第14話 アリスとニコ

ケインとマリーさんの結婚式が終わってから数日が経過した。

いつもの日常の何気ないところから始まった。

「困ったわ。調味料がなくなりそうだわ。うっかりしてたわ」

「私、買ってきます。師匠、お店お願いします」

「あー、わかったよ」


そんなやり取りだった。

アリスが出かけた後、よく晴れていた天気だったのに、突然の大雨になった。

アリス、傘を持って行ってないよな。


「レインさん。雨がすごいですね。アリス、傘を持って行ってないので、ちょっと持って行ってやってもいいですか?店少しの間、開けても大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。行ってきてあげてー。お願いね」


俺は雨の中、アリスを迎えに行った。

市場の方に向かい、歩いていると、何かを抱えたアリスが濡れながら走ってくるのが見えた。


「アリス。大丈夫か?急に降ってきたからな。傘、持ってきた」

「師匠、傘を持って来てくれたんですか?助かります。ありがとうございます。あ、すみません。ちょっと傘をさしてもらっていいですか?」

「ん?何を大事そうに持ってるんだ?ああ、買ってきた調味料か」


アリスのサイズに合っていない男性用のぶかぶかの服の中で何かが動いた。


「んんっ!?う、動いた!?……えっ?何!?」

「わんっ!!」


服の中から茶色の小さなかわいらしい子犬が顔を出した。


「犬?」

「この子、雨の中で震えてたんです。私も雨の中で倒れてたじゃないですか。なんか放っておけなくて……」

「そうか。まあ……犬の事は後で考えよう。とりあえず濡れて風邪をひく前に早く帰ろう」

「はい」


アリスと二人、傘をさして帰ってきた。

帰っている途中、激しい雨は、さらに強さを増してきて、もう傘の意味もあまりなかった。ようやく店が見えてきた時、今までの雨は、うそだったかのように一気に晴れた天気になった。


「くっそー。なんだよー、このタイミング。嫌らしい雨だなー。あーあー、すごい濡れたなー」

「すみません。師匠までずぶ濡れになってしまって……」

「いや、アリスのせいじゃないよ。雨が悪いんだよ。ちょっとついてなかっただけさ。アリス、とりあえず先にシャワーを浴びて着替えてくるんだ」

「いえいえ、師匠から先にどうぞ」

「いいから先に行ってきな。アリスの方が濡れてるだろ」

「……わかりました」

「わんっ!」


アリスが着たサイズの合っていない男性用のぶかぶかの服の中から、犬が顔を出した。

そうだ、そういえば犬がいたんだった。

全然吠えないから存在を忘れてた。


「ああ……。中に入れるのもあれだしな……。犬は俺が預かっておくよ」

「お願いします」


晴れた空の下で、俺はずぶ濡れのまま、子犬を抱いていた。

毛もふわふわしてて、かわいいな。ぬいぐるみみたいだ。

生まれてすぐかな?


小学生の頃、父方のおじいちゃんの家が徳島県にあるので、毎年夏休みのうちの一週間、リコと一緒におじいちゃんの家で過ごしていた。それが昔からの夏休みの恒例行事だった。東京徳島間を飛行機に乗って、徳島県の松茂空港に着陸する。飛行機から降りてから松茂空港の入り口のところで、いつもおじいちゃんとおばあちゃんが待っててくれている。そのまま松茂から神山町にあるおじいちゃんの家まで、おじいちゃんが運転する車に乗って帰る。徳島に着いたら大抵昼頃で、いつもおじいちゃんは何でも好きな物を食べさせてあげると言い、どんなに離れている店でも連れて行ってくれた。お昼ご飯を食べた後、徳島のゲームセンターに連れて行ってほしいと言えば連れて行ってくれたし、おもちゃが欲しいといえば店に連れて行ってくれて、おもちゃを買ってくれた。毎年、昼ご飯を食べたり買い物したり観光したり、いろいろ連れて行ってもらったりしてから神山町まで行くので、結局いつも夜になってからおじいちゃんの家に着いていた。だから大体、おじいちゃんの家に着いたら、すぐに風呂に入って寝る。初日はそんな感じで過ごす。神山町は、徳島市内を抜けた少しだけ外れたところにあって、自然がいろいろあるところだ。緑が豊富だ。二日目から最終日までは、川に行って水切りを練習してみたり、奇麗な小石を探して東京に持って帰るお土産にしたり。山で虫を捕まえたり。自然の中を走り回って遊んで過ごす。おじいちゃんやおばあちゃんの家では、リコと四人でオセロやジェンガやトランプなどのゲームをして遊んだりしても過ごす。神社にお参りに連れて行ってくれたり、いろいろな事をして遊んだけど、そんな中でも俺やリコが特に好きだったのは、おじいちゃんが飼っていた柴犬と遊ぶ事だ。東京の家では、両親がペットを飼ってくれなかったので、俺とリコは柴犬とよく遊んだ。その時、俺とリコに犬のしつけ方や遊び方を教えてくれたのが、おじいちゃんだった。


俺は子犬を地面に降ろした。

子犬はそこら辺を楽しそうに走り回っているが、悪さをする様子もない。


「おーい、ちょっと来い。ほら」


俺は子犬を呼んだ。

俺の前で座った。


「お手やってみろ。ほれ、お手!」


子犬は座ったまま何もしない。


「まあそりゃそうだよな。芸の道は一日にしてならずだ。お手が何か分からなかったら、おまえもどうすればいいのか分からないもんな。よし、俺がおまえにお手を教えてやる」


「わんっ!」

子犬は吠えた。


「お、その通り。早く教えろだってか。いいか?お手って俺が言ったら、こうやるんだ。いくぞ?お手!」


子犬はお手をした。


「おっ!?おまえ、なかなか芸のセンスがあるぞ。伏せ!って言ったら、こうするんだ。いくぞ?伏せ!」


子犬は伏せをした。


「やるじゃないか。次はおまわりを教えてやる。おまわり!って言ったらこうするんだ。おまわり!」


子犬はおまわりした。


「よしよし。ここまでの復習だ。連続でいくぞ。お手!伏せ!おまわり!」


子犬はお手、伏せ、おまわりをした。


「おまえ、すごいやつだな。もう疲れたか?」

「わんっ!わんっ!」


子犬は元気そうに走り回る。


「まだまだ元気だぞってか。次、いくぞ。ハイタッチ!」


子犬はハイタッチをした。


「次はこれだ。バーーン!!」


「……師匠、何やってるんですか?」

いつの間にかシャワーを浴びて着替えてきたアリスが来ていた。


「ば、ばーんって……やってただけだけど……」

「ばーん?」


すごく夢中になって色々な芸を教えてしまってて周りが見えなくなってた。

恥ずかしい……。


「バーン、知らないか?」

「全くわかりません」

「おい、いくぞ。バーン!!」


ぽてっと子犬は、横になった。


「お手!伏せ!おまわり!ハイタッチ!」

子犬はお手、伏せ、おまわり、ハイタッチを今、教えたとおりにやった。


「し、し、師匠!?師匠って獣使いの技も持ってるんですか!?」

「えっ?違うよ。おまえの上達が早いんだよな?」

「わんっ!」

「はははっ。まあ天才だからなってか」

「し、し、師匠!?師匠は、動物の言葉も分かるんですか!?」

「いやいや、全然分かんないよ。なんとなくそんな感じがするってだけ。でもこいつは本当に賢いよ。教えた事をすぐ覚える」


じーっと子犬を見つめたアリスの口が開く。

「お手!お手!お手!」


子犬は全くアリスを相手にしない。


「師匠、全然だめです。やっぱり師匠は、獣使いの技を持ってるんじゃ……」

「お手が何なのか教えてないからだ。お手ってどうやるのかちゃんと教えてやればいい」

「でもお手は師匠が教えたんですよね?理解してるはずじゃ……」

「こいつは、俺が教えたお手とアリスのお手が違うものだと思ってるかもしれないぞ。だから一個一個説明して教えてやるんだ。まずはアリスの思うお手を覚えさせてから次にいく。なかなか覚えられなくて難しそうなら無理させてはダメだ。こいつのできる可能性を見つけてやる」

「はい」

「それから頑張って覚えたら、ちゃんと褒めてやるんだ。いつも命令されるだけでは、こいつだって嫌だろう。おまえは、できるやつなんだって信じて、一緒に寄り添っていくんだ」

「わかりました。あっ、師匠、シャワーが空いたのでどうぞ」

「ああ、行ってくる」


俺はシャワーを浴びて着替えたら、また店の前に戻ってきた。

アリスが子犬に芸を教えていた。

「あ、師匠。この子、やっぱりお手を理解してくれません。どうすればいいですか?」

「よーし、犬。新しいやつを教えてやる。今度は、あごって技だ。いいか?あご!って言ったら、こうやって手の上にあごを乗せるんだ。わかったか?いくぞ、あご!」


子犬は、手の上にあごを乗せた。


「か、可愛い……」


「よーし、よーし、よーし。よくやったぞぉー、わぁああああ」

子犬の毛を激しく撫でて、もふもふした。


「し、師匠!?どうしちゃったんですか!?」

「犬は言葉が通じないからこうやって体で偉いぞー。よくやったぞーってのを表現して褒めてやるんだよ」

「師匠は、やっぱり獣使いですよ」

「それより、この犬、どうするんだ?まだレインさん達に言ってないんだろ?」

「言ってません……」

「俺から説明してやろうか?」

「いえ、自分で言います。拾ってきたのは私ですから」

「そうか。なら安心だ。おまえが俺に説明するように頼んでたら、すぐに元いた場所に返して来いって言おうとした。世話するならきちんと責任を持たなきゃだめだ」

「はい」


アリスはレインさんに犬の事を話したらしい。

雨で濡れて震えていた事。同じ雨の日に倒れてた自分と重なった事。

レインさんは、お客さんがいるから店の中に入れない事と店の入り口にも近づけない事を条件に世話することを許可してくれた。


その日の夜、寝る前にアリスが話しかけてきた。

「師匠、相談があるんですが……」

「どうしたんだ?」

「あの子に名前を付けたいんですけど、良い名前、ありますか?」

「アリスが決めればいいさ。俺が飼うんじゃないんだから」

「ベルとか」

「それは……やめておけ。ベルに怒られる姿が想像できるぞ」

「あっ!たこ焼きはどうですか?」

「もっとなんかないのか?」

「私ネーミングセンスがないんです……。師匠、何かヒントください」

「こんな感じで育って欲しいって願いをつけるとか」

「……うーん」

「まあゆっくり考えてみな。明かり、消すぞ。おやすみ」

「おやすみなさい……」


その日の真夜中の事だった。

「師匠!決めました!」

「うっ……ううん……。まだ考えてたのか……」

「ニコってどうですか?」

「うん。いいんじゃない。寝る。おやすみ」


朝、起きて俺は、アリスに聞いた。

「ニコだっけ?どうしてニコなんだ?」

「すごい雨だったけど師匠とニコと一緒に店に戻ったらすぐ晴れたじゃないですか」

「ああ、タイミングの悪かったやつだな」

「お日様……。日光……ニッコー……ニコです。すごい雨を吹き飛ばしてくれて晴れにしてくれる。そんな子になって欲しくてニコです。どうですか?」

「ニコ、良い名前じゃないか」

「やった!師匠に良い名前だって言われたなら絶対安心です」

「頑張ってニコの世話するんだぞ」

「はい!」


それからアリスは、ニコを溺愛していった。

店の仕事をしてニコの散歩をして遊ぶ。

アリスの生活は、ニコが中心になった。


「師匠!師匠!聞いてください!ニコがついにお手を覚えたんです」

「そうか、よかったな」


「師匠!ニコが伏せを覚えました!」

「やったな」


「師匠!ニコがバーンもハイタッチもあごも覚えました!」

「色々覚えたんだな」


そんなある日、暗い顔をしているアリスがいた。

「アリス、どうしたんだ?一日中ずっと暗い顔してるぞ。お客さんも皆心配してたぞ」

「師匠……。ううっ……ううっ……」

「どうしたんだ?何かあったのか?」


理由を聞くと、ニコとの散歩中にニコにそっくりな大きな犬に出会ったらしい。

ニコはアリスの元を離れて大きな犬のところに走って近づいて、そのまま一緒に走っていったらしい。


「ううっ……ううっ……」

「そっか……。ニコは、親とはぐれちゃってたけど親を見つけたんだな」

「ううっ……ううっ……」

「アリス。ニコはアリスに感謝してるはずだよ。アリスがずっと世話してきたんだからさ」

「ううっ……ううっ……もう会えないから……ううっ……」

「今日は遅いから、もう寝よう?」

「うっ……ううっ……うう……」


三日後の朝。

俺とアリスは、店の前の掃除をしていた。

アリスはまだ元気がない。

こういう問題は、少しずつ時間が経つのを待つしかないんだよな・・・。

店の前に子犬が走ってきて止まった。


「ニコ!!」

「わんっ!」


その後ろには、ニコと同じ色の大きな犬がいる。

ああ……。なるほどね……。そういうことか。


「ニコ……。お手!」


ニコは、アリスにお手をした。

ニコは、なかなかアリスの手から離れようとせず、ずっとお手したままだ。

しばらくそのまま、アリスとニコは見つめ合っていた。


「うん、わかった。……またね、ニコ」


ニコは、大きな親犬と一緒に走っていった。

俺では分からない事、お互い色々話したんだろうな。


「また会えそう?」

「はい。また会えます」

「良い顔になったな、アリス。元気そうだ」

「はい!良い事、ありました!今日も楽しく仕事できそうです!」




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