1-2
校門を出て、駅まで歩く。
「依頼人の名前は、
「へえ」
太宰治と言えば、何だったろうか。あれか、人間失格とかメロスの人か。
「年は二十五歳。今年で二十六になるな。あ、あと俺たちの先輩だ」
「御原卒ってこと?」
「そうだ」
喋りながら信号をいくつか越え、商店街を抜けると、駅に着いた。
そのまま中のビルに入り、洒落た雑貨屋や服屋、文房具屋を抜け、エスカレーターを目指す。
エスカレーター前にはいくつかテーブルが置かれ、広場のようになっていた。一番手前の机にはレシート入れと、ボールペンやハサミがささったペン立てが置いてある。
レシート入れには明らかにレシートではない紙ゴミが捨てられているのが見えた。まったく、マナーを守らない人間もいたもんだ。
それを見ながらエスカレーターに運ばれていくと、ぎっしりと詰まった本棚の一角や検索用のコンピューターが見えてきた。その付近を白いシャツに緑のエプロンを付けた書店員が忙しく通り過ぎていく。
駅ビル二階全体を占める森瑛堂のお出ましだ。
私は人生でここの森瑛堂に入ったことは二回もなく、我が物顔で店内を闊歩する真宮に大人しくついて行くことにした。すると急に真宮は立ち止まり、大きく手を振りだす。
「おっ、いたいた。香菜さーん!」
目立つ行動を避けろと言ったのは一体誰だったのか。ただ、口に出して言うのはめんどくさく、私は静かに真宮の目線を追った。
そこには一人の女性が立っていた。
明るい色のふわっとしたしたセミロングを後ろでハーフアップにし、柔らかい笑みをたたえている。少し垂れ目気味の目はいかにも優しそうで、ゆるふわ美人といった印象の人だ。
「あ、和臣君! 久し振り〜」
女性も同じように手を振り返す。真宮がその女性に駆け寄ったので、私も慌てて後を追った。
「元気そうで良かったよ〜」
「いえいえ」
真宮が照れたように頭をかく。すると女性は少し体を傾けて、私の方を伺ってきた。そしてにこっと微笑むと、
「例の新メンバーちゃんかな?初めまして。木原香菜です」
「あ、初めまして。古谷です。古谷千尋です」
距離の近さに思わず後ろに身を引く。すると、
「あー、ごめんね。よく近いって言われるんだ」
木原さんは顔をくしゃっとさせて困ったような笑みを浮かべる。
「いえ、大丈夫です」
割と距離を詰めて喋るのは、木原さんの癖らしい。ならばこちらもそれに合わせて、にこにこと表面を取り繕う。
そのまま差し障りのない世間話を少し。真宮は近くの本棚をじっと見ているようだし、非常に和やかな空気が流れている……はずだった。
ふいに、木原さんの目に恍惚とした光が浮かんだ。
「ところでさあ……千尋ちゃん。太宰は好き?」
「えっ」
「あのね、青森出身でね、お母さんが病弱だったから、小さい頃は叔母さんとか乳母の方に育てられてたんだよ。それでね、その後は弘前高校に入ってね、東大に進学したの! 非合法活動とかもしてて、何かあの不安定さがたまんないんだよね!私が守ってあげなきゃって思うよね、ね?」
真宮に助けを求めようとしたが、奴は小説の物色に夢中でこちらのことには一切気づいていないようだった。あの、文学馬鹿め!
十分後。私はやっと解放してもらえた。真宮も物色を終えて、戻ってきた。この馬鹿には今度何かしらの報復をせねばならない。
「まあ、自己紹介も終えたところで本題、入りますか!」
あれを自己紹介と言うのか……。
まあ、その件は置いておいて。
木原さんの方を見やると、彼女は眉を下げて微笑んでいた。それから言う。
「ああ、ほんとありがとね。困ってたんだ」
「文学作品の売り上げ悪いんですか?」
訊くと木原さんは笑みを深くして、
「特別悪い訳じゃないんだけど、売り上げが上がったら、コーナーの拡大してもらえるかなって。そしたら、ね?」
「……」
つまり売り上げ関係なく、太宰を増やして欲しいだけなんですね?という思いはおくびにも出さず、とりあえず笑っておいた。
真宮がポケットから黒い手帳をとり出し、捲りながら問う。
「期間は日曜から土曜の一週間、であってますよね」
「そうそう。時間は最低一時間は居てくれれば、あとは帰ってもいいし、残ってもいいよ。しんどくなったら連絡さえしてくれたら、そのまま帰ってくれて大丈夫。あと個人の依頼だから、あんまり目立つ行動は避けてね。あと、文学コーナーの担当だから、もしかしたら近くに行くことがあるかもしれないけど、気にしないでね」
「はい!」
なぜか真宮が元気に返事をする。どう考えても返事をするのは真宮ではない。一人頭を抱えていると、木原さんは特上の笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、明後日からよろしくね」
そのあとは残りたがった真宮を置いて、一人家路を辿った。
****
土曜はぼーっとテレビを見ながら終え、日曜も危うく全く同じ日を過ごしかけたが、すんでのところで思いとどまった。
冬服である紺のセーラー服に腕を通してから、髪を三つ編みにする。そして次に真宮から渡された忌々しい伊達眼鏡を掛けた。あまり似合っていない。
両親はともに出掛けているので、鍵を持って家を出る。伊達眼鏡をよけながら眠い目を擦りつつ自転車にまたがると、私はゆっくりと漕ぎ出した。目指すは最寄駅だ。
乗り気じゃないからか体中が怠い。休日に制服を着るのなんか三月考査前の特別授業以来だ。その上周りの目も気になる。こんなことなら三つ編みは書店に着いてからにすれば良かった。
眠気をずるずる引きずりながらガラガラの電車に乗り、ぼーっと揺られること十分。学校の最寄駅に辿り着いた。
待ち合わせ場所は駅ビルの入り口にしていた。本当は私一人でも良かったのだが、真宮曰く「メンバーの初任務は見届けたいんだ!」だそうな。あんたはお父さんか。
入り口には既に真宮の姿があった。ブックカバーを付けた小説片手にガラス張りの壁にもたれかかっている。これで熱血馬鹿じゃなかったら、もっとマシなんだけどなあ。
ふと顔を上げた真宮は私の姿を見るなり少し目を見開いて、嬉しそうに顔を輝かせた。
とりあえずビルの自動ドアをくぐる。
横を通る小さな女の子がこちらをじっと見てきて、三つ編みは書店についてからすれば良かったと本気で後悔した。
周りの視線をごまかすように、真宮に話しかける。
「ていうか、なんで言ってくれなかったの、香菜さんのこと」
「え、言っただろ?」
あくまでとぼける気か。
「そういうことじゃなくて。めちゃくちゃびっくりしたんだけど」
「まあ、自称・太宰と同じ時期に生きていたら一番危ない女だからな。しょうがない」
「は?」
「いや、誘われたらすぐ心中しちゃいそうって、前言ってた」
「……」
今のままでも、充分危ない気がする。
「でも、悪い人じゃないだろ?」
「うん、まあ」
確かに優しくていい人ではあった。
まあ、そんなこんなで、今エスカレーター上且つ森瑛堂入り口付近である。
それから店内に入り、昨日と同じように真宮が木原さんを探し、手を振る。
「香菜さん、こんにちはー!」
「ああ、和臣君と千尋ちゃ……あっ」
木原さんはたたたっと駆け寄ってくると、私の三つ編みに手を伸ばした。
「すごーい! ほんとに文学少女だ! 三つ編みといい、眼鏡といい、服といい、凄い、完璧!」
木原さんの言葉で今の自分の格好を思い出し、顔に一気に血がのぼる。
と、木原さんは急に三つ編みから手を離し、私の手をぎゅっと握る。
「いや、でもほんとに凄い。頼んで良かった。
じゃあ、コーナーはあっちだから、何かあったら呼んでね」
そして向かい側を指差し、にっこりと微笑んだ。
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