第11話 テストを受けるべきところは?

 高2になるほんのちょっと前の話。


 題は忘れましたが、ノムさんこと野村克也氏の本を読みました。ノムさんがプロ入りするにあたり、どの球団のテストを受けたらいいかを分析した記述、今も覚えています。もちろん細かい表現などはとっくに忘れていますが、その話の流れは、今もって私にとっての生きる糧となっております。


 ノムさんは、京都とはいうものの北部の田舎の野球少年。彼は、1953年度の野球名鑑を当時の金で数十円払って購入。それをもって、行くべき球団を絞ろうとした。


 プロ野球に接すると言えば巨人軍の情報が圧倒的に多い。

 じゃあ、巨人に入れるか? この全国区の球団は、前年に、兵庫県南部から有望な高卒捕手が入団している。この藤尾茂という選手は、捕手としても強肩だが、打者としてもすぐれている。こんな人物をライバルにして争っても、試合に出してもらえるかというと、そうは問屋も降ろさんだろうし、よくよく考えてみれば、全国区の球団だけあって、各地から優秀な選手が続々来ている。

 いくら巨人が好きだと言っても、それだけで巨人軍の選手に、というわけにはいかない。なんせ、野球をして身を立てていかなければいけない者が、野球少年よろしく好き嫌いの次元で球団を選んでいるゆとりなどない。

 そんな調子で各球団の選手とレギュラー情報を分析していった。

 その結果、広島か南海のどちらかに絞った。

 なんといっても南海ホークスは、鶴岡一人監督の育成力が優れているという情報もある。広島は当時まだ出来立ての弱小市民球団。しかも、本拠地が広島なので、テストを受けに行く交通費さえ、馬鹿にならない。それを言えば、巨人だってそうだろうという話にもなろうけど、まあ、それはさておき、南海なら、当時大阪に本拠地があったので、京都の果てから大阪の中心まで行けば何とかなる。


 そう考えた野村少年、結局、南海のテストを受けて、めでたく合格!

 でも、決して期待されていたわけじゃない。

 「カベ」ことブルペン捕手でもさせておけば、邪魔にはならんだろう、という感じで、御情けとしか言いようがないような理由で、何とかこの世界に入れてもらえた。

 テスト受験の日、テスト生に振舞われたハヤシライスかカレーライスを食べて、世の中にはこんなうまいものがあるのかと感激したとか。


 それから2年間、周囲の選手が遊びに行く中も、彼はバットを振り続けた。

 1年目の終わりにもうやめたらどうかと言われて、何とか粘って残留。2年目は1軍出場さえもかなわなかった。

 それでも3年目の春のハワイキャンプで、鶴岡監督に見いだされ、そこからいよいよ、一軍選手としてスタート。4年目には本塁打王にも輝き、中西太や山内一弘といった一流打者に徐々に近づいていった。

 そのあとのノムさんの活躍は、もう、ここで書く必要もないでしょう。


 人と同じことをしていて、本拠地の大阪球場はもとより、敵地の球場でも、スコアボードの4番目に、


 2 野村


なんて表示が何千回と表示されるはずもなかろう。


 1959年の後楽園球場の南海日本一の瞬間こそ、後楽園球場のスコアカード左側の上から6番目でしたが(このシリーズはずっと6番で出場)、あの東京オリンピック開会式の日(1964年・日本シリーズ第7戦)、甲子園球場の上段のスコアボードの左から4番目には、この文字が試合開始から最後まで、表示されていたのです。


 蛇足ながら、私のこと。

 小説を書き始めて初出版の話が舞い込み、契約に結び付いたのは、本格的に小説を書き始めて3年目になる今年・2020年の2月でした。2年間、小説という分野でやっていけるだけの文章を書き続けていたからこそ、この結果につながったわけです。

 そのことを思うと、まさに、野村克也という大選手のテスト生から這い上がっていった過程と、自らがダブってなりません。まあ、勝手にダブらせているだけですけど、こういうことができるのが、プロ野球を学んだことによる「果実」であると言えましょうな。

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