打ち上げ花火の光が見えたとき
会社からの帰宅の電車を待つ駅のホーム。そこで打ち上げ花火の光が見えたとき、私はついにその時が来てしまったことを直感した。
「――はじめまして」
帰宅ラッシュと花火大会にむかう客でごった返すホームの人混みの中から、赤牡丹の浴衣を着た若い女が、私の横にスッと現れた。女はうなじから伸びる白鳥のように白く長い首を見せつけながら、誘うような流し目で私に微笑みかけてきた。
「というのも不思議な気分ですね。夢では何度も何度もあなたとお会いしていたから――」
口説くような甘い声を鳴らして、そう肩に手を触れてきた彼女に対して、私の心は戦慄に震えていた。
なぜなら私はこの女をよく知っていたからだ。
「ああ、電車が来ましたね。――うん、夢と同じあの電車」
電車がホームに滑り込み、扉が開く。私と女は、乗り降りする人の流れに流されるまま電車の中へと押し込まれ、そして二人して反対側の扉の前へとたどり着く。
「ふふ、わたくし感動していますの。ついにこの夢の場所に。ああ、あなたも同じ夢を見ていたのなら、この感動がわかるでしょうに――」
私は昔から何度も何度も同じ夢を見ていた。それは赤牡丹の浴衣の女と、打ち上げ花火が万華鏡のように綺麗に上がる夜空の下を、一緒に電車の扉から抱き合うようにして墜ちて――そして、死ぬ夢だった。
「わたくし、何度も何度もこの日を夢に見てきましたの」
電車が動き出すと、女は微笑みながら、そう語り出した。
「電車があの花火大会をしている川の鉄橋に差しかかったとき、ミスか故障か、この扉が突然に開いて、わたくしたちは身を投げ出されて、空を飾る花火を見上げながら、抱き合うようにして橋脚の、冷たい、灰色のコンクリートに頭から墜落して――」
女が語る夢の話は、私のそれとまったく同じものだった。
「はじめは恐ろしくて……ただ死ぬのが恐ろしくて……目覚めるたびに震えて泣いて――」
女はうつむき、その語りを徐々に弱く、か細く、その声は消え入りそうに伸びて――、
「ですけれど、そのうちにわたくしは、あなたの腕に、あなたの胸に、あなたの身体にすがって――」
そこで女は顔を上げ、私の胸をなで、私の腰をさすり、白い首を伸ばして私の顔を覗き込んだ。
「死をともにするあなたとの、あなた様とのひとときの抱擁を、とても――とても心地よいものとして受け入れて」
車窓に見える打ち上げ花火を背に負って、女は陶然とした、初恋の夢を叶えた少女のような表情で微笑んだ。
「とても満たされた気持ちで空を墜ちて、これが運命であると受け入れて、ただ美しく上がる花火の光を最後の、最後の時まで――」
女の手が、指が、絡まるように私の背中を、腰を抱き、そのふくよかな唇からは甘く儚げな
「ああ、これで一緒に――」
扉が夢の通りに突然に開き、鉄橋を叩く電車の轟音と吹き荒れる突風の中、満員電車の人混みに押された私と女は――、
「残念だけれど」
そこで私は運命に抗った。
「その夢には付き合えない」
女を抱き締めると、私は自らの足で電車から跳び降りた。
「――え?」
私と女は
「……ぷはっ!」
持っていたビジネスバッグを浮き輪がわりにして、女を引き上げて水面に顔を出す。かなりの衝撃だったが自分も彼女も無事に生きているようだった。
「……どう……して?」
はい上がれる川岸を探して周囲を見渡す私に、女は困惑した表情で訊いてきた。私はじっと女の顔を見返す。
「……夢の中で自分にすがりつくあなたのことを」
女の手は、まだ私の背中を抱いていた。
「どうすれば救えるか、ずっと考えていたから――」
川の水面がパッと光に照らされる。見上げればいくつもの花火が夜空に上がり、大きな音とともに赤や青や緑や黄色の何色もの光の彩りを明るく開いて、川に浮かぶ私たちにその輝きを投げかけていた。
花火が続く。
「ああ――」
そこで女は泣いた。それが運命に裏切られたためなのか、それとも運命を乗り越えたためなのかは、まだ誰にもわからなかった。
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