(四)性の歪
私が下宿をしていた家は、宇和島市の郊外に建っていた大きな屋敷だった。学校が紹介してくれたところだ。広い玄関を入ると左手の方が母屋になっていて、右手が離れになっていた。広い中庭をコの字に囲むように建てられ、庭の背後はそのまま小高い山へと続いていた。家主として住んでいたのは五十歳前くらいの女性で、一人暮しだった。母屋の広い客間で週に一回、生け花を教えていた。若い女性の生徒ばかりで七、八人が習っていた。
下宿生は私以外にもう一人、別の高校の生徒がいた。その生徒は母屋の玄関脇の部屋にいた。私は二十畳ほどもある広い離れを一人で使っていた。庭に面した側は全面が透明のガラス戸になっていた。それには長いカーテンがつけられていたが、開けておくと庭に植えられた植物や飛んで来る小鳥の様子がよく見えた。
ガラス戸のもっとも玄関に近い一枚が出入り口になっていた。踏み台として、人間の手では動かせないような大きくて平らな石が置いてあった。そばには水道の蛇口がついていて、水受けにこれまた立派な石の手水鉢が置かれていた。部屋の中から出入り口のガラス戸を開けて腰をかがめればはそのままで手を洗うことができた。私は勉強用の挫卓を奥の方に置いて出入り口には背を向けて座るようにしていた。
バセドー氏病という病名が分かってから、毎月、学校を休んで通院しながらも、どうにか通学は続けることができた。しかし、学校でも下宿でも全く勉強が手につかなかった。
夜、下宿では眠られず、昼間、授業中にウトウトするという生活が続いた。その分、家庭学習をしっかりしなければならなかったのだが、いっこうにできなかった。一学期にはあれほど予習復習が緻密にできたのに、毎日朝晩飲む薬のためか、病気自体のためか、勉強しなければならないと思って座卓の前に座るのだが、教科書やノートを出しても全く集中することができなかった。
このころは、頭がボンヤリとしているのではなかった。逆で、頭の中はいつも様々な想念で嵐のごとく渦巻いていた。その想念の行き着く先はたいてい自慰行為につながった。
ある夜のことだった。母屋の方では生け花の教室が開かれていた。私はこの夜も机の上に置いた教材を長い間、ただ見ているだけで時間をつぶしてしまった。私はやがて隠し持っていた風俗雑誌を、これは実家にあったものをこっそりと持ち出したものだったが、机の上に広げグラビアを見ながら自慰行為を始めた。終りには仰向けになって射精しかけた。
その時だった。後ろの出入り口のガラス戸からガタガタと大きな音がした。私は驚き慌ててズボンのチャックを閉めて起き上がり、後ろを振り向いた。カーテンは一応閉めていたのだが、雑にしていたので出入り口のガラス戸の半分くらいまでしか隠れていなかった。透明ガラスの向こうに、三、四人の生け花の生徒と家主の顔が見えた。そして家主はガラス戸を手でガタガタとたたいて、生徒を連れて母屋の方へ消えた。
私は衝撃のあまり、めまいを感じながらガラス戸のところまで行き、カーテンをしっかりと締めた。その時、カーテンはいつも戸の半分くらいしか閉めていなかったのに気がついた。いままでにも何度も見られていたのだった。
私は錯乱する頭の中で、必死になってこの状況を理解しようとした。数時間考えて、どうにか間違いないと思える状況判断ができた。
これまでに、生け花の教室が開かれている時に何回か、若い女性の生徒たちに玄関で出合ったことがあった。その時にはいつも、生徒たちが私の方を見てニヤニヤ笑い、指さすようなしぐさをして、皆でヒソヒソ話をするような様子であった。悪意の雰囲気はまったくなかったので、私は自分がかわいらしい顔しているので、うわさにでもなっているのか、と少し気分を良くしていた。
しかしそうではなかったのだ。私の部屋の出入り口のそばにある蛇口は、生け花の生徒たちが草花を切ったり洗ったりするのに使っていた。教室が開かれた後には手水鉢のそばに置かれたカゴの中に、たくさんの草花の切り捨てられた物がたまっていた。この洗い場から私の様子がよく見えたのだ。そのうわさは十人弱の生徒みんなに知られていたのだろう。そして何人も私の自慰をするところを見ていたに違いなかった。それが家主の耳に入り、私に口で注意するよりも現場で見られている ことを教えてやった方がいいと思ってガラス戸をたたいたのだと確信した。
私はぼう然として部屋の中に立ちすくんだ。自分の心が日本刀でズタズタに切り裂かれ、突き刺されたのを感じた。深い傷だらけで血まみれになった心は、生涯、二度と治癒することはないだろうと思えた。一生涯、傷を背負ったまま生きていくしかないと思った。私の全人格はボロボロに破壊され、取り返しのつかないほど元の形を失っていた。
健康な人にとっては笑い話で終わるようなことが、精神疾患の人にとっては一生涯の傷として心に残る。それは折りあるごとに心に蘇ってきて、そのたびに懺悔の思いに沈み、人生そのものを暗くする。時には自殺のきっかけになったりもする。
私が性について持っている観念は、言葉を並べると、罪悪感、禁忌感、拒絶感、淫靡感、冒涜感等々最大のマイナスのイメージだった。それは性の根本を否定するものだった。
これらは現在の私にもあり、過去に性によって心を傷つけられた事柄を反芻するたびに、空しい絶望の思いに全身が包まれる。だから、性についての記述は極力省いて、必要最小限のものにしたいと思う。ただ、性の問題が私の精神疾患の大きな部分を占めているのは確かだ。どうしてこのような性に対する観念が出来上がったのかを追求すると、私自身の本質に迫っていくように思える。
この性に対する観念は、父母から教えられたものではない。幼少年期を一緒に育った兄や姉は普通の捉え方をしている。だから少なくとも、生まれて育った環境の影響によって出来上がったものではないことは確かのようだ。生まれたと同時に無意識の精神の根源にすでに要因が備わっていたといえるのかも知れない。
精神疾患と性の歪の関連性を指摘する学説もあるようだが、その真実性や普遍性は別として、確かに私自身のことを内省してみると十分にうなずけるところもある。
私はこの夜のことがあってから、誰とも目を合わすことができなくなった。翌朝、食事の時から家主と顔を合わさなければならなかったが、顔どころか、私の視界の中に家主の体の少しの部分でも入ってこないように顔を始終背けなければならなかった。そしてお花の教室がある時は、生徒が来てから帰るまで全く部屋から出ないようにした。その間、いつ生徒が帰るのか、わずかにしか聴こえない母屋の音に聴覚を集中させて様子をうかがっていた。
また、学校に行っても級友の誰とも目を合わすことができなくなった。そして話すこともできなくなった。たまに必要に迫られて友達と話をすると、これ以上赤くならないというくらい赤面した。話しながら、
「自分は恥ずべき人間で、友達と一人前に話をする資格のない人間だ。ホラッ、相手は私の方を見てあざけり笑っているではないか」
と胸が苦しくなるほど感じるようになった。それで話さなければならないような状況から極力逃げるようになった。
さらに全く関係のない人間に対しても忌避感を持つようになった。下宿している家の前には、他の高校に行っている兄弟が親と共に住んでいるのは今までに時々見て知っていた。これまでは何も意識することはなかったのに、この二人が道路に出てキャッチボールを始めると、その掛け声やボールをグローブで受ける音が恐怖心を催させるようになった。
兄弟が家の前にいる時に私が出ると、間違いなく二人は私を見て軽蔑するだろうと確信した。二人とも体格がよく、スクスクと育っている高校生だった。それに対して私はやせた貧弱な体で、いかがわしいことをしていると思うと、二人から見ればまさに蔑視に値するだろうと思った。
見下され惨めな思いをすることが怖くて仕方なくなった。だから下宿を出る時にはいつも道路の様子をうかがって、兄弟やそれ以外の人も誰も通っていない時を見計らって玄関を出るようになった。
私は自分の生活空間が自分自身を押し潰してしまうのではないかと思うほど狭くなっていくのを感じた。
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