22 家庭教師その後
「う〜んう〜ん。い〜た〜い〜、い〜た〜い〜、い〜〜〜たぁ〜い〜〜よぉ〜」
狭い入り口。その部屋の奥から、うめき声なのか歌声なのか鼻歌なのか、なんとも判然としない声が聞こえてくる。部屋に招き入れてくれたロール髪のメイドの娘をそっと制して、わたしは廊下とも言えないあまりにも短い通路を歩く。左手に折れた壁の向こう側には、簡素な寝台がふたつと中央に窓があった。そして奥側の寝台には、見知った頭があった。
「ゔゔ〜〜、い〜た〜い〜、い〜た〜い〜、けんこ〜でもぉ〜、いぃ〜た〜い〜」
歌・・・なのだろう。うつ伏せになり枕に顔をうずめた状態で、見慣れた金髪の娘さんが歌っている。というか彼女のこういう油断した姿を見るのは初めてなので、なんだか新鮮だ。
「いたっ、いたっ、いたっ、いたっ、い〜た〜い〜、い〜た〜い〜」
「メアリ」
びっくーんと肩が跳ねて、歌が止まる。わたしは彼女の顔を覗き込むようにして、話しかける。
「メアリ、だいじょうぶ? そんなにいたい? しんぱいだわ」
「りゅ、リュミィ様!? このようなところになんともったいない、はっ! 私、寝間着で、こんなはしたないかっこう・・・うっ、ぐぎぎぎっぎぎっ!」
わたしの顔を見たメアリさんは、驚きで跳ね起きようとして・・・動きを止めた。どうやら、全身の痛みで身動きが取れなくなったらしい。
「メアリ、だいじょうぶ? むりしないで、メアリ!」
■□■
「ハァハァ・・・申し訳ありません、リュミィ様。痛みで立ち上がれず、このような姿でまみえますことお許しください」
「そんなこと。気にしないで。メアリはわたしのことをたすけてくれたのだもの。なんでも言ってね。できることはしてさしあげるから」
もったいない、とメアリさんは呟いた。熱で潤んだ瞳にどきっとしてしまう。
ヴラドとの戦いの翌日。あの戦いのときは、ヴラドの周到な準備によって周りに誰もいなかったのだが、実はわたしたちの戦いの様子を目撃している人が数人いた。それは屋敷の使用人たちである。
物音を聞きつけた彼ら彼女らは、不審に思いながら窓ごしにわたしたちの戦いを見ていたらしい。最後の雪上での戦いは屋敷の多くの部屋から見える位置関係のため、目撃者が多かった。
使用人の皆さんは当然非戦闘員、普段戦わない人たちなので、わたしたちが何をしているのかがとっさにわからなかったらしい。まあ、訓練だろうと思えばそう見えるんだろうね。
そういう人たちからは、何かすごいスピードでお嬢様たちが何かをやっている、ぐらいの認識でぽかーんとしてしまって、助けなきゃとかそういう発想までには至らなかったらしい。
ただヴラドらしきモンスターから首が落ちて、さらに虹色の泡に変わるとさすがに何が起こっているのかは理解ができたらしい。あの場面では戦えない人が助けにきてもどうしようもなかったし、逆に人質を取られてピンチになりそうだったので、結果オーライだったね。
そして、そういう人たちからは、『勇敢なメイドのメアリが、お嬢様をかばって果敢に戦い続けて勝利した』と見えるみたいで・・・。
「でも私、そのときのことをぜんぜん覚えていないのです。ぷっつりとそのあたりの記憶は無くて・・・皆に嘘だろうと言われるのですけれど、本当にまったく記憶がないのです」
それはわたしが精神支配魔法で操っていたからです! ・・・とはとても言えない雰囲気に、お屋敷はなっていた。メアリさんは、一晩で、教師に化けて屋敷に潜り込んだ上級モンスターを倒した大英雄になってしまったのだ。なにしろ目撃者は多かったから、その話が組み上がって伝播するのはあっという間だった。
わたしは罪悪感に冷や汗をかきながら、せめてもの罪滅ぼしができないかと思い扇を動かして、メアリさんにせっせと風を送る。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!
「眠っていたあいだにモンスターを倒したので、『
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! わたしはあおぐ扇の速度を限界まであげる。
「でも体じゅう痛くて動けないのは本当で・・・あのリュミィ様? それほど強くあおがなくても大丈夫ですよ? 熱はもうさがってきていますし・・・。昨晩は全身が痛くて熱も出て、ありがたくもお医者様に診てもらったのですが、まったくの健康体だと言われ。それでこの痛みはなんですかって尋ねましたら、お医者さまがおっしゃるんです」
あれだけ激しく動かした、メアリさんの肉体だ。骨や関節が傷んだりしないよう、わたしの
「『ーーこれはただの筋肉痛です』って」
でも熱がでるほどだもんね!
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!
わたしはメアリさんに脈動回復の魔法をかけた。それから二晩、癒やしの魔法をかけるためにメアリさんの部屋に通いつめた。
■□■
公爵家の家庭教師をしていたヴラドが実はモンスターだったというニュースは、それなりにセンセーショナルに貴族社会に迎えられた。
出張先にて伝書魔鳩でこの事実を知ったお祖父様は、とんで帰って来てわたしの心配をしてくれた。その後、ヴラドの中級貴族の地位も乗っ取ったものだという情報が出たことで、王都の騎士団がヴラドの屋敷ーーウラル家の屋敷へ捜索するに及んだ。
そしてヴラドの悪行の証拠が出るわ出るわの大盤振る舞い。館には隠し部屋が見つかり、隠された地下には「飼われていた」人や、ヴァンパイア化したウラル家の縁者が発見され、さらにはモンスターも大量に匿われていた。
顕彰される貴族の一人が実はモンスターで、夜な夜な人をさらい、貴族をヴァンパイア化して人間社会に取り込み、さらに軍の一部隊に匹敵するほどのモンスター戦力を王都にかくまっていたーー。
明るみに出た事実に貴族社会は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。わたしは年齢のおかげで騒ぎの外だったけれど(お祖父様に向けて事実の証言はした)、お祖父様は各方面への説明や対処に追われて大変だったらしい。
貴族社会だけでなく、家庭教師業界も、ヴァンパイアではないかと疑われたりして大変だったのだそうだ。どこの家庭教師もヴァンパイアでないかを確認する検査を受けさせられたし、影に嫌がらせもあったらしい。教養を受け持つグレイ先生は、通りすがりにライユを誰かにぶつけられたとぼやいていた。ライユは日本でいうにんにくのような野菜だ。大変だね。
そしてわたしの周囲でも、ちょっとした問題が。
わたし付きのメイド、メアリさんが仕事に復帰した。全身筋肉痛が全快したのだ。
けれど、動きがどこかぎこちない。というか、実際のところかくかくしている。
わたしの朝の支度で髪を梳いてもらうのに、これまでの倍の時間がかかった。ブラシをそうっと指先でつまみ、すごくゆっくりとブラシを動かすし、わたしが見ただけでもメアリさんはなにかにつまづくようにして、何もないところで二度転んだ。
「メアリ、まだ本調子じゃないなら、やすんでいてもいいよ?」
「ありがたいお言葉です、リュミィ様。けれど、もうすっかり元気ですので・・・」
わたしの申し出に対して、しゃきしゃきと応えるメアリさん。発言はいつもの通りなのだけど・・・。言っているそばから、メアリさんは陶器の水差しをワゴンに置こうとして、何故かがしゃりと水差しを割ってしまった。強く置きすぎたのか、木製のワゴンの中央が衝撃でくぼんでいる。
「たっ・・・大変失礼しました! すぐに、後始末を・・・」
とメアリさんは身を翻すと、隣の部屋にいこうとしたのだろうーー急発進して、そしてどかんと壁にぶつかった。
まるで漫画のように両手を上にして、目を回して倒れてしまった彼女。壁には人型のくぼみができてしまっている。
わたしはあわてて別のメイドを呼び、メアリさんをお医者様に見せるように伝えざるを得なかった。
「今朝は、お騒がせして大変すみませんでした」
夜、わたしの部屋にメアリさんが報告にやってきた。本当に申し訳なさそうな顔で謝るので、逆にわたしも申し訳なくなってくる。わたしはメアリさんを暖炉の前に来るように促した。暖炉の炎はちろちろと燃え、部屋を暖めている。
「お医者さまはなんて? 自覚はないだけで、やはり体の調子が悪いのでしょう?」
「そのう・・・心配してくださり、リュミィ様には感謝の言葉もありません。ありがとうございます。ただ私の体の調子は悪くはありません。逆なのです」
「ぎゃく?」
「良すぎるようなのです。どうも急激にレベルアップしすぎて、突然体が強くなったので、私が体をうまく操れないようなのです。自分の体なのに」
「・・・・・・」
心当たりがありすぎて、わたしは思わず黙り込んだ。ヴラドを倒したとき、わたしがメアリさんを操って戦ったのだけれど、わたしに入ってきた経験値は体感的にそれほどでもなかった。そのときはヴラドが弱いだけだと不思議に思わなかったのだけれど、思い返してみれば、ヴラドへのダメージのほとんどはメアリさんを介してのものだし、とどめもメアリさんだった。メアリさんに経験値の大半が流れたってことだったんだね・・・。
「お医者さまにステイタスカードで
メアリ=テューダ
レベル: 38
ステイタス:『下級貴族』『
『
ジョブ: 軽業戦師
わたしはメアリさんに渡された金属に刻まれたステイタスカードを見る。
「私自身わかっていないのですが、突然、
「ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい」
「リュミィ様? どうしたのですいきなり膝を揃えて頭をさげたりして? お顔を上げてください・・・それで、お医者さまは『結局自分の体なのだから、いずれうまく使えるようになるはずだ』と助言をいただきまして。それで今後は、騎士団の訓練にときどき参加させていただいて、力の使い方を覚えようと考えています」
「そう・・・なんとかなりそうなら良かったわ。けれど、とんでもないことに巻き込んでしまってごめんなさい」
「リュミィ様が謝られることではありませんよ。それに私、嬉しいのです。大切なリュミィ様の危機に、お役に立つことができたのですから」
「メアリ・・・」
ぱちぱちと暖炉の薪がはぜる音がする。ゆらめく炎の明かりに、部屋の影もまたゆらめいて輪郭を曖昧にする。
メアリさんは、覚えていないことでこんなことを言っても説得力がないかも知れませんが、と付け加えて微笑った。
「・・・ありがとう」
「ふふ」メアリさんはまた笑う。「ようやく、『ありがとう』って言ってくれましたね、リュミィ様」
「あ、わたし・・・」
そうか。謝ってばかりで、メアリさんに、お礼を伝えていなかったのか。なんて迂闊だったんだろう。
「たすけてくれて、本当にありがとう。メアリはさいこうのメイド。これからもよろしくね」
メアリさんは姉のように『よくできました』と瞳で語り、優雅な動きで右手を胸に当て膝をまげた。
「かしこまりました。ーー
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