第1章
第1章 1
東京都西部にある境山町は小さな町である。
町の四方を山に囲まれた盆地で、その昔は交通の便が悪く小さな村だった。
だが、昭和に入り、トンネルや山道が整備されると少しずつ発展し今では四方に山がある環境を利用して「自然と共生する町」として売り出し、四方の山も登山道や麓に小さなレジャー施設などを作り観光客を呼び込み、それなりに人を集める事に成功していた。
そんな境山町の盆地にある境山中学校はこの町でもっとも古い歴史がある。
何度かの修繕を経た校舎に隣接している体育館、その裏にひっそりと小さな倉庫が建っていた。
長い期間、風雨にさらされてきた煉瓦造りの建物は傷んではいたが、それでも未だ大きな損傷などはなく、物をしまい込む建物に期待される頑健さを示していた。
そして中に入る唯一の入り口であるスライド式の無駄に重厚な金属扉には「関係者以外立ち入り禁止!危険!!」と雨除けのビニールに包まれた紙が張られていた。
とはいえ、昔はいざ知らず、現在ではこの倉庫に収められている物は授業に使われる事もないので、頼まれてもわざわざ入ってくる生徒もいないのだが。
だが、そんな普段は人がまったく立ち寄らない場所に一人の少女が現れ張り紙がされている扉の取っ手を掴んで悪戦苦闘していた。
「くっ、この、負けるかぁ!」
一瞬だけ少女の黒い髪と目が黄色に変わり扉が勢いよく動き、ガンとすごい音が響いて建物が若干揺さぶられ倉庫内に埃が舞う。
「あっ、やりすぎた」
「やりすぎたではないわ!扉が開けにくいだけで力を開放するでない!」
「しーっ!ティア、静かにっ!」
周りに人がいない事を確認して慌てて倉庫に入った少女、茶々が口に指をあてて怒っているティアーネを宥める。
彼女は境山中学校三年生であり、そして校内で唯一の園芸部員であり、そしてこの園芸部員用倉庫の主でもある。
その権限を用いて、茶々はここを勇者ギルドの隠れ家として勝手に活用していた。
しばらく扉を開けっぱなしにし、舞った埃を外に逃がしてから茶々は扉に手をかけた。さきほどの衝撃でドアの車輪の調子がよくなったのか今度はスムーズに扉を閉める事ができた。
薄暗いので、明かりをつけ、換気扇を回すと僅かに香る土の匂いも薄らいでいく。
「にしても、今日は早かったのぉ」
周囲に人の気配がない事を確認してからティアーネは茶々に改めて声をかける。
「今日は誰にも捕まらなかったからね」
「……誰からも相手にされんとは寂しい学生生活じゃのう」
「違うよ!友達いないんじゃないよ!今日はみんな予定があったんだよ!」
「ただの冗談じゃ。だからそうムキになるでない」
カラカラと笑うティアーネに僅かに頬を膨らませ子どもっぽい怒りを表現する茶々だが、いつもと違和感がある事に気づきそれほど広くない倉庫のあちこちに視線を走らす。
「……あれ、今日は師匠いないの?」
今までは、勇者として活動する時はいつも一緒にいたので、今日もてっきり顔を見せてくれると思ったのだが、ここにリョウの姿はなかった。
「今日は見ていないのう。昨日で研修は終わったのじゃから、もう監督はしないという事じゃろうな」
「そっか……」
「なにを不安そうにしておる。早く一人前になりたいと言っておったじゃろうに。それとも我だけでは不安というか?」
「そ、そんな事ないよ!ただ、ちょっと寂しいなって……」
「別に今生の別れでもあるまいし、大げさな。巣を見つければすぐにでも会えるじゃろうに」
「そうだけどさぁ。なんか、こうあっさりしすぎている気がしない?」
「我はむしろ、あの御仁らしいと思うが。逆にベタベタと世話を焼いてくる方が気味が悪いじゃろう?」
「……確かに!」
そんな姿を全く想像できなかった茶々が全力で頷く。
「向こうも向こうで既に動いておるのじゃ。我らも気合を入れてクエストに臨むぞ!」
「おう!……で、具体的には茶々は何をすればいいの?」
「お主な、昨日のチーフの話を聞いていなかったのか?まぁ、良い。では、簡単に今回のクエストに関して説明するぞ」
クエスト名:境山町の捜索
難度:E~?
「お主も知っていようが、ここ最近境山町における喰らうモノの出現数が激増しておった」
「だから、それを倒しながらついでに茶々の研修を済ませちゃおうって話だったんだよね?」
「そうじゃな。あの時はまだ近辺に巣が出来たのか、それともどこからか流れてきたきただけの集団なのか判断がつかなかったのじゃ。じゃが、ついに巣の発生が疑われる出現数の境界線(ボーダーライン)を越えたために新たなクエストが発令されたのじゃ」
「あれ?茶々、そんなに喰らうモノを倒したっけ?」
「お主の訓練の後に、リョウが一人で倒して回っていたんじゃ。もっとも巣を見つける事までは出来なんだが」
「はえ~。結構夜遅くまで付き合ってくれたりしていたのに、いつ寝ているんだろう?」
「さあのう。聞いた話では五十時間寝ないで戦い続けていたなんて話もあるくらいの人じゃからな。ええい、リョウの話はいいのじゃ。お主に与えられたクエストの内容は境山町内の捜索じゃ」
「要するに、今までやっていたみたいにウロウロしていればいいの?」
「言い方はアレじゃが、概ねその通りじゃ。ただし、お主の任務はあくまで捜索。喰らうモノを見つけた場合などは直ぐに本部に連絡することになっておる」
「ええ~、戦っちゃいけないの!?」
「そこは状況と我の判断次第じゃ。くれぐれも勝手な行動はせんように」
「はぁ~い」
不満はあるが、一昨日のテストの不甲斐ない結果を考えれば反論しようもないので、しぶしぶ茶々は頷いた。
「偉そうな事を言っておるが我もまだまだ半人前じゃ。じゃから、協力して一人前であることを証明し周りに認めさせるため頑張ろうぞ!」
「うん、頑張ろう!」
小さな相棒とタッチを交し茶々は心の中で雪辱を誓う。
(私も師匠と同じように誰かを守れるようになるんだ!)
勇者ギルドに所属する勇者たちにはランクが存在する。
研修生はEからスタートし、テスト結果次第でCやDに上がる事が出来る。
基本Cランクになれば自分の意志と責任においてクエストを選択できるようになる。
だが、茶々が昨日言い渡されたランクはDである。
Dランクではクエストを受ける際にも事前にチェックが入る上に、クエスト中の単独行動も禁止されているし危険領域とされている巣に入る際は高ランクであるA以上の勇者の同行が必要になる。
問題は、このA以上の勇者が極端に少ないため肝心の作戦でお留守番を言いつかる可能性もかなり高い。
だからこそ、茶々はCランクを目指したのだが、結果はこの通りである。
ちなみにリョウはSSクラスというギルドに二人しかいないランクに属しているトップエースであり、茶々が強いと評した沙織がAランクであり、現在本部に常駐している中でAランク以上はこの二人だけである。
つまりリョウが沙織がいて、なおかつ二人の許可がないと茶々は巣を見つけた後は置いてけぼりを喰らう可能性があるのである。
(守るために勇者になったのに守られてちゃ世話ないよ)
と、思うが勝手な行動をすること、慢心する事の危険性は今までにリョウにたっぷりと教えられてきた。
その教えを無視する事は、監督役のリョウの指導力不足という悪評になる。
「不満はあるじゃろうが、今は地道に経験と実績を重ねるときじゃぞ?案ずるな。あのリョウもお主の戦闘力は買っておったのじゃ。後は、うっかり、いい加減、すぐ油断する、時間にルーズ、その他諸々の悪い点を治していけば……」
「ちょっと、それもうただの悪口だから!」
抗議しながら茶々は笑ってしまっていた。
ティアーネの言う通り、まだまだ自分には治すべき所がある。それは即ち成長できる余地があるということでもある。
そう思えば、地道に頑張ろうという意欲も湧いてくる。
「しかし、お主のリョウに対する憧れはすごいのぅ。いや、以前に助けられたという経緯は知っておるが」
「聞きたいの!?師匠のカッコいい所!」
「いや、何度も聞いたから言わんでいい」
リョウという人物についての評は様々だが、誰しもが共通して認識している事はまず『最強』であることが挙げられるだろう。
とにかく強い。数いる勇者の中でも、彼の強さは別格だ。
だが、性格については大体においてよく言えば孤高、悪く言えば自分勝手という評が付きまとい、その素行については沙織のように顔をしかめる人は少なくない。
それに加えて、常に不機嫌そうな顔に見る者全てを委縮させる眼光の鋭さが自然と人を寄せ付けない。
リョウと自然に話せるのは、ほとんどが3年ほど前に勇者ギルドを立ち上げた古参メンバーくらいで茶々の様な新人が懐くなど今までなかったのである。
そして、茶々の希望と勇者ギルド長の悪ノリで、半ば無理やりリョウは教官をやらされる事になりティアーネはその補佐をすることになった。
(まぁ、確かにただ自分勝手なだけではないようじゃがな)
散々面倒だなんだと文句は言っていたが、それでも茶々に必要な事は教えていたし、テストの時のように危険な場面では颯爽と助けに入ってもいたし適宜アドバイスもしていた。
それを見てティアーネも最初に抱いていた悪いイメージは払拭してはいたが、茶々の妙なリスペクトぶりには、いささか共感しかねる部分があるのもまた事実だった。
とはいえ、それを今言い合った所で仕方がない。
「いつまでも、ここでおしゃべりをしている訳にもいかん。そろそろ話を戻そう」
「う~ん、まぁ師匠の話は後でしようね。それで、まずはどこから調べたらいいのかな?」
「リョウの勘では境山町の四方にある山が怪しいということじゃ。そして今もリョウとドローンで山を捜索。併せて境山町に隣接している地域にも勇者たちを派遣し、境山町を包囲する形で捜索範囲を狭めていく予定じゃ。そして茶々には地理に明るい事から境山町の中心、盆地エリアの捜索と警戒が割り当てられておる」
「あれ、茶々たちだけなの?」
「うむ、お主も知っておるじゃろうが、今我の故郷である『エデン』で大きな作戦が控えておる。よって少人数によるクエストになっておる。実際の所、ほとんどCランクの勇者と同じような働きが期待されておるのじゃ。少しはやる気が上がったか?」
「茶々が期待されている!?」
「いや、多分お主が思っておるほどではないぞ?」
ティアーネのちょっとしたリップサービスが茶々のやる気に火をつけてしまったようだ。
(まぁ、しょぼくれた顔をされるよりはマシと考えるべきじゃな。我が上手く手綱を握れば済む話じゃ)
そんな事を思われている事は露にも思わず、茶々はスマートフォンに擬態されているギルド支給の万能便利ツール『ヤオヨロズ』を取り出し境山町の地図を確認し始めた。
そこには、チーフがリョウの報告を反映した新たなデータが掲載されている。
喰らうモノが出現した場所のいくつかは茶々も同行していたので知っているが、山の方にあるのは覚えがないのでリョウが一人で倒したものだろう。
「でも、巣を捜しているなら師匠もそう言ってくれれば良かったのに」
「手伝うと言われるのを警戒してたんじゃろ。それに確証もなかったじゃろうしな。とはいえ、現時点で山に巣があるというのも確証はないわけじゃが……」
「大丈夫、師匠ならきっと見つけてくれるよ!」
「その全幅の信頼は何なんじゃろうな。まぁ、良い。今回の捜索ルートの設定は茶々に任せるでな。どこから回るか決めて欲しいのじゃ」
「う~ん、一昨日はこの辺で戦ったから次はこっちのほうを見てみる?」
「うむ、ならココを通って……。こんな感じで歩いていけば夕餉までには帰れるじゃろう」
茶々の要望にティアーネがルートを設定し、ヤオヨロズに夕飯の時間までに回れるルートが設定される。
「時間的にそれがいいと思う。夕飯に遅れるとお母さん心配するしね」
「異世界からの侵略者と戦ってます!」なんてことを家族に言えるはずもなくギルドメンバーのほぼ全員は秘密裏に活動している。
当然、茶々もまたその一人であるから、家族に怪しまれないように日常生活を普通に過ごす必要がある。
それに今年は茶々も高校受験を控えている身である。あまり遊び惚けていると親に思われるのは良くないというティアーネの心配りでもあるのだが、茶々自身は未だ受験生という意識は低く、そういった事に気が回ってはいない。
「それで夕飯食べたらこっそり家を抜け出して捜索再開しよう」
「今日は宿題は?」
「……ない、と思うな~」
「一応、言うておくがもし成績が下がっても我らは何もしてやれんのじゃぞ?」
勇者ギルドの運営に日本はもちろん現時点で地球のあらゆる組織と関りがない。
つまり、地球上の生活において国家権力や超法規的措置などの援助は受けられないのである。
全ては自己責任というのが勇者ギルドの掟である。
「わかってるって。大丈夫、大丈夫!さぁ、出発しよう」
旗色が悪くなり始めた会話を一方的に切り上げ、茶々がドアを開けようとした時だった。
ドンドン外から誰かがドアを叩く鈍い音が室内に響いた。
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