(四)絶望
私は目が覚めるとフラリと出かけるようになった。生活の時間は全く定まらなかった。朝食も食べたり食べなかったりするようになった。午前中に目が覚めた時には、弁当を持って出かけた。
目的地は決まっていなかった。駅に着いて切符を買う段階で、適当に行き先を決めてその金額の切符を買った。もし、その駅に着いても降りる気がしなければ、乗り越して好きなところで降りた。
毎日々々、こんなことを繰り返しているうちに、私は自分でも気づかなかったことが分かってきたような気がした。初めは、下宿を出るのは会社から何か連絡があるのが怖くて出かけた。それはやがて私の観念の世界では、会社はイコール現実社会になっていった。
自分は一切、現実社会とは関わり合うことのできない人間だと思えた。そして、無理に関わり合うことを考えると、非常な恐怖心が出てきた。私にとっては、勇気をもって関わり合うなどということは遠い世界の話であった。逃げるしかなかった。その為に無意識のうちに出かけているのだと分かった。
さらに重大なことに気がついた。それは、あちらこちらと出かけ歩き回っているのは、死に場所を探しているということだった。それが日を追うごとに意識の中ではっきりとしてきた。
私は自分がこの世に生きている意味も意義も見出せなくなった。所詮は、人間は死ぬしかない。生きている間に、どのようなことをしようが、行き着く先は死であった。生きている時、仕事で成功し経済的にも豊かになり楽しい日々に満足したとしても、あるいは、公務員となって安定した生活で安穏に生きたとしても、あるいは、病苦と貧苦に泣かされ生まれてこなかった方がよかったと思う人生だったとしても、いずれも行き着く先は平等な死でしかなかった。
死が平等なのは、死後の世界へ持ち越すことができるものが、どのような人生を歩んだ人間であろうが同じであることだった。死という厳しい現実からすれば、生きている間のことなど、夢のまた夢、幻のようなものだ。幻と分かりながらもなお生きている時間を楽しくしようとする努力は、死という現実から生きている間だけでも目をそらせて、逃げていたいからにほかならなかった。
砂上の楼閣で生きているのに、砂を強固なをコンクリートと自らに思い込ませ騙しているに過ぎなかった。死の現実は知っているが認めたくないのだ。認めれば、どのような生き方をしたとしても全く意味をなさないからだ。いつ死んでも全く変わらないことになるからだ。地球上に存在する無数の生物が、生死生死と繰り返している中で人間の一人の死などどうでもいいことだった。まして、世界では戦争状況の中で殺されている人間は非常な数に上っている。私一人の死など、取るに足らないことのように思えた。
私は、生きている現在において、生きる必要性を全く感じなかった。所詮は、人間は一人残らず、食事をして排せつをして眠る、この繰り返しに過ぎない。その年数が短かかろうが、長かろうが、どうでもよいことのように思えた。いつ死んでもよいと思った。
また、過去は私の現在の生を否定するために存在した。この時まで生きてきた中で無数に体験し、行為したことは、ほとんどが生きて行くことを嫌にさせる事だった。高一の時の自慰を見られたことから出発して、思い出せば思い出すほど、考えれば考えるほど、生きていることが辛くなることばかりだった。そして過去の行為にはすべて、人間として許されない罪を犯したという意識が色濃く心に染み付いていた。
罪を犯すといっても殺人を為した訳ではなかった。ある時などは、駅から下宿に帰る間のささいなことが心を苦しめた。
私は駅前の雑多な建物を通り越して、田んぼと畑のあぜ道のようなところを通って下宿に帰っていた。途中で小学生低学年くらいの女の子が一人で、土の団子を作って道のそばに並べて遊んでいた。
私は何気なくその子の顔を見た。女の子も私の顔を見て目が合った。すると急に女の子は目を逸らし、深刻な顔になって土の団子を潰して、駅の方へ逃げるように走って行った。
私は誰かに頭を殴られたような気がした。私の顔と目つきはおそらく、怒りの表情になっていて、その子は怒られると思って恐怖心を持ったに違いなかった。その恐怖心は、せっかく楽しく遊んでいた女の子の心を一瞬にして傷つけ、暗くおびえさせるものにしてしまった。
あの小さな女の子は、家に帰ってもなお頬を引きつらせ、本来であれば楽しい一家の団らんを、苦しい思いで過ごさなければならないだろう。さらにそのトラウマは、女の子の生涯に渡って消えることがないに違いない、と思うと下宿に帰る気になれなくなった。
私は近くのお菓子屋で女の子が喜びそうなものを買って、駅の方へ引き返した。恐怖心を持たせてしまった女の子にお菓子を渡して、
「私はとがめる気持ちなど全くなかったのだよ。楽しく遊んでいて、羨ましいと思ったのだ。これが本当の私の気持ちだから、分かってよね」
とどうしても言いたかった。そうしなければ私の気持ちが収まりそうにもなかった。
女の子の姿はどこにもなかった。私は一時間ほどもその子を探した。結局、見つけられずに下宿の部屋に帰った。私は取り返しのつかないことをしてしまった悔いに、ひどい自己嫌悪に陥った。
こんな嫌な思いを持ち続けながら、これから生きていかなければならないのかと思うと、いっそ死んだほうがましだと思った。お菓子は自分で食べたが、こんなおいしくないものが世の中にあるものかと思えた。
このような些細なことなどもすべて、罪として積み重なり、自分の命をもって償うべき罪状になった。過去を振り返れば振り返るほど、耐えられない程、生きるのが辛くなった。生きれば生きるほど積み重なった罪が重くなり、後悔しても後悔しきれず、増幅する懺悔の念は生を断つ力を強くしていった。
私に未来はなかった。私の唯一、最大の自信でり武器あった学力は、大学入試失敗、大学中退などと、粉々に砕けてしまった。
父との勉強会は他の子供たちとの関係を断つことになり、学力は伸びたが、自我意識ばかりが強まり、他人との普通の付き合いさえできなくなってしまった。その傾向は年齢を重ねても改善するどころか、ますます強くなった。
社会人となって仕事をするにしても、いくら他人との接触の少ない職場を選んだとしても必ず、大なり小なり人間関係の中で仕事をしなければならないのは当然だった。
それが私にとっては極度の緊張感を催させるし、人に対して恐怖心さえ感じられた。会社に入って良好な人間関係を保ちながら仕事をするなどということは、私にとっては到底できないことだった。家電メーカーでの仕事の失敗は、私にさらに自信を喪失させた。
今後の仕事のことを考えてみると悲観的なことしか頭に浮かばなかった。どのようによい方向に考えたとしても、現実社会の中で仕事をしながら生きていくということは私にとってはできないことだった。この自分が今後、社会で悠然と生きていけるような人間に変わっていくとは思えなかった。
過去も現在も未来も私の生きることを否定していた。すべてに絶望している中で、自らが自らの命を断つことができることだけが唯一つの希望となっていた。
月末に近くなって、母が下宿にやってきた。会社の方から私に連絡がつかないものだから実家の方に電話があったということだった。母は、
「息子はもう行かないと思いますので、会社を辞めさせてください、と言っておいたよ」
と心配そうな顔をした。母はいろいろと慰めてくれたが、私は話をする気力も出なかったので会話にはならなかった。帰り際に母は、
「来年、体に無理の無い、文系の大学に行けばいいじゃないか、とお父さんも言ってくれているよ」
と言って、生活費を差し出してくれた。
私には涙が出る感情もすでに無くなっていた。他人事のようにさえ思えた。
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