序章 4
(また一年間雑用やらされるんだろうなぁ、はぁ)
心の中でため息をつきながら今年中学2年生になったばかりの
優しい子に育つようにという両親が願いを込めて付けた名前の通りに、彼女は『やさしく』『いい子』に育った。
しかも、学業優秀で運動も平均以上にこなせた彼女は小学生のころから優等生であり手先も器用で何事もそつなくこなせる彼女は学校の先生にも級友たちにも信頼された。
だが、その結果として小学生のころから誰もやりたがらない面倒事、学級委員やイベント毎に作られる○○委員などを押し付けられることが多かった。
「竹内さんなら大丈夫!」
「優ちゃんがいいと思います!」
などという周囲の無責任な期待を押し付けられながらも、『いい子』であった彼女は期待に応えるべく努力した。が、世の常として優雅に泳ぐ白鳥の足元に気づく者が少ないように、その頑張りを正当に評価されることはなく、さも「できて当然」みたいな扱いをされるのが不満だった。
自分の『優しさ』がただの『気弱さ』の裏返しなのは優子も気づいてはいた。だからと言って突然性格を変えられる訳もなく、中学に入り環境の変化に期待していたのだが、あっさりと潰えることになる。
きっかけは去年の秋、他の子がやるはずの仕事の代役を引き受けたことだ。
期限ギリギリの絶望的な状況を生来の生真面目さから挽回してしまったせいで、よりによって優子が苦手にしていた、生徒からは人気があるがいい加減な担任に目をつけられ、あれこれクラスの仕事を押し付けられる羽目になってしまった。
「いや~、当番のアイツがちゃんとやらないからさ~」
「はぁ、そうですか。(他の子は嫌がるからって何でもかんでもヘラヘラ笑って私に押し付けてこないでよ、このへっぽこ教師!)」
更に優子にとって不運だったのは二年生になっても担任が変わらなかったことだろう。生徒の模範になるべき先生が優子を便利屋扱いすれば級友たちが真似をするのは当然の流れだった。
そして今日も放課後帰ろうとした優子に級友の一人が悪びれた様子もなく見え透いた嘘の用事を並べ立てて、ごみ捨ての代役を頼んできたのである。
(みんなヘラヘラ笑って私に何もかも押し付けて……!)
先生や級友たちに心の中で怒りを向けるが、生来の気弱さから、それを表に出すことも出来ず。結局それは最終的に「断れない自分が悪い」という自省となって返ってくるのが常だった。
(はぁ。早く済ませて帰ろう…)
怒りと後悔をなんとか鎮め、優子は僅かに残っている人がいる教室をゴミ袋を持って廊下に出た。
下駄箱で靴を履き替え、そのまま校舎裏にあるごみ捨て場へと向かう。
このゴミ捨て場が二つある校門から離れた場所にあって寄るのが面倒なのがサボりを続発させている原因だ。
優子が持っているゴミ袋の中身も恐らく二日分くらいはあるので昨日も当番がサボったのだろう。
大きく嵩張るごみ袋を持ってえっちらおっちら歩いているとようやく目的地に到着する。
既に山のように重なっているゴミ袋を崩さないように注意深く重ね、ゴミを漁りに来る害獣避けのネットを被せる。
(これで終わり!)
周りに誰もいないのをいいことに、へそが露わになるのも構わず伸びをしながら周りを見る。
ここにあるのはゴミ捨て場だけなので来る人もほとんどおらず、遠くで聞こえる部活動の音が別世界の出来事のようにも感じられる。
近くに生えている木の枝が風に合わせ音を鳴らし、一番近くにある体育館から聞こえてくる部活動に励む生徒の声と重なり聞こえてくる。
そして更に視線を巡らすと、こんな不便な場所にゴミ捨て場がある理由が視界に現れる。
それは年代物の焼却炉だった。
優子が通う中学校は戦後まもなく開校し、それを記念して初代校長が私財を投じて寄付したらしい。
その後、長らく役目を果たし続けてきたが、環境問題が取り沙汰される時代になると静かにその役目を終え、いまではモニュメントとしてここに置かれている。
といっても、特に手入れなどされてはおらず、もはや錆びだらけ、腐食によって穴も開いており危険だからと生徒が近づかないようにフェンスに囲まれている姿は優子には痛々しく映る。
「使わないのなら撤去しちゃえばいいのに……」
何となく、人の為に働いていたのに見向きもされなくなった焼却炉と自分の境遇が重なる。
その場では感謝されても次の日には忘れられている自分の境遇と似ている気がして優子はこのボロボロになった焼却炉に同情心を持った。
恐らく、もう誰からも注意を払われなくなった物を、せめて自分は憶えていてあげよう。
そんな事を考えながら優子はポケットからスマホを取り出しカメラを起動し写真を撮ろうとした優子は首をかしげる。
(あれ?)
焼却炉に開いている穴の向こうに何か黒い物が見えた気がした。
(ひょっとして黒猫でも住んでいるのかも?)
それを確かめようと穴の開いた所をズームして確かめるが特に何か映るわけでもなく気のせいかと思い直し改めて少し場所を移動しながら写真を撮っていく。
特に写真に興味があるわけではなかったが、ここでも生真面目さを発揮し素人なりの『良い構図』を模索し始めた所で、優子はふと我に返った。
(なにしてるんだろ、私。さっ、もう帰ろっと)
最後に一枚だけ写真を撮り、優子は踵を返す。
それは、ただの日常の一コマ、何気ない、そして大して意味のない行動……のはずだった。
帰ろうとした優子の足が止まる。いや、無理やり止まらされた。
優子は特別勘が鋭い方ではない。
だがそれでも、はっきりと分かる。
(後ろに何かいる!)
嫌な汗が背中に流れる不快感も上書きするほどの寒気に優子は身を震わせる。
(ひょっとして、さっき見たのって幽霊か何か!?)
とにかく足を前に動かそうとするが、まるで金縛りにあったかのように優子の細い足は言う事を聞いてはくれない。
そして突然、眩暈に似た感覚に襲われ優子は地面に倒れ込む。
立ち上がろうとするも、体が鉛の様に重く感じられ動くことが出来ない。
(何これ?頭が重い……。一体何が?)
それでも必死に頭を持ち上げ後ろを見た優子が見たモノは黒いモヤに包まれる焼却炉の姿だった。
そして、モヤの中に怪しく光る紅い瞳のような物が見た所で優子の意識は途絶えてしまった。
「きゃあああああああ!」
「優子、どうしたの、大丈夫!?」
ベッドから体を起こした優子に悲鳴を聞いて駆け付けた母親が優子の背中を優しく擦る。その手の温かさで優子はすぐに落ち着きを取り戻したが、状況が理解できず周囲をキョロキョロと見渡す。
「え、ママ?なんで学校にいるの?」
「学校?何を言っているの、ここはあなたの家よ。大丈夫?」
「家?あれ?」
母に言われて、ようやく自分の部屋に居る事を認識した優子だが混乱は収まらない。
なぜ自分が家にいるのか、記憶がはっきりしないのだ。
「優子、本当に大丈夫?なんだか学校から帰ってきた時から変だったけど……」
「学校から帰ってきた時から……?私、自分で帰ってきたの?」
「当たり前でしょう。ただ制服が少し汚れていたから、その何か事件に巻き込まれたんじゃないかって、お父さんが心配しているわ。優子、何かあったの?」
開いたままのドアの向こうでは心配そうな顔をしている父親の姿が見えた。
(これは何か誤解されている?)
そう思い誤解を解こうと思ったが、肝心の原因が分からず言葉が出てこない。
「優子……」
「ち、違うの。その別に誰かに襲われたとかじゃないから。ちょっと転んだだけ……だと思うんだけど」
何か更に誤解を深める言い方をした気がするが仕方がない。原因は優子にも分からないのだから曖昧な言い方しかできない。
ふと時計を見ると既に夜の11時を過ぎていた。
普段の寝る時間よりかなり前にベッドに入ったらしいが、その記憶すら優子は持っていない。
(ゴミ捨てに行ったのが4時くらい。それから私は一体何をしていたの?どこまでが現実でどこまでが夢?)
何かあった気がするのだが、それが何か分からず優子は不安に体を震わせる。
そんな優子の背中を優しく撫でてくれる母親の手の温かさが今この時は現実だと教えてくれている。
「顔が真っ青よ。どこか具合が悪いの?やっぱり病院に……」
「ち、違うの!大丈夫よ、ママ。パパも大丈夫だから……!」
母親と、恐らく警察かなにかに連絡しようとしている父親を何とか思いとどまらせることに成功した優子は、母親に促されてベッドに横になる。
だが、混乱は未だ収まらず目は冴えてしまい眠ることが出来ない。
いや、それだけではない。
眠れば、またあのナニカを見てしまうかもしれないと思うと怖くて眠れないのだ。
(あれは夢?それとも現実?)
何かがあった気がするのだが思い出せない。恐怖を抑えて、さっき見た夢を思い出そうとするが、もうすでにその残像は霧散して消えていた。
記憶の喪失。
初めての経験に優子は怯え、結局、意識を失うように眠りに落ちたのは夜明けが近くなってからだった。
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