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 文学コーナーは何というか、可哀想なことになっていた。

 なんせ客が一人もいない。文学の売り上げは特別悪いわけではないと聞いたものの、疑いたくなってしまう有様だった。

 だからと言って依頼をサボる理由にはならない。私は言われた通り、本を抜いたり戻したりしながら、時々分かったような顔をしていた。



 それから、三十分。やっぱり誰も来ない。そして文学ド素人が文学コーナーに三十分立つのもやっぱり辛い。というか数少ない見知ったタイトルを本棚から抜いてパラパラめくってみるけれど、どうも一回読んだだけでは理解できそうになかった。たかだか高校生の分際で理解できると思っていること自体傲慢なのかもしれないけど。


 下を向いて凝った首をほぐすため、エスカレーターに目を向ける。ちょうど、一人の青年が上がってくるところだった。

 大学生くらいだろうか。青いチェックのシャツを着た、色の白い、繊細そうな顔立ちだ。背中にはリュックを背負い、右手には何かを握りしめている。


 青年はフロアに入ると、一直線に検索用のコンピューター横に向かった。そこにはいくつかの白い箱が置いてあり、それぞれに何か字が書いてある。青年はその中で一番右端にある箱に、右手に持っていた何かを入れたかと思うと、すぐにフロアを出て行った。

 あの箱は何なのだろう。まあ、さして興味はない。青年も帰ってしまったし、私は任務に戻った。



 ****



 事件が、というほど大層なものでもなかったけれど、まあ、事件が起こったのはそれから二十分ほど経った頃だった。


 いくら本棚を見ているとは言え、ある程度は周りも見えている。青年が紙を入れた例の端の箱を一人の女性店員が開けるのが見えた。それから少しして、黒の学生服が近寄っていく。見てみると、その辺を物色していたはずの真宮だ。そして、なぜか怒り始めた。声は聞こえないけれど、何やら怒っているのだけは分かる。


 と、真宮がこちらを向いた。いかん、目が合ってしまった。こちらにずんずんと向かってくる。嫌な予感しかしない。

「古谷! ちょっと来てくれ!」

 ああ、捕まってしまった。私は腕を引っ張られるまま、連行された。


 箱のそばには、さっきの女性店員。歳は三十代初めくらいで、後ろで束ねられた長い髪とあっさりした化粧が大人の女性という感じがする。名札には「富田」と書いてあった。


「富田さん、古谷に見せてやってください!」

 真宮がその富田さんに向かって叫ぶ。その勢いに戸惑いながらも、富田さんは一枚の紙を私の前に差し出した。


「これなの」

「これ、は……」

 紙には紺色の横向き罫線が引かれ、各段に「こころの病〜その原因と直し方〜」、「坂巻ミカコの恋愛中毒」、「愛——化けの皮とその正体」、「人形浄瑠璃に見る男女関係」とボールペンで書かれている。


「何ですか?」

 そもそもこの箱が何か分かっていないのだ。中に入れられた紙が何なのか、分かるはずもない。書かれているのは、本のタイトルだろうか。


 私の様子を見て、真宮が「ああ」とうなずく。

「説明してなかったか。これはリクエストカードだ」

「リクエストカード?」

 真宮の言葉に首を傾げる。


「そう。ここに箱あるだろ?」

 そう言って、真宮は箱を手で示した。十センチ四方ぐらいの白い箱には、それぞれ「文学」や「漫画」、「雑誌」などと書かれていて、その横には無地のメモ帳とボールペン。

「もし森瑛堂に自分の欲しい本がなかったら、ここにある箱に欲しい本を書いた紙を入れるんだ」


 ほうほう、なるほど。そう言われて、もう一度紙を見てみる。

 何だこのラインナップ。


「人形浄瑠璃……?」

 もし、この人形浄瑠璃の本がなければ、失恋でもして精神的にしんどい人がこの紙を入れたのだと考えただろう。タイトルからしてそんな感じだし、坂巻ミカコとはテレビでよく見る心理学者だ。ちなみに私はあまり彼女が好きではない。まあ、それは置いといて。


「でも、何か問題ある?」

 そう。だから何だ、という話である。失恋した人がたまたま人形浄瑠璃を好きだったのかもしれない。何の本が欲しいかは個人の自由だ。


「いや、そうじゃなくてね」

 答えたのは富田さんだった。一番右端に置かれた「文学」の箱に手を置いて、

「この箱、本のジャンルを分けて設置してるんだけどね」

「はい」

「この紙、『文学』のところに入ってたの」

 なるほど。違うところに入れられていたということか。


「しかも、ここに書かれてある本、全部森瑛堂うちにある本なの」

「非常識な人がいたもんですね」

 私は富田さんに向けて答えた。それなのに、

「本当にな!」

 答えたのは真宮だった。あんたじゃない、という視線を向けながら私は言う。


「で?」

「うん?」

「まさか、こんな非常識な人がいるよーってだけでこんな大騒ぎしてるの?」

「まさか。犯人捕まえようと思って」

「……」

 ん? なんて?


「はあ?」

「こんなのは文学に対する冒涜だ! 見過ごせるか‼︎」

 真宮は熱苦しい目で叫ぶ。

「いやいやいや。どうせ軽ーい気持ちで、いたずらしただけだって」

「どちらにせよ同じ話だ。腹の虫がおさまらん!」


 富田さんが遠慮がちに言う。

「一応、止めたんだけどね」

「いえ、大丈夫です」


 私は犬でも宥めるように、真宮の肩をぽんぽんと叩く。

「はい、一回大きく深呼吸して。落ち着いて」

「俺は落ち着いてる」

「それ落ち着いてない人が言うやつだから」

「とにかく犯人探すぞー!」

 駄目だこりゃ。


 肩を落とす私を無視して、真宮が富田さんに詰め寄る。

「何か分かってることありますか?」

「いやー、特には。……あ、でもこれ、今日入ったものだと思う。この箱の中身は各ジャンルの担当者が開けるんだけどね、昨日木原さんが見た時は無かったって言ってたから。まあ、最近活字離れが進んでるから、文学のところに紙が入ることってほとんどないんだけど」

 富田さんが答える。それを聞いて、一つ引っかかる。


「じゃあ、もしかしてこの中に入ってた紙って、この紙一枚だけですか?」

「ええ」

 そうだとするならば。

「私、入れてる人見ましたよ」

 最初は、他にも紙を入れた人がいると思っていたから青年のものではないと考えていた。しかし、一枚しか入っていなかったのなら、あの青年のものだ。


 そう言うと、真宮がぎらりと目を光らせた。

「それ、どんなやつだ⁉︎」

「え。……大学生ぐらいの男の人、だったけど。色が白くて、青色のチェックのシャツ着てて、あと背中にリュック背負ってた」

「富田さん、誰だか分かりますか?」

「それだけじゃちょっと……」

 そらそうだ。情報が少なすぎる。


 今度は、紙をじっと観察し始める。

 紙は青に近い紺色の罫線が引かれていて、一番下に筆記体で「simple color」と書かれている。どこかのメーカーのメモ帳だろうか。


 って、何を真面目に考えようとしているんだ、私。

「富田さんに迷惑かかるし、私も依頼あるから、この件はとりあえず終わり! ほら、行くよ! 富田さんすみませんでした」

 私はそう言うと、頭を下げて、真宮をリクエストボックスの前から引き離した。

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