第80話 エピローグ3
この社会の中で生きていると、いつか自分が自分でなくなる気がしていた。
小説を描き始めていた頃は辛く苦しい毎日だったが、何かひらめくたびに充足した気持ちを味わうことが出来た。
もっといろいろなことに悩み、もがき苦しんでいたように思う。
しかし今は生きていて悩むということがほとんどない。
システムの元で生きていると自分がすべきことが明瞭であり、その通り生きていれば滞りなく生活は満ち足りていく。
不満という概念が消え去り、葛藤や思い悩むこと自体が減っていった。
おそらく私だけでなく多くの人民が。
社会のシステムに疑問を抱かず、生きる意味やヒトとしての能力を見失っていくのだろう。
やがて人はヒトではなく、人形になっていく。
まだ多少頭がさえていた頃、
ふと私はもしもう一人私がいればどうなるだろう?という考えが頭によぎった。
その彼が生まれながらにこの社会で育てば、今の暮らしを享受するだろうか、それとも・・・・。
そんな時ある研究フォーラムにて、クローン技術が実用段階にあることが発表されていた。
さっそくそのクローン研究の第一人者に接触を図り、クローンを生み出してもらえないかと依頼してみる。
その研究者は多少顔を歪ませて、私を軽蔑した視線で見ていたが、
この研究における人民の好意的な後押しを、論調で打つことを引き換え条件として提示すると、しばらくして応じましょうと返事があった。
しかしこれに関してはアナタだけの特別待遇で、あくまで実験であるのでご承知をと、なお極秘事例なのでけっして口外しないでくださいと、研究所の医師に釘を刺される。
自分の皮膚と毛髪を提供し、そこから私のクローンは無事この世界に誕生した。
それからおよそ5年が経過し、
自分のクローンとはもちろん気味悪くて一緒になど暮らしてはいないが、すでに頻繁に顔は合わせている。
私が住むマンションの別の階にもう一人の私は暮らしていて、すくすくと成長をしているようだった。
もしかしたら予期せぬ病気や、寿命が短くなる可能性もあるといわれているが、それはもう一人の彼の人生なのだから、彼にとってより良き社会システムの元で、乗り越えてもらえればと考えている。
それよりはむしろ、これからの彼がこの規律正しい社会に一体どのような反応を示すか、順応するかそれとも反発するか、そちらの方に興味があった。
私が出来なかったもう一つの人生を彼にかなえてもらいたい。
ゲームのアナザーストーリーを見るように、どこかよこしまな感情で見守っていた。
彼にはひそかに、この社会に反抗の姿勢を示してほしいと心の中では願っている。
一見疑いようのない今の暮らしだが、
様々なひずみを抱えていることを私は知っている。
声も出せず苦しんでいる人たちが、日に何百人も処分されている。
その光景を私は見たことがあった。海外の動画投稿サイトに一瞬上がってはすぐに消えていく。
システムに適応できない人民として、矯正施設へ送られる人たち。
(その後治療を受け社会に戻るということだったが、戻ってきた人などいない。)
アチラの体制下にいた時、世界中の多くの情報に触れることで日本の現状、これからの予想される未来を探っていた。
日本内戦の最中、解放軍と戦った多くの日本の人たち。レジスタンスや同盟軍の人たち。
その人たちは、形の上では日本が安定状態にある今もどこかで戦い、もがき苦しんでいる。
私はそんな人たちをあざけ笑う小説やエッセイを、向こうの安定した暮らしを享受する立場の元で書いてしまった。
システムに従って生きていれば何も不平不満など起こるはずがないと。
自由の名のもとに格差や争いを助長する制度、民主主義などもはや時代遅れの旧世界の産物だと、糾弾する論調を張った。
思ってもいないこと、書いてはいけないことだった。
強い権力を持つ人たちに従って、システマチックに書かされた私の文章は、一体どれだけ多くの人の心を変容させ、どれだけの人たちの命を削ることになったのだろう。
できることならもう一度書き直させてほしい。
ヒトが歪んだ欲望で人を支配していく構図を、
強権的なシステムの元で人の心が失われていく過程を。
そこから人々が自由を取り戻し、意識を、自我を解放していく物語を。
皮肉を交えてあざやかに描写出来たなら、
たとえそれが誰にも受け入れられないとしても、どんなに胸がスッとしたことだろう。
おかしなことはおかしいと、
強権的な社会を痛烈に批判できる作家になりたいと、いつも思っていた。
私が生きてきた過程で、
変容する社会で生き始めた当初に、感じ取ってメモしていたことだ、
だが知性が衰えた今の私には、もうそんな力も気概もない。
だからもう一人の彼に、いや彼だけでない。
社会の片隅のどこかで、今はまだ飲み込まれているかもしれないが、社会のおかしさに気付いている人たち、どうか勇気をもって立ち上がって、声をあげてほしい。
この社会はどこか、いやかなりおかしい、
気味が悪い!と。
今はまだ隠れて、息をひそめてくれ。
いずれ仲間を見つけた時には、恐れずにコミュニケーションをとってほしい。
議論なんてもってのほかで、もう誰も何も感じなくなって、人と意見も交わさなくなった社会でも。
滞りなく社会経済が回りさえすればいいと、文句ひとつも言わなくなった社会でも。
それをみんなうすら笑みを浮かべながら満足していたとしても。
おかしいことはおかしいと言い続けなければ、人は存在を見失う。
だからどうか、この世界の人々が全て人形になってしまう前に、
私の手記を読んで違和感を感じたなら、どうかもう一度やり直しの糸口を見つけてくれ。
『五島先生、先日の執筆内容について修正が入っています。
新作小説『無碍の花』について主人公の感情があまりに体制に対して反抗的ですね。
ヒトの思考を揺さぶる要素がいくらか検出されて、システムへの疑問を挟む内容だと評価されています。
エンターテインメントはもっと単純に正義が悪を打ち滅ぼす。そのようなものでいいのですよ。
共産主義圏における文化産業のあるべき姿について、もう一度自己検閲してください』
「はい分かりました。次はヒーローものか学園ドラマ、または悲恋ものあたりで単純に人民が爽快になれる作品を改めて考えてみます。
また戦乱小説が大衆のモラルにどのように影響をもたらすかについてのコラムは、この度の分析反省を含めて、今日の24時までには執筆を上げる予定です」
思想も管理されている。
きっと今の心拍と脳波から、私の考えは読まれているに違いない。
作家であるからこそ許されているが、一般の人間においてこの測定データが出れば社会からは消えさる。
この文を書いたら私は眠る。
そしてまた明日にはまた一つ、モノを考えなくなっている。
あと残り何冊執筆をすれば、私はコチラで価値無しと判断されるのだろう?
誰もがそう、何も考えないのを理想の生き方とし、自分の価値を役割や生産性におくようになっている。
コチラで生きていて、日ごろ目を向けない路地や片隅、地方にはおぞましい光景が広がっている。
がんじがらめの社会で生きられない人たちが、施設の囲われた檻の中でまるでモノのように放置され、処理されている。
それに誰も気づかず、見ないようにしている。
私が身をもって示したように、
コチラの計画的な社会システムは、自由主義経済よりもっと歪んでいる、
人の歪んだ欲望や、願望がいくらでも叶えられてしまう。
一部の人間の歪んだ欲が先鋭化していくと、だんだんと恐ろしい世界が現実化して、広がっていく。
このままではいずれ人は消え去る。
おそらくほとんどの人民は役目を果たせず、計画的に動けない奴らだと。
生産人口だけ事足りれば、あとは環境を乱す余剰人員だとだんだんと処理されていくだろう。
いまもそう、私は知っている、人が計画的に減らされていることを。
疑念や疑いをもってこの社会を見てくれ。
希望や葛藤、嬉しさや悲しみ、迷い。
人が感じるありとあらゆる感情を、どうか捨てないでほしい。
思考をすることをやめてはいけない。
何の感情も感じない、決められたとおりに動く人形になってはいけない
どうか、感じ、考えることをやめないでくれ。
命をかけても、自分の考えを、誰かに譲らないでほしい。
もうほとんど感性の無い私の身勝手な願いだろうが、せめて最後の小説として、これをつづる。
どうか誰か、私の代わりに、
この社会を糾弾する小説を描き、自由を、
わずかつつでも自分たちの手に取り戻してくれ。
頼む。もう一人の私が、私たちが・・・・・・、
自由な未来を選び取れるように。
せめてもの罪滅ぼしとして、私はこの手記をつづる。
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この物語はフィクションです。実在する企業・団体・・・・・・。
※この手記は適正な手続きを経て発効された出版物ではありません。
個人間での入手・販売・売買、取引、外部への持ち出し、コピー、印刷することは一切許可されていません。
当文書は、健全社会規則法 第二百二十七号
人民の思想、行動原則に関する条項に違反する内容が含まれております。
この文書を閲覧した者、ならびに所持している者を発見した人は、当局への速やに出頭または通報をしてください。
またその際には、人民更生施設にて矯正措置を受けることが義務付けられています。
この忠告に従わず、この文章を流通、流布、頒布させる目的に利用すれば、
10年以下の懲役、ならびに資産没収、人民コードのはく奪がなされる可能性があることを考慮ください。・・・・・また、
小説家人形 五島タケル @shinomiya21
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