第5話 小まとめ 群れる必要は、ない
これまで少しずつ、小出しにかれこれ書いてきたような感じがしておりますが、まず一言で何が申しあげたかったかというと、
この社会で生きていく上で、群れる必要は、ない。
ということです。
もちろん、「群れる」こと=人と接触することがいけない、と言っているのでは、ありません。そこは勘違いしないでください。
いわゆる「いじめ」の問題にしても、職場でのかれこれの問題にしても、あるいは地域社会とか、かれこれありますけれども、とにかく、人と群れて何かをとか、そういう発想から、距離を置く必要があるということです。
こういうと、やれ人間は社会的動物だの、人という字は人と人がほらこの通り支えあって生きているのだからとか何とか、わかった口をきく者が沸いて出るのが相場ですが、一言で言って、そんな連中の声に耳など傾ける必要はない。
必要なときは、必要の範囲で、人と接していけばいい。
もちろん、都合のいい時だけ寄っていくなどという困った御仁もいるが、それはまた別の話。むやみやたらに群れあうことなどからは、決して、ろくな結果を招きません。そんなものは、無用なトラブルを巻き起こすもとでしかない。
まずは、自分が大事です。それから、身の回りの人。
そこを一足飛びに、やれ日本がどうの、やれ世界がどうのと大げさなことを言う人もいますが、そこまで言うには、まず自分自身が一人できちんと立っていないといけない。それがあっての身の回りであり、社会であり、日本であり、世界だ。
そこにやたらにねちねちと絡もうとする者に限って、無能というのが相場です。
プロ野球選手は、人に言われたことをやっているだけでどうにかなるほど甘い世界じゃない。そんなことは当たり前のこと。テメェでどれだけのことが、試合=興行という人前に出る「行事」の前にできるかというのが、まず第一のテーマ。
コーチや監督の言うことを「素直に」 聞いてそれを実行するだけでどうにかなるほど、甘い世界じゃない。そんなものは、そこらの子ども社会では通用するのかもしれないが、そんなことを求める大人と称する人たちがやっていることは、「子ども向け」の話などではなく、強いて言うなら「子どもだまし」に過ぎないのですよ。
学校教育なんか見ていると、いかに「子どもだまし」が多いか。
そのすべてが悪いとは言わないが、そこを見抜く目を持たないといけない。
大体、そんな大人の言うことを素直に聞いて一生が送れるほど、今どきそんなおめでたいことなどないのですよ。時代は、確実に変わる。その人の置かれる環境も、これまた、確実に、それも、否応なく変わるのですから。
そこに対応して結果を出していくのが、プロですよ。
いじめなんかで死ぬことはない。
そんなクズどもを相手にするヒマがあったら、プロ野球関係者の書いた本を読むことです。そして、そこで得たことを糧にして、自らの人生に、応用していくのです。
もちろん、人によってどの人の本が合うとか合わないとかはあるでしょう。
しかしそれは、たいそうな問題なんかではない。
私は江夏さんの本も読みましたが、江夏さんと確執のあった吉田義男さんや広岡達郎さんの本も読みます。こちらからも、得られるものは、多々あるのです。
そうですね、落合博満さんの本なども、いいですよ。
特に、彼が選手時代の「何といってもオレ流さ」は、よかったですな。
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