第16話 私生活でまで群れないことで
私生活で群れないことで、心の安定が得られます。
それについては、私に関する限り、江夏氏の本の影響が大きい。
別建てでさんざん「養護施設(現在の児童養護施設)」の小説を書いているぐらいでして、職員側ではなく、児童側、つまり、子どもの頃にいたという経験は、どうしても大きなものになる。
現在はともかく、当時の私がいた養護施設は、かなり先駆的でしっかりした取り組みをしていた場所だとは言うものの、そういうことにまで意識があったわけじゃない。人の領域に土足で入り込むどころか、そもそもの環境が子どもたちを群れさせ、ベタベタとした付合いをさせる場所だった。
そういう場所に過ごして居心地の悪さを感じていた私だからこそ、プロ野球関連の本は、本質的な「自由」というものが何なのかをしっかりと考えさせてくれたわけですな。
いくら仲間と群れようが、上司や先輩にコバンザメよろしくくっついていようが、用がなくなればはいさようなら。球団が、プロ野球界が一生面倒を見てくれるわけではないのです。それは、養護施設にしても同じこと。そこをごまかして、仲間ごっこをさせて悦に入っているような職員たちの言動には、今でも心底虫唾が走ります。
彼(彼女)らは、よく言っていました。
「施設を出たら、一人暮らしをしなければならない。一人は寂しい。だけどいずれ、家庭をもって子どもも生まれれば、さびしさは感じなくなり、素晴らしい人生が送れる云々」
究極の阿呆とは、こいつのことかと、私は当時から思っていました。
先程述べた言動に対して、私がここで言いたいことを言い出したら、単なる罵倒にしかならないから、やめます。しかし、50歳になっても当時の気持ちを思い出せるというのは、我ながら、どういうことなのかなとも思いますわ。
そんなこと以前にまずは、きちんと自分自身を律していかなければならん。
おまえら、無駄にベタベタ子どもを群れさせて仕事した気になっとるだけだな。
こんなことを常日頃、思っていました。
これは、学校でも同じこと。養護施設だけの問題ではない。
両親などのもとにおれば、まだ、逃げ場があるかもしれない。だが、養護施設という場所は、これまた、逃げ場がない。学校などより数百段。それもそのはず、生活そのものが逃げ場のない場所だから。当時の職員各位はそんな気持ちで仕事をしていたわけではないのだろうが、私から見たらそうでしかなかった。
だからこそ、プロ野球の本、とりわけ「一匹狼」とさえ言われた江夏氏の本の影響というのは、どうしても大きくなりました。
そうなると、本だけではなく、日頃のスポーツ新聞やスポーツ雑誌なども図書館などで読むようになってくるわけでして、それでまた、知識を補強していくわけです。
群れないことで、人は強くなるのです。
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