第8話 祈りの価値

 昨今の文学界における新人賞では、特に修飾語などで文章は飾りたてない、

いわゆる乾燥した文体の作品が好まれて受賞しているらしい。


 ラノベならいかにもアニメっぽく記号化されたキャラやストーリーが受け入れられるが、一般の小説、特に純文学などは現代を舞台としていて人々の心理描写を丹念に描くことに重きが置かれる。  


 毎度世間で少しだけ話題になる、

新人作家の登竜門といわれる芥川賞なんかもそうだ。

ほとんど私小説に近い内容で、若者たちの生態を乾いた文章で書き連ねているものが多い。


 そして文芸誌に載せやすく、なおかつ幅広い年齢層に読みやすいようなるべく簡潔に短いページ数で仕上げること。

それが昨今の新人賞における傾向のようだった。

 

 投稿サイトでのラノベ執筆に挫折した以上、本格的な小説への対策は事前にキッチリ練っておく。

そしていつでも書き始められるよう構想を膨らませながら、気持ちを盛り上げて日々を過ごす。


 

 次回作の執筆に取り掛かる前に、私は神社に神頼みに行くことにした。


 無論神様なんてものいっこも信じたことはないし、本気で信仰心のある人などこの日本にはほとんどいないのだろうが、都合よく神さまを利用するそこらの人間たちと同じ習性を私も抱いた。

 

 それにこれまでの私の境遇に呪いめいたものがあるんじゃないかと、うっすらとでもを感じてしまった以上、祈らないよりは祈った方がいい。


 仕事のことならと、商売繁盛の神様のいる神社にお参りへ行くことにした。


 神社の境内をくぐると意外なほど人が多かった。

正月や夏祭りの季節でもないのに、普段は閑散としているはずの神社の敷地内が、人込みであふれかえっており、街中の人出が少ない分、神社へのこの群がり方はある種異様な光景に映る。

 

 手水をすくっている人たちから漏れ伝わってくる話を聞くと、どうやら疫病退散の祈願に来ている、もしくは不況に苦しんでいる人たちがせめてもの神頼みに来ているらしかった。


 ウイルスによる不況などもはや人の力ではどうにもならんと、スピリチュアルな力に頼るのは、古来から繰り返される人の習性なのかもしれない。

社会に上手く適応できない私とて、それは同じことなのだから。


 商売用の神様がいらっしゃる本殿は人が群がっており、密集度を避けたい私はひっそりと木陰に隠れたお稲荷様が祭られている場所へ向かった。

狛犬がわりにキツネの石像が設置されており、その顔はいかにもひねくれ者といった姿で私の感性に合っている気がした。


 すぐそばの境内で、竹ぼうきを握って掃除をしている巫女さんと出くわす。

まだうら若く、白装束と朱のはかまのおかげか清楚な乙女の印象を受ける。


 鬱蒼とした森の中で周りには誰もいない。

ただ怪しげな造形物だけが鎮座して、鳥居をくぐる人に対してにらみを利かせているのみ。


 幻想的な雰囲気の中で、一人佇む巫女さんを見ていて自分が欲情にかられていることに気付く。


 しばし見とれて想像をしていると、視界がぐにゃりと揺らぐのを感じた。


 幻想的な空間で、特殊な衣装を身にまとった女性を目にしているせいか、想像と現実とが脳内で混濁し、その錯覚から視界にゆがみを生じさせてしまったようだ。


 私は社会に毒されすぎている。

ちまたにあふれるアニメ作品やポルノの影響か、このような神事に携わる清廉な乙女に対してもコスプレ嬢に向けるのと同じような不純な視線を向けてしまうとは。自分を恥じた。


 空想の世界に入り浸り過ぎていたことを戒めようと、コマ狐が両側を固めた鳥居をくぐり、賽銭箱に向かうと小銭を投げ入れ手を合わせる。


「まっとうな感覚を持った人間になり、

人に受け入れられるような小説が書けますように」


 漠然とした人間として、そして小説家としての成功を祈る。


 こんなものは形式的にお祈りをすればいいと分かっていながら、柄にもなく本気のお願いをしてしまった自分が少し馬鹿らしくなる。


 だがわざわざこんな場所へやって来たからには、儀式らしく誓いを立てたかった。

それは見えない神さまへというよりは、自分自身への決意表明に近い。


 自分の決意に恥じないように、心に響く素晴らしい作品を世に出さねば。

健やかな気分を得た私は背筋がピンと伸び、心が改まった気がした。


 

 お参りを終えた帰りに、近場にある商業施設内にある本屋へ立ち寄ってみることにした。


 最近発表された芥川賞の受賞作を調査のために見ておきたかったからだ。


 話題本のコーナーに、目立つよう平積みされているのをさっそく見つける。派手な赤色で飾り立てたハードカバーのがそれだ。


 ペラペラめくると文字が大きく、ページ数は150程度と少ない。その割には手に取ってみると案外分厚かった。

なんてことはない、表紙が分厚過ぎるのだ。


 銃弾はともかく、刃物等で襲われたとしてもこの本を胸に入れておけばおそらく助かることだろう。そういった利便性も昨今の受賞本には求められるのだ。


 肝心の中身の立ち読みを開始すると、確かに文体は乾いていて無駄な脚色が省かれている分スラスラと読める。

読みやすいことイコール面白いという意味なら、これも一つの考慮すべきポイントになる。

 

 勢いよく読み進め、途中からはそばに設置されている椅子に腰かけて、マスクも外して読み進めた。おかげで周りには人が寄ってこず集中して読むことが出来た


 ものの30分もしないうちに、読了しおえる。

感想としてはこれといって出てこない。特に何もしない青年の日常が淡々と乾いた文体で描かれているだけだったから。

やはり私小説に近いように感じた。

 

 言葉では時に熱くなったり、女性との肉体関係なんかもしっかり描いているものの、主人公の性格面などが特に描写されていないことは、あまりにあっさりしすぎて不気味な印象を受ける。

 

 それが今時の若者の生態を上手く捉えているというなら、時代にマッチした作品といえるのかもしれない。


 やはり新人賞というのはいつの時代であっても、その時代のムードに乗る。

そして性格面の描き方はそれぞれあったとしても肉体的な接触、セックスシーンは欠かさず描くというのがポイントとなると、読み終えた上で頭にメモることにした。


 

 書店を出る際、近くにあった販促用のフリーペーパーを手に取ると、読み終えた本をそれで挟むようにして、重ねあわせて本屋を後にした。


 そのまま近場にあった古本屋へ向かうと、なんとなく拝借してきた本を売りにだしてみる。

 

 査定としては50円だった。


 まあそんなもんかと納得した私は、

そのお金を持って再び神社に立ち寄り、商売繁盛の神様へ向けて投げ入れた。



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