お祖父様は、こう切り出してきたのだ。


「リュミフォンセ。昼間にそなたの家臣たちと話をした。それぞれに優秀で、忠誠心も高い。だが、貴族社会に長けた人材がいないようだ」


お祖父様によれば、この王国では王家王族を筆頭に、三公爵一辺境伯、地方の郷卿たる侯爵・伯爵・子爵。その下の男爵、一代騎士爵に至るまで、派閥と血縁と地縁が密接に絡み合っているという。ロンファーレンス家はその貴族社会の頂点のひとつなので、逆にわたしはしがらみが薄いが、これからはそうは行かないはずだという。


というのも、リンゲンでの活躍によって、わたしは貴族社会で名前が売れてしまったらしい。


「そなたの婚約者候補のことを覚えておるか? 第二王子と第三王子、そして辺境伯の子だ」


婚約者候補の話は、わたしがリンゲンに来る前の話だ。今ではもう2年も前のことになる。そのあと完全に放っておいたので、立ち消えたとさえ思っていた。


「いや、貴族の婚姻は重要ごとじゃ。家と家との関係を育みながら、当人たちが年少の頃から数年をかけるのが普通だ。とくにこれまで魔王軍との戦いがあったから、王家を含めどの家も婚姻は遅れているものが多いがな。


ーーとにかくだ。婚約者候補たち、正確にはその背後の家が、そなたを娶ることに前向きになっている。控えめな美姫もよいが、優れた統治手腕を持つ嫁は、いまはどの家でも喉から手が出るほど欲しい。魔王対応を失敗して、権威が失墜している王家も例外ではないのじゃ」


良いお嫁さんを迎えて、家の勢いを盛り返そうってことだね。前世日本で言ったら、会社の幹部に外部の有力者を招聘する、みたいなイメージかしら。


ワイングラスで軽く唇を湿らせ、グラスの縁を指でなぞりながら、ラディア伯母様が口を開く。


「リンゲンか貴女の名前を、週に1度は報告書で目にするわね・・・呼ばれ方はさまざま。『深森の淑女ドラフォレット』『精霊姫』『上霞の姫』。面白いのだと『お芋姫』なんてのもあるかしら・・・でも重要な名前はね」


「えっ『おいもひめ』? わたし、おいもひめって呼ばれてるんですか?!」


「ーー『小王妃レネット』」


「え?」


「『小王妃レネット』。あなたは、そうも呼ばれているのよ」


しょう・・・王妃? どういうこと? わたしが?


伯母様の言葉にわたしが固まっていると、お祖父様が補足してくれる。


「そなたが王族入りするのが確実、あるいは王族に引き入れたいと思っている者が、貴族の中に居るということじゃ。そなたを『小王妃レネット』と呼ぶことで、王宮や貴族の間に気運を作ろうとしているのじゃ」


おっ・・・おおお! それはつまり、第二王子か第三王子と結婚して・・・ということ? 婚約者候補は他にも居るって聞いているけれど、わたしは婚約者レースの上位につけているってことだよね? よくわからないけれど、なんかそれってすごそう!


けれどーーと考えて、頭が冷える。やはり貴族の結婚というのは、恋愛よりも家の力関係や、政治が優先されるのだ。わたしの知らない人が知らないうちに、わたしの結婚の気運を作ろうとするなんて、考えてみればなんだか気持ちが悪い。


そんなふうに考えるわたしは、よほど思わしげな顔をしていたのか、ラディア伯母様がわたしに問いかける。


「急にどうしたの。そんなに思いつめたような顔をしてーー結婚がそれほど不安? それとも、別に想う人でもいるのかしら?」


「え?」


伯母様に問われて、わたしは白外套の背中を白昼夢に見る。星の夜空にはためく外套。頼りになる背中。


2年前に、たった一晩会っただけだ。あれきり調律者バランサーと出くわすようなこともない。


「あら。そういうのには興味が無い子だと思っていたけど、存外ね」


「いえ、わたしには想い人などいませんよ」


わたしの表情から何かを読み取ったのだろうか。伯母様に言われて、わたしは否定する。


「まあ貴女の年頃の娘が、こういうことですぐに本音を言うとは思わないけれどーー言葉どおりに受け取っておきましょう。まだ叶えていない恋なら、叶わぬままにしておいたほうが賢明よ。貴族として生きていくにはね」


「・・・・・・」


否定したのに、やんわりと諭されてしまった。


わたしの中にある、あれは、恋なのだろうか。


ーーそれにしては、淡い。


「なにいっ! わしの可愛いリュミィに言い寄るなど、許せぬ! どこの不埒者じゃ!」


「・・・お父様。いまさんざんこの子の結婚の話をしていたのに、どうして急に興奮なさるのです。それに、誰かが言い寄ったなどと話はしていませんよ」


呆れたようにして伯母様がお祖父様をたしなめる。


「ぬぬぬ・・・しかし、貴族の結婚と恋は違うではないか。結婚は家を背負った貴族としての責務だが、恋はあくまで個人のもので人生の華。その人を想えば身悶え血が泡立ち居ても立ってもいられなくなる。結婚は小手調べのようなもの。不倫こそ人生の本番に相応しい」


んん? お祖父様の言っていることが、よくわからなくなってきた・・・というか、妙なことを聞いた気がする。


「お父様、少しばかりお酒を召し上がり過ぎているようだわ・・・レーゼ、公爵様のお飲み物を軽いものに変えてさしあげて」


伯母様の指示に、緑がかった髪のメイドが部屋の闇からするりと現れて、お祖父様の飲み物を取り替える。


「話を戻しましょう、リュミフォンセ。ロンファーレンス家は、貴女が王子と縁を結び王族となり、王家とつながることを期待するわ。王家との結びつきが強くなれば、東部のポタジュネット公爵家に対抗しやすくなる」


「ロンファーレンス家は、東部のポタジュネット公爵家と争っているのですか?」


伯母様に、わたしは尋ねる。


「3大公爵家同士、同格であれば、自然とぶつかるようになる。それに冒険者の気風を入れて自由実力主義の西部と、純粋な貴族主義的な東部とは、気風も合わないから、余計にね。


けれど、ポタジュネット家の者が、先んじて第一王子の夫人になっている。これはしっかりと頭に入れておきなさい。東部の者とは、きっと貴女も合わないと思うけれど、くれぐれも挑発には乗らないこと」


「・・・それでは、かりにわたしが第二王子か第三王子と結婚しても、ポタジュネット家の下風に立つことになるのでは?」


「そんなことはないわ。第一王子は妾腹、第二王子と第三王子は正腹よ。王太子はまだ決まっていないし、王はまだ全員を候補にしていると明言している。情勢は微妙なのよ。それこそ、民衆に人気が高く、活躍した『小王妃レネット』を射止めたものが、王太子になれるかもと囁かれるほどに」


「それって・・・」


「ええそうよ。あなたがいずれかの王子と結婚して、その王子が王太子になれば、あなたの末は王妃。さらに子供を産めば、王母。貴女は、それが狙える場所にいるということよ」


なにそれすごい。


すごすぎて、わたしには現実感なく、遠く響くだけなのだけど・・・。


わたしは伯母様と、そして目が座っているお祖父様を交互に見る。


本気・・・かしら。どうやら、拒否することはできささそう。でもやすうけあいもできないし。


「目指すべき方向はわかりました。けれど、わたしは何をしたら良いでしょうか?」


「まずは王都に行く機会を作ることだ。いくら情報を集めても、本人たちと会わなければ、どうにもならぬ」


お祖父様の言葉に、伯母様が同意だと頷く。


「まずは叙勲のために王城にあがる機会があるわ。そこで王子と会うことができるでしょう」


「なに、リュミィならば、たいがいの男はひと目会えばイチコロじゃ」


「ーーとお父様はこのように仰っているけれど、真に受けては駄目よリュミフォンセ。あなたは美しく成長していて、それはとても喜ばしいけれど、王子の周りには、蝶花のようにきらびやかな姫たちが常にはべっているのですから」


「とは言っても・・・いまのわたしには王子に、辺境伯子にすら会うのは難しいような気がします。お人柄の情報もわかりませんし・・・」


わたしが弱音をはくと、やはり伯母様は黙って頷くと、ぱちりと指を鳴らした。


その合図とともに、みたび、薄闇から緑がかった髪のメイドが現れる。


「この子はレーゼ。私の侍女レディーズメイドで、気はしの利くのはもちろん、貴族の話や、王都の貴族同士の関係に詳しいわ。それに、どうしてか噂を仕入れてくるのが上手な娘だから、役に立つはずよ。


・・・この娘を、貴女につけましょう」


えっ? そんな突然。


わたしのその思いは、紹介された緑がかった髪のメイドも同じだったようで、驚いたような表情を一瞬だけ浮かべた。が、次の瞬間には動揺のすべてを押さえ込み。その次には、わたしに一時の臣従の礼を捧げていた。


事前の打ち合わせがあったようには見えなかったのに、その場のアドリブで身の振り方を決めてしまうのは見事としか言いようがない。それに、話を聞くかぎり、いまわたしに一番必要な種類の人材らしい。


ここはおおらかに受け入れて、流れに身を任せてしまおう。拒否しては、いかにも女を下げてしまいそうだ。


「ご厚情ありがとうございます、おばさま。ありがたく受けさせていただきますわ。ーーレーゼ。これからよろしくお願いしますね」


微笑んでわたしが言うと、レーゼは細い目を一度またたかせて、頭をさげた。


「こちらこそお願い致します。リュミフォンセ様が王族入りできるよう、全力を尽くします」


「ふむーーリュミフォンセ。心は決まったようじゃの」


お祖父様の問いかけに、わたしは苦笑で応える。


「まだ、不安のほうが大きいですけれどーー」


「よい。それが貴族の人生セ・ラ・ヴィじゃ。そなたには期待をかける。期待は負担と裏表かも知れんがーーそれは、そなたがそれに相応しいものを備えているということだと捉えて欲しい」


わたしは頷くと、お祖父様の瞳が優しく緩んだ気がした。


お祖父様は威儀を正し、離れたところで水菓子をつまんでいた、サフィリアへと体を向ける。


「精霊殿。聞いていただきたい我らの話はこれで終わりーー。リュミフォンセは、王族入りを目指し、一代公爵位を受ける。一方で公爵位の継承権は放棄する。相違なきや」


呼ばわられて、サフィリアは行儀悪く机に肘を突いたまま、尊大に頷く。


「この耳でしかと聞き、この目でさやに見た。相違なし」


古い言葉を使うのは、定型句だからだろう。


そして、ここにロンファーレンス家の密約が成立したことを意味した。











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