(二)耽読
駅と下宿との中間付近に一軒の古本屋があった。私は特に本を買う気もなかったが、なんとなく立ち寄ってみた。長屋を改造したような店で、狭い店内にはこれ以上、本を置くスペースがないというくらい詰めて置かれていた。並べているのは、高価な古書というようなものではなく、ほとんどちり紙交換に出されるようなものだった。
店の奥の方に、板の箱の中に無造作に文庫本や小型の単行本が山のように積み重ねて置かれていた。板にマジックで《どれでも十円》と書いてあった。見ると紙が黄色くなったものや破れているものなど、ごみ箱に捨てられてもいいようなものばかりだった。私はその中から作者や作品名など関係なしに、何気なく三冊の日本の小説を手に取った。
私はもともと学校の教科書と参考書以外には書物は読まなかった。まして、はっきりと答えの出る理系の科目が好きだったので、小説などは国語の教科書に出ているもの以外に読んだことはなかった。だから逆に、見たこと無いもの見たさ、で選んだ。もし、全く読む気にならなかったとしても、三十円であればそれほど損ではないと思えた。
私はそれを持って、店主と思える三十代中ごろの男性の前に三十円と共に差し出した。その人は、周囲にうずたかく積まれた本の中に隠れるようにして、本を読んでいた。私の顔をチラッと見てから黙って受け取り、駄菓子を入れるような紙袋に三冊を入れて渡してくれた。その間、何も言わなかった。私も黙って受け取った。
無愛想ではあったが、私に好感を抱いているような表情だった。私も、都会の、言っても言わなくてもいいような事をベラベラしゃべる人間と違って、何も言わずにいやな顔もせずに三十円の本を売ってくれた店主に少し人間の温かさのようなもの感じた。
私は三冊の小説を持って部屋に帰ると、敷きっぱなしなっている布団にゴロリと横になった。そして一冊目の本を取って読み始めた。それが誰の何という作品かは今の私の記憶にない。あまり有名なものではないのは確かだ。生まれて初めて読む単行本の小説だった。
読み進めるにつれて私の心に大きな衝撃が広がっていった。
「世の中に、こんなすごい世界があったのか」
と体が震えた。私は文字を通して完全に小説の世界の中に入り込んでしまった。小説の中で息づき、小説の中で人生を生きている気がした。小説の主人公と同化して、喜びも悲しみも実感でき、現実に小説の場面に自分が存在していると思えた。その日のうちに三作を読んでしまった。同じ小説が一作もないように、私は作品ごとに新たな体験をした。
私は古本屋にひたすら通うようになった。そして十円の文庫本の中から小説を一度に十冊ずつ買ってきた。そして布団に横になって読み続けた。寝る時間も決まっていなかったし、起きる時間も朝食と夕食の時に目を覚ませばよかったので、ひたすら小説を読んだ。
読んでいて眠たくなると本を読みかけのところを開いてうつぶせに置いて眠った。目が覚めるとその本を取り上げ続きを読んだ。その間に適当に食事や風呂やトイレなどに行った。身体を動かすのは最低限にして、目の開いてる間は小説を読み続けた。
いくら読んでも飽きることがなかった。新しい作品を読み始めると新しい同化の感覚に心が満たされた。実際には、三畳の狭い部屋での生活であったが、頭の中では、無限で無数の小説の世界の中に生きることができた。これは、精神の異常さに苦しみ続けてきた私の心を新たな救いの世界へ導いてくれるものだった。
私は読みによんだ。読み続けることが、救いだった。読むのをやめれば、苦悩の現実がのしかかってくるだけだった。
私はほぼ一年弱こんな生活を続けた。読み終えた小説は部屋の隅から積み重ねていった。高くなって倒れそうになると横からまた積み重ねていった。部屋の周囲は本の積み木のようになり、寝ている布団だけが立ち居できる場になった。
本の山はさらに幅も高さも日を追うごとに増していった。私がこれだけ十円コーナーの本を買うのに、古本屋の積まれている本はいっこうに減らなかった。ますます十円コーナーの本が増えるような気さえした。店主はいつも本の壁に隠れて本を読んでいたが、相変わらずものも言わずに本を売っていた。どうやら話をするのが苦手のようで、私と似ていると思うと親しみが感じられた。
一年生の年度末になった時、学校の事務所で単位認定票をもらった。開けてみて、予想していたとはいえ唖然とした。一応、前期後期の試験だけは受けていたが、一年間でとれた単位は一般教養の一つの科目の二単位だけだった。もちろん進級できるわけはなかったが、一般教養中心の二年生までは留年ということはなかった。
最初の関門は専門科目が多く入ってくる三年生になれるかなれないかであった。一年で二単位しか取っていなければ、二年生でどんなに頑張っても三年になるための単位を修得することはできなかった。一年先の留年は決定していた。
私は身を削るようにして学費を工面してくれている両親のことを思うと、とても、留年のことは言い出せなかった。そうかと言って、私の生活は変わらなかった。ひたすら空いた時間をつくらないように読書にふけった。
やがて私は、小説から哲学書、宗教書までも読むようになっていた。狭い古本屋の十円コーナーの中には、世界や宇宙をも包み込むような深い内容の書物も多数混じっていた。私はフィクションの世界から、人間存在の意味、宇宙の存在の本質へと書物の世界の中で分け入った。
その中でもキルケゴールの『死に至る病』には非常に感動した。絶望という言葉に言い知れぬ親しみを感じた。日本の、名もない一学生の私とキルケゴールという偉人とは、同じ人間の存在としては変わりはないのだと思うと、心が慰められた。
また、岡本かの子の仏教書には行間から母のような温かさが感じられ、仏教の内容よりも作者の人間性に平穏な気持ちにさせられた。さらに、クーンの『神を求めた私の記録』を読み、本当に神が存在するならば、私をこそ救って欲しいという祈るような気持ちになった。
読書はいつまでも続いた。一冊一冊の本に新たな驚きと感動を感じながら読み続けた。やがて部屋に積み重ねた本が布団の回りまでも胸のあたりの高さにまでなってきた。地震でも起これば崩れて、私は本に埋められるのではないかと心配にさえなった時、二年生の年度末がやってきた。
私は諦めの心境で大学事務所で単位修得票をもらった。開けてみると、偶然にも一年生と同じく、一般教養の二単位しか取れていなかった。当然、三年生への進級はダメだった。両親の落胆する姿を思うと私はふと、このまま親には言わずに四年間行った後で、卒業はダメだったと言おうかと思った。
しかし、二年もの間、高額な授業料を捨てさせることは、今言うよりもはるかに罪深いと思えた。と同時に、この調子では何回留年したとしても卒業は無理だと思えて、学校を中退して仕事をする決意をした。これ以上親に迷惑をかけることは人間として許されるものではないと思えた。
私は久しぶりに親元へ行った。古い木造二階建てのアパートだった。管理室は玄関のすぐそばの一番狭い部屋だった。城辺町の家に比べれば物置程度の広さだったが、母の精神状態にとっては良さそうだった。部屋が狭いので小便用の空き缶も置けず、トイレに行っていた。また、入居者から色々と用事を頼まれて、布団の中で空想にふける時間もなくなっていた。環境や人間関係の変化が母の精神状態を鎮めているようだった。
私は留年のことを言おうと思ったが、なかなか切り出せなかった。いろいろ話をしていると母が、
「毎日々々、インスタントラーメンと食パンの耳ばかりだから、ラーメンのにおいを嗅いだだけで吐き気がする」
と顔を歪めた。父は、
「インスタントはおいしいぞ」
と母をとがめるように言った。私はこのまま会話を続けているとますます言えなくなると思ったので、唐突に、
「学校はダメだった。留年になった」
と沈んだ声で言った。父母ともにあまり驚かなかった。
「病気なのだから仕方がない。療養しながら、何年かかっても卒業したらいいじゃないか」
と父も母も同じことを何回も言ってくれた。私は学力的についていけないので、大学を止めて働くと言った。そうすると父は、
「理系の大学は勉強がきつくて病弱な者には無理だから、仕事をやるのもいいが、一年間ゆっくりして来年、文系の大学に行けばいいじゃないか」
と静かに言った。
私は涙が出てきて仕方がなかった。泣きながら、私は何があっても正式な会社員になって、自立しようと深く決意をした。
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