第5章
第5章 1
「ふぅ」
シャワーを浴びながら優子はため息を漏らす。
お湯の心地よい温かさが優子の緊張を解きほぐしていく。
人生初のワープ体験を経て辿り着いたのは、優子の通う境山中学校にある園芸倉庫だった。
もっとも中に入った事は一度もなかったので、茶々の話を聞き、小さな窓から見慣れた景色を見て本当に一瞬で移動した事を理解できたのだった。
「ここが境山町の勇者ギルド支部なんだよ!」
と、勝手に施設を使っている
多分、その時の自分の顔は何とも言えないような顔をしていただろうと優子は思う。
もっとも茶々の方は時に気にした様子もなく肥料が入った袋などを置いてある重そうな棚を簡単に動かし、その奥に隠れていた扉を開けて優子を手招きしていた。
ワープの影響だろうか、少々ふらつく頭を振って扉に入った優子の前に広がっていたのは、学校の内装とまるで違う、SF映画に出てきそうな宇宙船の廊下みたいな場所だった。
「え!?」
慌てて後ろを見れば、十個ほど同じようなドアがあり、それぞれが別の場所に繋がっているようだ。
優子が入ってきたドアの上部の電子掲示板には境山町と表示されている。他のドアにも恐らく繋がっている先の地名が書いてあるが大半は優子の知らない場所だった。
「ようこそ、勇者ギルドへ!ささっ、まずは食堂へ……」
状況が分からずにいる優子に茶々が大仰に身振りを交えて案内をしようとするが、そこにティアーネの制止が入る。
「いや、その前にまずは汚れた服の洗濯じゃろう。ついでに優子もシャワーを浴びたらよい」
「あっ、そうだね。シャワー室空いていてるかな?」
「二つ予約を取ったから行ってくるといい。我は報告に行ってくる」
そう言うとティアーネは宙を滑るように移動して長い通路の先へ消えていった。
「それじゃ、シャワー室へごあんな~い!」
そういって茶々は優子の手をひいて通路をズンズンと進んでいく。
「おう、茶々。帰ってきたか、お疲れさん」
「お疲れさまで~す」
「その子は新人さんか?」
「いえ、まだ違います」
「ああ、保護対象の子か。それは色々災難だったな」
『まだ違う』という茶々の言葉に多少の引っかかりはあったが、あえて口には出さず、すれ違ったティアーネと似たような姿をしたエデン人の男性に優子は軽く頭を下げた。
「そっちはまだ作業中なの?」
「ああ。エデンへの転移装置がま~た不機嫌になっちまってな。うちの大将から修理を仰せつかってるんだ。そっちも大変だろうがお互い頑張ろうぜ」
そう言ってエデン人の男性はフワフワと宙を飛び、廊下の角に消えていった。
「あっ、ごめんね、話し込んじゃって」
「いえ、大丈夫です」
どうも何かトラブルを抱えているような話しぶりだったが、部外者の優子がいくら考えても分かるはずもなく、程なくして『女場』と書かれた看板が掛けられたドアが見えてきた。
「ん~、お風呂空いているじゃん。優子ちゃんはお風呂とシャワー、どっちがいいかな?」
「え、えっと、私はシャワーで……」
ちらりと見た浴場は、銭湯を彷彿とさせる造りになっていた。
多分、「お風呂」と言うと茶々と一緒に入ることになりそうだと思った優子はとっさにシャワーと答えていた。
例え同性であっても、会ったばかりの人と裸の付き合いをするのは優子的にはハードルが高い。
「そっか。じゃあ、そこがシャワー室だから空いている所を好きに使ってね。汚れている服はカゴに入れておけば勝手に洗濯、乾燥を五分で済ませてくれるから。それじゃ、また後でね~」
伝える事は伝えたとばかりに茶々はさっさと更衣室に入っていき優子の目を気にすることもなく服をパパッと脱ぎ捨てていく。その脱ぎっぷりに、むしろ優子の方が恥ずかしくなり慌てて目を逸らしてシャワー室に入った。
こうしてシャワー室に一人で入った優子だったがシャワーの使い方は地球のソレと大して違いはなく戸惑う事はなかった。
ただし、一回試しに『全身』と書かれたボタンを押してみたら天上と壁、おまけに床から一斉にシャワーが噴き出した。更に壁から出てきた無数のスポンジにゴシゴシと体中を滅茶苦茶にこすられ、水責めとくすぐりのコンボで息が出来ずに死にかけたが、おかげで体は短時間で綺麗になった……気がする。
(あんな洗車みたいなやり方、誰が考えたんだろう?)
この時の優子は知らなかったが、あれがエデン人の一般的なシャワーであり、当初はあの機能しかなく、その後地球人に合わせた仕様を追加されたのである。
妙に気疲れしてしまったシャワー体験を終え、少し手狭な更衣室に戻ると、カゴに畳んでおいていた服と下着が綺麗に畳まれて置かれていた。
手に取って服を広げれば、なぜか家を出た時以上に綺麗になっている気がする。
(えっ、新品を買い直したとかじゃないよね?)
もはや、洗濯というより修復に近い処置をこんな短時間で済ませてしまう勇者ギルドの技術に優子は戦慄した。
服を着替えて部屋に設置されている鏡の前に座って、ようやく優子は冷静に今の状況を考えられる心持ちになった。
(勇者、喰らうモノ、異世界の人……。本当に現実の出来事なのかな?)
マンガなどでよく見る夢を疑う際に用いられる手段、即ち頬をつねるを全力で試してみたが、痛みと鏡に映る自身の頬の赤さは間違いなく現実である事を示していた。
(にしても、緊急事態のはずなのにこんなにのんびりしていていいのかな?)
あの公園での茶々たちの様子から、ただならぬ事が自分の地元で起きているのは間違いない。
なのに、部外者の自分はともかく茶々ものんびりお風呂に入っていていいのだろうかと思いつつ茶々を待つ間にドライヤーで髪を乾かしているとコンコンとドアをノックする音がした。
「優子ちゃん、入っていい?」
「はい、どうぞ」
優子がカギを開けるとまだ濡れた髪のままタオルを首にかけた茶々と、報告が終わって合流したティアーネが顔を覗かせた。
「どう、さっぱりした?」
「はい、おかげさまで。あっ!言い忘れていました。その、助けていただいて、ありがとうございました!」
「えっ、いや、茶々は大した事してないし、その……」
「問題は色々あったが、お主が体を張って助けたのは間違いない。じゃから、素直に感謝を受ければよい。誰かを助ける為に勇者になったのじゃろう?」
「そ、そうだけどさ~。うう~、面と向かってお礼を言われると照れるよ」
体をくねらせて照れる茶々を見て可愛らしい小動物を見ているような気分になる優子だったが、そこに突然音楽が鳴り響いて現実に引き戻された。
その音は隅に置いてあった優子のカバンから聞こえてくる。
「あっ、お母さんからだ。ちょっとすみません!」
「うん、じゃあ、茶々たちは外で待ってるから」
気を利かせて顔を引っ込める茶々たちに頭を下げて優子は急いでスマホを取り出した。
時刻は午後の一時半を過ぎていた。
あの衝撃的な体験からまだ一時間ほどしか経っていない事に驚くが、すぐに意識を切り替える。
なにせ小まめにに連絡を入れると約束したのに実に四時間以上は母親を放置していた事になる。
(これ、絶対に怒られる……)
とにかく、心配性の母親をどう宥めるかに頭脳のほとんどを集中させ優子は通話ボタンを押した。
そして五分後。
「あの、助けてください~!」
「おお、何ごと!?」
シャワー室と大浴場の間にあるホールで髪を乾かしていた茶々と何かの資料に目を通していたティアーネの元にシャワー室から出てきた優子が涙目で駆け寄ってきた。
「お母さんからの電話で!話の流れで、今どこにいるかと聞かれてちゃって!それで友達の家に寄っている事にしちゃったら……」
「その友達に代わってほしいと?」
予想以上の母の怒りと追及にパニック気味で言語機能が退化している優子の言葉をティアーネが補う。
「すみません、心配性な母でして……」
「それは構わんのじゃが……。いや、待て。ユウコよ。お主、この後の予定は?」
「いえ、特にありませんけど……」
「なら丁度よいな。よかろう、我に任せよ。ちと電話を借りるぞ?」
優子の手からスマホが勝手に離れティアーネの近くにフワフワと移動していく。
突然の事に驚く優子だったが、本当に驚くのはこれからだった。
「……もしもし?はい、そうなんです。今日ばったり会って盛り上がっちゃって……。はい、はい~。あっ、それじゃあ母に代わりますね。……いつも娘がお世話になっております。ええ、娘が無理を言って――」
今までの機械音声っぽい声ではなく完璧な人間の声で優子の友達役と母親役を演じきり、見事に優子の母の不安を払拭するのに成功したティアーネに優子はただ唖然とするしかなかった。
あれよあれよという間に母親同士の話は進み、優子は夕方ごろに帰るという方向で決着がついたようだ。
「うん、それじゃ。……あの、ご迷惑をおかけしました!」
自分の手に戻ってきたスマホの通話ボタンを切り優子がティアーネに頭を下げた。
「構わん。このくらいの事は朝飯前じゃ」
「うんうん、ティアはこういうの得意だから……イタッ!なんで叩くの?」
「誰のせいで言い訳を取り繕うのが上手くなってしまったと思っておる!まぁ、お互いに色々話をせねばならんから、勝手に帰る時間を決めてしまったが大丈夫かの?」
「はい、それは構いません。けど、皆さんの方は色々忙しいんじゃ……」
「こちらにもまだ時間はあるから大丈夫じゃ。それでは行くとしようか?」
「食堂へ行くの?」
基本的に勇者たちの溜まり場になっているのは食堂なので、今回もそうだと思った茶々だったがティアーネが首を横に振った。
「いや、行くのはギルド長の部屋じゃ。珍しくトップの二人が仕事をするらしい」
「あれ、師匠だけじゃなくてギルマスも帰ってきてたんだ」
(ギルド長?それって一番偉い人だよね。なんでそんな人が……?)
「ああ、別にそんな緊張する必要はないぞ。ギルド長が幻視者、つまり巻き込まれた人に説明をするのはここでは普通のことじゃからな」
ティアーネの言葉に茶々が頷いているのを見ると、本当に普通の事の様だ。
(てっきり、あの力の事で何か怒られるのかと思った。やっぱりあの石は返さなくちゃダメだよね)
今も優子のカバンの中には、あの不思議な石が入っている。
なんとなく茶々たちに「返す」と言えず持ったままになっている事に、多少の後ろめたさの様な物を優子は感じていた。
今日初めて手にした物にも関わらず、奇妙に手放したくないと思わせる何かがあの石にはあるのかもしれない。
(昔見た映画にそんなマジックアイテムがあったけど、まさかね)
便利な能力を持ってはいるが、持ち続けるほどに魔性に魅入られ、やがて破滅を迎える。そんな設定を思い出す。
もし、あの石も同じような物なら……。
(私は返せるのかな?)
例え、曰くつきのアイテムではなくても、実在する怪物に対抗する手段を手放す勇気があるとは優子には断言できなかった。
「ただ、すまんが優子にはしばらくそこで待っていてもらいたいのじゃ」
「はえ、なんで?」
優子よりも先に茶々が疑問を呈すが、その答えは直ぐに解決された。
『十分後に境山町防衛戦のミーティングを始めるぞ。参加する意志が奴は食堂に集合だ。繰り返す、十分後に食堂でミーティングだ。場所を間違えるなよ、以上!』
本部内に流れた放送を機に、バタバタと廊下を駆けてゆく音が聞こえてくる。
「というわけじゃ。そう時間はかからんと思うが、しばらく……」
「優子ちゃんも連れて行っちゃえばいいじゃん。一人でいても退屈でしょ」
あっけらかんとした口調でとんでもない事を言いだす茶々に、また怒られるのではと思って優子はティアーネの方に視線を向けるが――。
「ふむ。そうじゃな、それもいいかもしれん。ユウコも今何が起こっているのか知りたいじゃろう?」
「え、大事な作戦会議なんじゃ?部外者が入っちゃ不味いのでは?」
「黙って話を聞く分には構わんじゃろ。それに何を話しているのかを知った所で今のお主に何が出来るという訳ではないしの」
それはその通りである。
電話は通じる様だが、「怪しげな集団が、謎の怪物と戦おうとしています!」なんて通報を警察にしたところで一笑に付されるのがオチだろう。下手したらイタズラと思われ怒られる可能性すらある。
(先輩だけじゃなくてティアーネさんも良いって言うのなら大丈夫かな)
既に二人への信頼度の順位付けを無意識にしていた優子が「一緒に行く」と伝えると、茶々がなぜか嬉しそうに優子の手をとった。
「よし、それじゃ行こっか、勇者ギルド本部が誇る食堂へ!」
「そんな大した物ではない気がするのじゃが……」
「あっ、先輩。引っ張らないでください~」
「出来ればいい席を取りたいから急ぐよ!」
優子の頼みを無視して茶々が走り出し、仕方なく優子も走る。
この時の決断もまた自分の人生を大きく変える事になる事を彼女はまだ知らなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます