(三)就職

 これからは一切、親に迷惑をかけないようにしようと思った。そのためにはまず、一生涯勤め続けられるような大企業に就職するのが一番よいと思えた。扱うのはやはり電気関係がよく、それにあまり人と接することがないような職種を探した。

 求人情報を見ているうちに、大手家電メーカーの一つが、《工場での電気製品の組み立て要員》を募集しているのに目がとまった。これならば私に適していると思って応募した。両親には全く相談しなかった。それによって何か自分が一人前になってきているような気持ちになった。

 入社試験に行ってみると、五十人ほどの応募者がいた。そのほとんどは高校の新卒者で、まだ就職先が決まっていない者だった。ペーパーテストは簡単にできた。面接は、私の最も苦手なところだったが、ここで失敗すれば私の人生はあり得ない、と命をかけるようなつもりで声を出した。

 結果は合格だった。母に連絡すると喜んでくれたが、

 「いつ辞めてもいいから、くれぐれも無理をしないように」

と言った。

 勤務地は、下宿から一時間ほど電車に乗った所にある工場だった。出勤してみると体育館のような工場の一角に、テレビのチューナー部分を作る部署があった。そこに集められて説明を聞いた。

 当時、カラーテレビが急激に普及し始めた頃で、増産するための要員だった。テレビのチャンネルの切り替えダイヤルの裏には、それぞれの周波数におおよそ合わした小さなコイルが接続されている。私たち新入社員の仕事は、そのコイルのエナメル線をドライバーの先で微妙に動かしながら、チャンネルにピッタリと周波数を合わせる作業だった。周波数が合ったかどうかは、オシロスコープの波形を見ながら確認すればよかった。

 仕事は、椅子に座って手先だけを動かしておればよく、体力を使うものではない。苦手な対話もほとんどしなくてよかった。もし、後に部署替えになっても、病気のことを告げれば大企業なので配慮してもらえると思えた。私はこの仕事であれば生涯、勤められると思った。父の高学歴の希望には応えることはできなかったが、安定した職業に就いたことには安心してくれると思った。

 私は生まれて初めて仕事をした。生まれて初めて給料をもらった。今まですべて親からお金をもらっていたが、自分の仕事に対して他人からお金をもらうということが、少し大人になったような不思議な感覚を呼び起こした。

 さらに通院日には休暇を取って、高一の発病以来初めて一人で病院へ行った。しどろもどろになりながらも、病状を伝えることができた。これも私に新鮮な自信を持たせた。私は親から独立するということが、喜びを生み出すものだということを実感した。

 勤め始めると初めてのことが多く、緊張の連続であった。昼夜に関係のない生活をしていたので、まず朝、決まった時間に起きることが非常な困難であった。目覚ましは三個買った。そのうちの一つは起き上がって電源を切らない限り、音が鳴り続けるものだった。這ってでも出勤するくらいに腹を決めていた。

 私はこの仕事こそ私を救ってくれる唯一のものだと思った。もしも仕事ができなくなったら、という仮定のことはいっさい頭から消した。今の仕事ができなくなったとしたら、大学にも行けないし、何もできない自分が残るだけだ。そうなれば生きている意味がないと思えた。そんな自分を想像したくなかった。人生を賭けて仕事をやり遂げるしかないのだと決意していた。

 今までにない緊張感の連続で、一月半ほどは遅刻もせずに出勤することができた。ところが徐々に慣れてくるにつれて、仕事が苦痛に感じられるようになった。やがて耐えられないような強迫観念に襲われるようになった。それは我慢するとか耐えるとかというレベルのものではなかった。

 例えると、大空を自由に飛んでいた小鳥を小さなカゴの中に入れたようなものだった。鳥は捕らえられて自由を束縛されるカゴに対して、自ら傷つくことも顧みず、逃げ出そうとして激しくぶつかる。そのように私も目には見えないが、がんじがらめに縛られている何重もの綱を必死になって切ろうとしていた。

 さらに、以前に読んだ書物の中に、ヒトラーがユダヤ人虐殺の方法として、何メートルもある奥の深い土壁に、人間一人がやっと入れるくらいの横穴を多数開け、そこにユダヤ人を押し込めたと書いてあった。入れられたユダヤ人は体の向きを変えることもできずにそのまま断末魔の叫び声をあげながら死んでいった。

 その声が壁の穴のいたるところから聞こえてきたという。私は椅子に座って作業することが、ナチスの拷問を受けていることと同じように感じられてきた。人間の本来の生理的働きを外圧によって強制的に阻止されている感じだった。

 この感覚が日に日に高じていった。座ったまま気を失いそうになることも何度か続くようになった。

 ある日、私は心臓の動悸が激しくなり倒れそうになったので、手を動かすのをやめて目をつぶって耐えた。やがて気を失うように眠っていた。どのくらい経ったか分からなかった、中年の係長が私の肩をたたいて、

 「眠って仕事はできないぞ。給料をもらいたいのなら働け」

と大声で怒鳴った。隣で同じ作業をしていた若い女子工員が私の方を見てさげすむように笑った。さらに係長と目を合わして親しそうにうなずき合った。

 私は出刃包丁で心臓を刺されたようなショックを受けた。心はズタズタに切り裂かれた。隣の女子工員と係長とは間違いなくいかがわしい関係ができていて、私が眠っているのを女子行員が係長に告げ口をしたのだろう。そして二人して、ちょっとした物笑いのネタにしてやろうと思って、私をさらし者にしたに違いと思えた。

 私はその後、終業時間まで、二人をどのようにして殺すかということばかりを考えて手を動かしていた。チャイムが鳴り次第、社員食堂の炊事場に行き、包丁を持ち出してきて、帰ろうとしている女子社員と係長を刺し殺してやろうと思った。

 やがて終業のチャイムは鳴ったが、私は行動に移せなかった。

 下宿に帰るとすぐに病院からもらっている薬を取り出した。薬は、体調不良で予約日に行けなかった時のために、毎月、数日分ずつ余分に出されていた。この時は余りが半月分くらい溜まっていた。私はその中から精神安定剤と睡眠剤を十日分取り出して飲んだ。そして頭から布団を被って寝転んた。

 どのくらい眠ったかは分からなかったが、途中で、下宿の管理者の婦人が部屋にやって来て何か言った。私は、寝不足だから寝かせておいてくれ、という意味のことを言ったような気がした。すべては濃い霧の中の出来事のように思えた。

 結局、私は二日と半日、眠り続けていた。管理者の婦人が来たのは、食堂に私の食事や弁当が残ったままになっていたので、心配して様子を見に来たのだった。

 起き上がると、少しでも頭に振動を加えると激しい頭痛が頭全体に広がった。そして吐き気がした。少しずつ頭の働きが戻ってくるにつれて、今にも係長と女子工員が下宿にやって来て、私をなじるのではないかと心配でならなくなった。不安でいたたまれなくなった。私はフラフラしながら下宿を出た。

 途中、薬屋で頭痛薬を買い、自動販売機でジュースを買って三回分を一度に飲んだ。しばらくすると頭痛は少しおさまるような気配だったが、頭は混乱の極みに達するように思えた。脳みそが鋭い刃物でかき回されてグチャグチャにされてしまったような気がした。

 私は当てども無く電車に乗った。そして、係長たちがもう来ないだろうと思える時間まで、あちらこちらとフラフラ歩いて時間をつぶし、暗くなってから下宿へ帰った。

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