第9話 邪魔者

 尾行対象である奥さんは突然後ろを振り返ると、三島の姿を認識したのだろうかじっとりと見つめている。

しかし奥さんの視線にまだ疑念の感情は感じられないと判断した三島は、引き続き尾行を続行する。


 やがて暗い路地に入ると、一本の角を曲がったところで突如三島は腕を掴まれ、通りの奥へと引きずり込まれた。

『ねぇ、私のことずっと追っかけてたでしょ?』

 奥さんが三島のシャツの襟をつかみ、脅すように問いかける。


 おぼろげなライトの光が当たって見える奥さんの姿は、資料にあるような優柔不断で受け身な女性とはまるで印象が違うと三島は感じた。


『私はね、ただ誰かに利用されてあげてるの?フフッ分かる?そう感じさせてあげてるってだけ。そばにいるだけの女でいてあげるの。

・・・・だからね探偵気取りのお兄さん、

これは不倫だとかそんな矮小な問題で片付けることではないわ。ウフフッ』

 

 そうつぶやくと、ゆっくりとした動きで顔を三島の前に近付けた奥さんは、

ペロッととつぜん三島の唇を舐めた。


 『んっ!?』

瞬間的に三島は顔を背ける。


 しかし執拗に主人を相手にした犬のように唇を嘗め回している奥さんは、やがて舌の先をとがらせて突き出し、三島の口の中へと突き入れた。


『んっ、うんっんっ』

三島は耐えきれずにそれを受け入れる。


『あっああん、ううぅそおっ。いいわよ』

奥さんは舌を這わせて三島を口の中で愛撫し、制御不能な感情のるつぼに溶け込ませる。


『奥さん・・・・はぁオレっ・・もうっ』

『フフッ、我慢できない?いいわよ』


 既に素行調査としては完全に失敗だが、一時の感情に従う獣と化した三島は奥さんをホテルの部屋に連れ込むと、その幾人もの男たちを惑わせているという熟れた肉体をむさぼることにした。


―――――――――――――――――



「・・・・あの、ちょっといいですか君?そこで何やってますか?」


「まずは谷間の稜線に指を這わせ・・・・・」

「おいっちょっとキミ!手を止めて聞いてもらえますか!」


「ちっ!っせーなあ~、なんだよ!?」

「あのーすいませんが職務質問ってやつでして。お兄さんここで何してます?」


 また来た、警察だ。

ここ最近何度も止められるが、今日に至っては特に多くてもう三度目だ。


「いやっ特に何も。ご飯食べるついでにちょっと資料作成してるだけなんで」

「ああそうですか。では感染者拡大予防の観点もありますんで、お食事済んだなら速やかに帰宅願えますか」

「はあ、分かりました」


 元から二時間おきには店を変える予定だったから、特に文句も垂れず忠告に従ってさっさとファミレスを後にする。


 私は文芸誌の新人賞を狙うため小説のジャンルを純文学に絞り、新作の執筆作業に取り掛かり始めていた。


 内容としては、何でも屋を始めた青年の物語だ。


しかし特に派手な仕事はなく、主に人間やペット探し、不倫調査をしながら覇気の無い暮らしをする青年の日常を淡々と描く。


 やがて流されるまま仕事をこなすうちに、知らず知らず社会の闇に脚を踏み込んでしまったみたいな物語にしようと考えている。


 現代社会を舞台とした青年のリアルな生き様を描写したいので、街の空気感を作中に溶け込ました方がいいだろうと考え、作業は家ではなくファミレスや喫茶店を転々としながら街中でおこなうことにしていた。

 

 時間や作業で区切りながら、ファミレスやコーヒーショップをブラつく日々。

どこへ行ってもかなり空いていて、店員も人との触れ合いを警戒して寄ってこず、その点では執筆するには快適な環境といえた。


 去年までならどこもやかましくてこうはいかなかっただろうが。

 

 ただ近頃、街中ではまた別種のやかましく騒ぎ立てる存在がいることには、いらつきと通り越してうっとうしさを感じざるをえない。


≪どうぞよろしくお願いいたします!この○○!○○!皆様、そしてこの御国のために、誠心誠意この○○が、お役に立たせていただきます!

どうかどうかこの○○を、皆さまのお力で国会へと送り込んでいただけませんでしょうかー!≫


 また回ってくる。

ひっきりなしに我鳴りたてる選挙カーの音が。

この異常な高音で何度も連呼するウグイス嬢の音声によって、集中はしばしそがれ執筆は中断し、そのたびに目を瞑り瞑想に入るしかない。


 するとそこへ、再び警察官が寄って来て、

『キミは一体ここで何してるんですか?』

と余計なことを聞いてくるのだ。


 いつからこの国の公僕たちは、民間の施設内までズケズケと立ち入り、

余暇を過ごしている市井の人々に失礼を働くようになったんのだろうか?


 あまりにも警察がうろつきまわっているのでさすがにおかしいと調べてみると、

どうやら今日はこの私のいる駅前付近で、

現政権のナンバー2の要人が演説をおこなうということが分かった。


 そのために警察が朝からウロチョロ周り不審な人物に手あたり次第声をかけているというわけなのか。

どうやら私は石でも投げかねない存在としてマークされているということか。


 こういう異常な警戒態勢にも政権の焦りを感じさせる。


 ウイルス騒ぎは今や現政権が見下すアジア各国でも落ち着いている状況で、

日本だけがいまだ終息の兆しを見せず、震源地といわれる状況だ。

 安定していたはずの政権への支持率は、ここのところ下がる一方。

なのにここにきて突如、衆議院を解散して総選挙に踏み切った。


 普通に考えれば何をバカなと思うかもしれないが、どうやらそこにも内閣ブレーンたちによる計算があるらしかった。


 このウイルスが蔓延した状況では投票率が落ち込み、盲目的に現政権へ票を放り込む組織票がかなり幅を利かすということ。


 もとより一般人において政治不信が長引く日本では政治家への期待に乏しく、

対抗馬になる存在の野党も不甲斐なく、そもそもの選択肢が少ない。


 消極的な勝利を収めるなら、今後経済オリンピックの問題含め、悪材料が噴出する来年より、今のうちだろうと政権は選挙に踏み切ったということらしい。


 そのようにネットの解説には書いてあった。


 まあ私にとっても選挙などどうせ無能ばかりだし、誰が政治をやるかだとか本当にどうでもいい迷惑なイベントに過ぎないことが余計に腹が立つ。


 ただ小説の執筆に穏やかに取り組めるように、やかましく騒がない環境を整備し、大人しくベーシックインカムを導入するという政策でも入れてくれれば、私はその立候補者に投票してやってもいいが、そうでなければどの候補者にも票は入れてやらないと、心の中で忠告しておこう。


 

 駅のロータリーから下を見ると政権幹部が姿を現すのが見えた。

厳重に周りを十数人の取り巻きが囲んで警戒している。


 私は飲んでいたゴミくずのごときマズいタピオカミルクティーからタピオカをつまみ出すと、演説最中の政治家に向けてメッセージの意を込めて指で弾き飛ばした。


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