お願い悪魔

「あれ――?」


 駅へ向かう通学路の途中で、あたしは不意に違和感に襲われた。


「どうしたの、カヨちゃん?」


 あたしの様子に隣を歩く友達の廻子めぐこが訊いてきた。


「あ、うん。なんかちょっと、こんなことが前にもあったような気がして……」

「デジャブってヤツ? でも前にもっていうか、毎日この道、歩いてるじゃん、わたしたち」

「そ、そうだよね。ははっ、なに言ってるんだろ、あたし」


 そう廻子に笑われて、あたしは変なことを言っちゃったなと、照れ隠しに頭をかいた。

 けれど、頭でどんなに「そんなことない」と否定していても、違和感は確かな感触で、あたしの心に「なにかおかしい」と訴え続けているのだ。


(そう、おかしいんだ――。だって、あそこのあの人も、この人も、その人も――)


 前を歩く人の靴のかかとを踏んで、にらまれて頭を下げる大学生っぽいお兄さん。

 スマホのながら歩きをしていて、自転車とぶつかりそうになったOLのお姉さん。

 駅前で「先日の選挙でのご支援ありがとうございました」とあいさつをしている政治家のおじさん。

 どれもささいで、ありふれた通勤通学時間帯の駅前でよく見る光景だった。だけれど。


「ねぇ廻子、あそこの路地、男の人が走って出てくる――」


 あたしがスッと路地を指さすと、そこから若い男性が飛び出してきた。予定の電車に乗り遅れそうなのか、とても焦った様子で走っている。


「あ、本当だ」

「それで、あっちから来る女の人に軽くぶつかって、謝りながら駅へ走っていって――」


 そう言った直後にその男性は、駅の方から歩いてきた女性に肩をぶつけると、「すいません!」と言い残して、駅へと走っていった。


「落としたスマホに気づかなくて、女の人が慌てて追いかけていく」


 あたしの言葉通りに地面に転がったスマホに気づいて拾い上げた女性は、「あ、これ!」と声を上げながら、慌てて走り去った男性を追いかけていった。


「なにその予言」


 廻子がぽかんとした顔で驚いている。あたしは怖くなってきた。


「やっぱりおかしいよ――」


 今あった、すべてのことが起きる場所も、順番も、タイミングも、あたしはみんな知っていた。見たことがあった。記憶があった。一度や二度じゃない、何度も、何度も、見て、聞いて、経験していた。まるで繰り返しに遊んで覚えたテレビゲームのパターンのように、あたしはこの駅までの道のどこで、なにが起きるのか、そのすべてを記憶していた。


「なんなの、これ――?」


 けれど、その理由だけがどうしてもわからないのだ。なにか理由があったはずだと、あたしの違和感は告げていた。なのに、どうしてもそれだけが、どうしてもそれだけが思い出せないのだ。


「あたし、なにを忘れて――」

「カヨちゃん」


 そこで廻子があたしの肩を揺らした。すごく心配そうにあたしの顔を見ている。


「ひどい顔してるよ? そんなさ、怖いこと考えないで、もっと楽しいお話ししようよ」


 廻子はあたしを元気づけるように明るい声を出して、隣町に最近できたという流行りのスムージーのお店の話をした。それはあたしのデジャブだらけの記憶にない新鮮なお話しで、あたしの不安を打ち消してくれた。


「――でさ、いちごチーズフォームスムージーを注文したの。そしたらさ、お店のお姉さん『タピオカも入れますか?』って。ええっ、そんなのありなの? って思いながら、ええい、ままよ! って入れてもらったらさ、めちゃウマなのよ、これが! スムージーのシャリシャリさわやかと、チーズフォームのほんのりしょっぱさとまったりなコクがね、タピオカのモチモチに合わさって、なにこの高級デザート! って感じなのよ! ……でもさ、スムージーって『健康!』ってイメージだけど、チーズフォームでしょ? タピオカでしょ? カロリーいくつよ、これ? って気づいたときの恐怖といったら……。ま、おいしいは正義なんだけど!」


 廻子は毎日あたしに楽しいお話しをしてくれる。あまりおしゃべりの得意でないあたしと違って、彼女のお話しはいつもおもしろくて、ただ相槌を打って聞いているだけでも、あたしの心はとても楽しい気分になった。


「ありがとう、廻子」


 あたしがそう返すと、廻子は止まらずにしゃべっていた口を閉じて、少し照れたように鼻をかいた。


「今のお話は初めてでしょ? だから気のせいだよ、そんなデジャブ」

「そうね、きっとそう――」


 楽しいおしゃべりに気がつけば駅の改札を抜け、あたしたちはホームで電車を待つ列に並んでいた。


「カヨちゃんさ、学校が終わったら、一緒にスムージーのお店に行こう? あたしのベストトッピング、他にも紹介してあげるからさ」

「うん、楽しみ」


 廻子とそんな約束を交わしている間も、デジャブは続いていた。ホームを少し見渡しただけでもすべての光景に見覚えがあった。例えば前に立つ男の人にも見覚えがあったし、その服や靴の色はおろか、イヤホンで聴いている音楽に合わせて動く指先のリズムまで記憶にあった。それはこの男の人だけに限らずに、ホームに見えるすべての人に言えることで、とても正気ではない感覚だった。


(でも、きっと気のせい――)


 不思議なことに、このデジャブの記憶は駅のホームまでしかなかった。電車が来てその先のことは見えない。きっと、そこまで耐えれば終わるのだ。このデジャブは気のせいのまま何事もなく過ぎていって、あたしは廻子と普通に電車に乗って、普通に学校へ行って、それで廻子と休み時間にもおしゃべりを楽しんで、放課後には一緒にスムージーのお店を楽しんで――。

 だからこれは気のせいなのだ。あたしはそう信じた。電車に乗るまで耐えれば終わる。そう信じるしかなかった。だってそれ以外にあたしにできることなんて、なにもないんだから。

 廻子を見る。すると彼女はにこりと笑ってあたしの手を握った。あたしはその手を握り返した。かすかな汗ばみにしっとりと吸いつく廻子の手はあたたかくて、それだけは経験の記憶がない新鮮で確かな感覚で、あたしはそれを頼りにして、この狂気にも似たデジャブの海に耐えて、耐えて、必死に自分を守ろうとして――。


 そのとき、その声が聴こえてくることだけを、どうしてあたしは忘れていたのだろう。


「『お願い悪魔』って知ってる? この駅にある都市伝説でね――」


 後ろで話す女子高生のグループ。その会話はスルッとあたしの耳に入って――、


「この駅で自殺すると、どんなお願いでも叶えてくれるって悪魔」

「お願いって……、代償が自殺だったら、お願いなんて叶わないじゃない」

「そう、だから悪魔なんだって。命と引き換えに、ちょっとだけお願いが叶う夢を見せてくれる悪魔――」


 あたしは思い出してしまった。


「ダメだよ」


 廻子があたしの手を握りながら、イヤイヤと首をふっている。


「そうだ、あたし学校――」


 だけど、あたしは思い出してしまったのだ。


「ダメ」


 廻子がすがるように両手であたしの手を握る。でも、もうあたしは止まらない。


「なんであたし学校なんかに、こんなまっすぐにむかって……?」


 そうだ。おかしいのだ。こんな、なんの抵抗も覚えないで学校にむかっていること自体おかしいのだ。だって、あたしは。


「学校なんてイヤで、嫌いで――そうよ、あたしイジメられてて――」


 次々と忘れていた記憶が戻ってくる。そう、あたしはイジメられていたんだ。ちょっと引っ込み思案で暗い性格が災いして、クラスの目立つ女子グループに面白半分のからかいを受けて、それがどんどんエスカレートしていって。


「そうだ、あたし昨日、あいつらにトイレで水をかけられてびしょ濡れにされて――」


 泣いてうずくまったあたしを見下ろして、あいつらはスマホのカメラをむけながらせせら笑いを浮かべて。


「あいつら……ああ、あいつら――」


 あたしだけハブかれたクラスのグループチャットに、ずぶ濡れになったあたしの写真が共有されて、それにあいつらが「www」を並べていって、それを実況で見せられて。


「森崎、北沢、足立、三村、山里――」


 思い出していく。チャットに並ぶあいつらの名前がひとりひとり思い出されて――。


「川井、中村、吉田――――あれ?」


 そこであたしは気づいてしまった。


「あたしに――、あたしに友達なんて、いた?」


 あたしは気づいてしまったのだ。気づいてしまったから、隣の、あたしの手を握っている、とても悲しそうな目であたしを見ている、その女の子の顔を見て、あたしは決定的な、取り返しのつかない、だけれど訊かずにはいられない、その質問をしたのだった。


「あなた、誰?」


 その瞬間に、あたしの身体はホームに入ってくる電車にむかって身を投げていた。


「あ」


 そうだった。あたしはイジメを苦にして、こうしてホームから線路に身を投げたのだ。

 きっかけはさっきの都市伝説のお話で、お願いなんて特になかったけど、そんな悪魔がいるのなら、少しでもあたしをなぐさめてくれるかなって衝動的に思ったからだった。


(なにか長い夢を見ていた気がする――)


 あたしの目の前に電車が迫ってくる。あたしは、あたしを轢いてしまうかわいそうな運転手の驚いている顔と目があって、これでやっと楽になれる、なにもかも忘れられるって、安堵感と達成感に微笑みながら、けれど、けれど、ほんの少しだけ――、


(手があったかになる夢――)


 一緒に学校に通う、仲の良い友達の、一人ぐらい欲しかったな、なんて、

 そう思った、ちょっとの、

 ほんのちょっとの感情が、

 鈍い衝撃で、

 潰れて、

 消えて、

 あたしは――。



   *****



「ああ、行っちゃった――」


 それ・・は飛び込み自殺に騒然としている駅のホームを、空から見下ろしながら呟いた。


「せっかくお友達になれたのに」


 黒いモヤのようなそれ・・は、とても寂しそうに身じろぐと、何千回も、何万回も、繰り返しに同じ時間を、一緒に学校に通った仲の良い友達にむけて、献花のように言葉を投げた。


「楽しかったよ、カヨちゃん――」


 風が吹いた。黒いモヤは消えて、それ・・が残した言葉も、どこまで届いたかわからないまま空の中に消えていった。

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