第18話 西鉄ライオンズ
私が高校生の頃にはすでになくなっていましたが、福岡の西鉄ライオンズ関連の本も、あの時期、よく読みました。
最初に読んだのは、確か、河村英文氏か、豊田泰光氏のどちらかでした。ほぼ同時期に、お二人の本を読んでおります。
へえ、こんなすごいプロ球団があったのか・・・。
でもなぜ、こんなすごい球団が、なくなってしまったのか?
当時は本当に、そのことが不思議でしょうがなかった。
今となっては、まあ、そういうこともあるのだとわかるけどね。
それはともあれ、私は、西鉄ライオンズという球団でプレーした人たちの本を読むことで、なるほど、勝つためにはこういうことをしなければならないかを学べた。それは今に至るまで、私の骨身になって生きています。そこで私は、三原脩というすごい人物がいたことを本格的に知ることになったのです。
その点については、何といっても、豊田泰光氏の本にもっとも私は影響を受けたように思っております。
福岡という街は、関東出身の豊田氏にとってはまったくの別天地であり、福岡の人たちからすれば、「よそ者」。それも、気の強い者同士のやりあいになるわけで、そりゃあ、ファンの皆さんも彼には思うところあったでしょうよ。
それでも、三原監督のもと勝っていくことで、彼は認められた。
それでもそれでも、三原氏が退団してほどなく大洋ホエールズの監督に就任し、やがて同僚の中西太氏が若くして監督になった後、彼は結局、国鉄スワローズへと移籍し、二度と福岡に戻ることはなかった。
そのことが豊田氏にとって良かったのかどうかは、わからない。
だが、豊田氏の本によれば、当時の国鉄はどちらかというと「傷をなめあう」ような、典型的な弱小チームだったとのこと。確かに、金田氏のようなとびぬけた大投手はいたものの、全体としてはそういうチーム。その金田氏も、国鉄が球団運営から撤退したのを機に、巨人へと移籍していった。一方の西鉄はというと、豊田氏以外の主力選手のほとんどが、そしてついには前監督で球団代表まで務めていた川崎徳次氏までもが、時期こそ前後しているものの、相次いで他球団へと移籍していった。
関口清治 阪急
豊田泰光 国鉄
高倉照幸 巨人
川崎徳次 阪神
・・・・・
これは別の本で後に知ったことだが、監督も務めた川崎氏が、巨人時代の監督でもある藤本定義氏が監督を務める阪神から投手コーチで来てくれと言われたときなどは、引き留めるどころか、ええ話やないかとばかり、さっそく阪神球団に電話して、ぜひ行ってやってくれとフロントの人に言われたとかなんとか。
その行った先で、カーブの投げ方も知らない高卒ルーキーの左腕投手に出くわしたが、それが、あの江夏豊投手でした、って話ですな。
やがて黒い霧事件で弱体化した西鉄ライオンズは、話によると稲尾和久投手の移籍をももくろんでいたという。結果的に彼は中西太氏の引退と監督辞任に伴い監督に就任したが、彼の監督でいる間に、ついに球団は太平洋クラブに譲渡されてしまった。
なるほど、プロというのは、そういう世界なのか・・・。
自分の周りのチンケな世界とは、全く別の世界だな。
チームの和とか、チームワークとか、そんなものは、プロならば勝っていれば後からついてくるものにすぎない。
そのことを、西鉄ライオンズという過去の強豪プロ野球球団を通して早いうちに学べたことは、私にとっては実によかったと思っています。
今回は豊田氏の本を中心に据えて書きましたが、近く、三原脩氏のことに触れていきます。
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