第四章

互いの正義 (1)


 公安警察の第一級特別捜査班FCIと彼女は名乗った。

 彼女に関するピースがハマっていく。警衛高校に編入してきた黒星。現場任務に付いていた者だと想像はしていたがまさか、公安警察だったとは。

 第一級犯罪特別捜査班FCIとは、通常の警察では手に負えない能力犯罪者を捕らえるための警察の中でも特殊な立ち位置の存在。

 警衛と役割が被っているように思えるが、実際は少し違う。警衛の元になった組織が第一級犯罪特別捜査班FCIなのだ。

 噂に過ぎないが、東京の警衛高校の校長が第一級犯罪特別捜査班FCIの元構成員であるという話はよくされている。

 恐ろしい点は、検挙率が百パーセントに近く、その構成メンバーは数こそ少ないが全員がS級ライセンス並みの能力者、つまり琴乃葉と同レベルの存在ばかりらしい。

 基本的にほぼ一切の情報開示をしないため構成員の数、能力、メンバーなど知る人間は警察トップの中にしかいないとされている。

 そして、そんな彼女が『名乗った』と言うことはこの後の展開は一つしかない。

 琴乃葉エイルは俺を『殺す』。

 殺さないにしても、永久的に牢獄へと捕らえることを前提として動いているはずだ。

 単なる逮捕が目的だった場合、第一級犯罪特別捜査班FCIであることを態々開示せまい。

 こんなことなら、犬塚に情報を貰うべきだったか。いや、公安の秘部組織だということは、同じ公安警察の犬塚でもその内情は知らなかった可能性も高い。

 そして、もう一つ分かった。輝夜の聞いた琴乃葉の電話。ダブルオーっていうのは、OOつまり隠語としての極秘を表していたのだろう。なにがガンダムだ、あの残念微笑女。今度会えたら頭に付いてる尻尾をちぎってやる。

 漆黒のロングコートをはためかせる紅の瞳ルビーアイの少女の後ろでは、名古屋シートレインランドの大観覧車が瞬く星のように煌めく。


「俺を逮捕するだって?」


 変声期で変えられた俺の声に琴乃葉が気づいた様子はない。当然のことだがクラスの同級生が実は殺し屋であったとは考える訳もないだろう。

 琴乃葉は普段と違った顔。いつも俺を睨むときとは別格の冷たい目をしていた。


「やっと。やっと見つけたわ」


 その言葉は俺に聞かせるためのものではなかった。自身に言い聞かせ、自身を奮起させ、自身を歓喜するための言葉だった。

 眼前に迫る紅虎クリムに堤防の上に立つ琴乃葉。それは、稲宮公園の天照大桜の上から俺を見下ろしていた時とリンクする。

 そんな顔もするんだな。

 俺の感じたのは純然たる恐怖。

 いつかの戦場で感じた本気の殺意だった。


「さて、俺はお前から恨みを買った覚えはないんだがな」


 俺は飄々と何喰わぬ顔で空笑い気味に言葉を返す。黒のローブの下では絡みつくような汗が吹き出してくる。

 考えろ。琴乃葉とこんなところで殺り合って勝てるか?

 能力を使えば善戦はできるだろう、しかし、琴乃葉は俺の能力を知っているのだ。正体がバレてしまえば、うちの組織は俺を切り捨て晒し首にするのは目に見えている。

 かと言って能力を使わなければ、勝機自体を失うわけだ。

 逃げの一手を打つにも、ここは土地勘の無い場所。しかも、相手は猛獣と黒星、このメンバーで鬼が二人の鬼ごっこなんて無理ゲーにも程がある。

 ならば、口を回してなんとかするしかない。


「そうね、貴方が私に直接何かをした訳ではないわ。これは私からの八つ当たり。本当ならば貴方に感謝しなければいけない立場の人間なのだから」


「感謝だって?」


 いきりなり出てきた場違いのワードに、俺は困惑の言葉を返す。


「柳財閥の柳重吾を覚えているかしら?」


「さぁな、生憎俺は物覚えが悪いんだ」


「そ、ならいいわ。私はそいつの娘なの」


「敵討ち、か」


 真っ先にその言葉が頭に浮かんだ。

 琴乃葉の父親を俺が殺していた。その事実に、僅かながらに残っている俺の良心がバクバクと心臓を鳴らす。


「違うわ」


「は?」


 しかし、俺の言葉は琴乃葉によって瞬時に覆されてしまう。


「勘違いしないで。最初に言ったでしょ。私は貴方に感謝してるって。だからこれは八つ当たりなのよ」


「待て、どういうことだ」


 彼女が何を言おうとしているのか、察しは付いている。しかし、そんなことが有り得るのかと脳が理解することを拒絶しているのだ。


「あいつを殺したくて殺したくて仕方が無かった、でもどんな理由があれど殺すことはできない。だから、私は少しでも早く父を逮捕するために、世間が無視できないほどの警察になって。父を逮捕する道を選んだの。でも、父は貴方に殺されてしまった。悔しかったわ、虚しかったわ。あんなにも努力して頑張って、やっと黒星になって。これで罪を償わせられる。そう思った矢先のことよ。もう私は目の前が真っ暗になったの」


「ーーー父親を捕まえるために、黒星になったっていうのか?」


「ええ、そうよ。元々、私は俗に言う社長令嬢。荒事なんて苦手、内気でシャイで人見知り。でも、ある事件が起きてから、そんな事も言ってられなくなったのよ、父に罪を受けさせなければあの子が報われないと知ってしまったときにね」


「事件。あの子?」


「貴方は知らなくていいことよ」


「そうかい」


「えぇ。私にはセンスがあったみたいで三年前に金星になったわ。そして、昨年の四月に黒星の権利を得たの。それで、やっと悲願を達成できると実家に戻ってみればーーー呆気無く父は自室で胸を一突きされ息を引き取っていたわ」


 黒星の特権。犯罪者を自らの意思で殺害できる権利。それは、権利であるだけであって、黒星の人間は滅多なことでは使うことはない。大勢の命を守るため止む無く使用する場合が殆どだろう。

 しかし、彼女。琴乃葉エイルは、たった一人を捕らえるためだけに、血反吐を吐く程の努力を持ってしても到達できないと言われている、黒星になったというのだ。

 そして、四月。つまりは俺が警衛高校に入学したタイミング。それは俺が日本でこの仕事を始めたのと同時期である。別の人間の仕業かと思ったが、その頃の記憶に思い当たる映像があった。

 間違いなく犯人は俺だ。


「つまりは俺が獲物を先取りしてしまったから。それが、気に食わないのか」


 唯の八つ当たり。

 その言葉通りに彼女は自身の向けていた執念を俺に向け変えた。

 今まで死に物狂いでやってきた人生を捨てたくないのだろう。

 だが、こんな俺の一般的な解釈では琴乃葉は読みきれなかったらしい。

 彼女の次の言葉は俺の心を大きく揺さぶった。


「いいえ、違うわ。私は貴方に本当の正しさ。ーーー本当の正義を知って欲しいのよ」


「正義だって?」


「私は何が合っても人を殺すことは悪だと断ずるわ。そして、罪を犯したものは法の裁きを持って罰を受けるべきなのだと」


 その言葉と同時に思い浮かんだのが、昼間SAKINOで『罪と罰』へ共感を得られなかったと言った琴乃葉の姿だった。

 きっと彼女の元来の性格から来ているのだろう。社長令嬢で内気で人見知り。

 だからこそ、強い口調で人に命令するのはその部分を隠す、いや。押し殺すためか。


「く、ハハハ。ハハハッ」


「何がおかしいの!」


 その言葉に俺はこの国に来てから初めて心の奥底から笑った。

 いや。嗤った。

 本当の正義。

 何だそれは?

 俺は今まで幼少から現在にかけて、五百を優に超える人間を殺してきた。現在は法で裁けぬ大罪を犯したものと条件が付いているが。過去は自身に殺意を向けた者全てを殺してきたのだ。

 戦場では殺さなければ殺される。それが絶対のルールなのだから。そして、あの少女の死を見た時に俺は誓ったのだ。

 弱者を犠牲した上で生きる人間など、この世の癌なのだと。

 そいつらを一人でも多く殺すことこそが俺の正義なのだ。


「お前は甘い、甘すぎるんだよ。そんなのはこの世界のどうしようもないクズを見てきていないから言えることなんだ」


「それでも私は!」


「さっき殺した政界の人間は人身売買をしていた。少女を玩具の様に弄び、飽きたら売払い。邪魔をしようとした人間を殺していたそうだ、どうだ?どうしようもないクズだろ」


「だから私が捕らえようとーーー」


「逮捕したところでどうなる。決まってるだろ、何にもならないんだよ。金で揉み消す、力で揉み消す。やり方は多様にある、確かに一時凌ぎにはなるかもしれないさ。だが、クズどもはまた繰り返す。学ばず後悔もせず、刺激や快楽を求め必ず繰り返すんだ」


「それは貴方の憶測よ。実際には罪を償った者もいるわ。逃げられない様に世論の目を集め、揉み消せないほどの証拠を出せば奴らは逃げ道を失う」


「どれだけの時間と労力が掛かる?一つに対応している間にも、他所では似たような犯罪が繰り返されてるんだ、真面目に対応していたら、助けられた命を失う可能性もある」


「それでも、私は!」


「もういい」


 この話は平行線だ。

 前提となる、己の正義が相反しているのだから。

 俺の正義は『裁かれない罪は死を持って償う』、対して琴乃葉は『罪を犯した者は法の裁きを受ける』と言ったところか。

 お互いが譲る気がないのだから、この話に最善は無い。

 俺はローブの裾から、ガバメントを取り出す。否、正確には執筆により書き出した。眼前の紅虎クリムが臨戦態勢に入っていることなど、とっくに気づいている。


「お前は俺を逮捕するために来たんだよな」


「ええ、そうよ。貴方は罪を犯した。その行為がどれだけ善足り得るものであったとしても、私はそれを見逃すことは出来ない」


 つまりはそういうことだ。


「ならもう言葉は不要だ」


 その言葉を境に一瞬の静寂が場を支配する。

 生と死を左右する不気味な沈黙。

 どちらが先手を取るかの無言の重圧。

 俺は執筆writeを使えない。読み解きreadはバレないように使えば誤魔化しは効く。

 ならば狙うは短期決戦なのだが、紅虎クリムから発せられているプレッシャーは先日の数倍は強い。この前の戦いは余程手加減してくれていたのだろう。持久戦に持ち込まれてしまえば正直キツイ。

 そして、当の琴乃葉の実力は未知数と来たものだ。だか、確実に格上。

 三十六計逃げるに如かず。気を見計らって逃げるのも一手だ。しかし、それは紅虎クリムを倒してからではないと難しい。


 やはり、最初はーーー。


紅虎クリム避けてッ」


 琴乃葉の命令と同時に、俺はガバメントを紅虎クリムに向けてフルオートで連射する。が、流石に距離もあった事で躱される。

 だが、想定内だ。先日のやり合いで飛び道具が効かないことは分かっている。

 一瞬の目眩しになればそれでいい。

 俺は琴乃葉と紅虎クリムの視線が俺から外れた瞬間。地面に転がっていたように見せかけ、漆黒の日本刀を執筆する。

『無銘刀』師匠の使っていた愛刀。

 特に名の知れた名刀な訳でも、特別な力が備わっている訳でもない普通の刀。

 その名の通り、打ち手の銘すら打たれていないただの日本刀。

 しかし、この刀は俺にとってもいくつもの戦場を共に駆けた戦友でもある。

 執筆writeを使えないのであれば、拳銃で戦うよりも、追加で執筆しなくてもいい刀の方が都合がいいし、ボロが出ない。

 こちらに視線を戻した琴乃葉は刀を持っていることに違和感は感じていないようだ。


「悪いがそこの虎に銃弾は効かないようだから、近距離で攻めさせて貰うぞ」


「あら、私の同級生は銃弾一発で、この子を倒していたわよ」


「それはきっと人間じゃないんだよ」


「そうかも知れないわ」


「グアゥ」


 その言葉に誠に遺憾だ、と言うように紅虎クリムが鳴いた。

 というか、この前から思っていたが何故動物の言葉が分かるんだ俺は。

 将来の夢を動物病院とかにした方がいいかも知れない。いや、言葉が分かるなら動物のカウンセラーの方がいいか?

 そんなどうでもいいことを考えながらも、視線は眼前の紅虎に向けたままだ。

 琴乃葉は未だ堤防の上から降りてこない。

 様子を見ているのか、煉獄クリムで俺のレベルを測っているのだろう。

 なら、それを逆手に取る。

 俺は黒のローブを風に翻しながら、紅虎クリムに向け、駆ける。

 紅虎クリムは正面から待ち受ける構えで、何処からでも来いと言っているようだ。

 今回は一殺は狙えないだろう。だがさっさと仕留めないと俺の詰みになる。

 俺は走りながら無銘刀を逆手に持ち替え、左手で先程の護衛達が持っていた拳銃を拾い上げると、直様読み解きreadを使いトカレフを脳内で読み解く。

 そして心の中で舌打ちする、中国のコピー品じゃないか、政界人の護衛ならもう少しマシなもん使えよ。

 まぁ今回はトドメを刺すために使う訳ではない、先程同様目眩しになればそれでいい。

 俺はトカレフで、紅虎クリムを狙い人間で言う肩甲骨の辺りを狙い撃つ。

 だが当然のように躱した紅虎クリムは、カウンター気味に俺の顔程もある肉球についた、強靭な爪で俺の喉を掻き切りに来る。

 それをイナバウアーの要領で寸前で躱し、トカレフの残弾全てを近距離で連射する。中国産の粗悪品の割に全弾発射フルオート機能に魔改造してるなんて持ち主は相当変わった人間に違いない。

 残っていた五発の内、二発は紅虎クリムの右前脚と腰の辺りに命中した。

 だが、その姿はまるでダメージを受けていない。文字通り火力不足の様だ。

 というか、今確実に殺しに来てただろ。流石に躱せる前提での攻撃だったのだろうが。

 忘れていけないが相手は猛獣。

 近距離戦で圧倒的不利は人間である俺の方だ。

 そして、こいつは普通の虎ですらない。

 紅虎クリムの周囲に高密度の熱が集中していく、それは前回の熱球の比ではない。

 前が千度だったとすれば、今回は二千度近いぞ。防災グッズの防火靴で蹴り上げるのは難しい。触れ合った瞬間に溶けてしまうだろう。

 だが、今回民家は近くにない。よって避けると言う選択肢も取れる。

 と考えていた矢先だった。俺は唖然とした。紅虎クリムの動きが前回と違ったのだ。

 口元に熱源が集まるのではなく、先程俺の喉を掻き切ろうとした獣の爪が紅く発光した。


 そんなのもありかよ。


 こちらが近距離戦を望んでいると判断したからか、紅虎クリムもこちらに合わせる様に近距離のスタイルに変えてきた。

 ただ、俺からすれば一撃必殺の武器を更に強化する意味はあまりない様にも思える。

 元々、あのデカい爪を食らえばひとたまりも無いのだ、裂傷から熱傷に変わるだけで大した違いはない。

 俺は逆手に握った無銘刀を握り直し、残弾が空になったトカレフを投げ捨てる。

 俺のローブは一応防火製だ。琴乃葉のロングコートの様に、燃えないという訳ではないがゼロか一かではその違いは大きい。

 そして、そろそろ決めないといけない。

 琴乃葉の観察ももうすぐ終わるだろうからな。


「さぁ、いくぞ」


 五メートルの間合いを一瞬で埋め、間合いへと踏み込む。

 一手、ハーフターンで逆手に握った無銘刀を紅虎クリムの首筋に差し込む。

 しかし、これは屈んで躱される。大丈夫だ誤差の範囲内。

 二手、背面を向いたまま無銘刀を縦に向け、紅虎クリムの脳天に刺し落とす。が残念ながら横に躱され髭を数本切り落とすことしか出来なかった。

 だが、これでチェックだ。

 三手、読み解きread。これで次の行動を読み解いて虎の首を狩る。

 筈だった。

 なのに俺の脳内に展開されたのは、最上級の危険を知らせるアラーム。

 近くにいたらまずい。そう判断した俺は直様、紅虎クリムから距離を置き、立て続きに読み解きreadを発動する。

 それに従い紅虎クリムの正面から外れサイドに転がる。

 アラームの理由はすぐに分かった。

 紅虎クリムの紅く光った爪から五本の線を描く様に紅い焔が俺に襲い掛かった。

 飛ぶ爪撃だとーーー。って言ってる場合では無い。

 読み解きreadのおかげで、食らうことは無かったが今のは危なかった。

 流石にこれは予定外だ。

 近距離と中距離に特化しやがった。


「誇っていいわ。紅虎クリムがその技を使うなんて滅多に無いことよ」


 頭上から投げかけられる琴乃葉の賛辞も嫌味にしか聞こえない。

 今の俺には先程の紅虎クリムの技より厄介な事がある。それは読み解きreadの回数制限だ。

 基本的に読み解きreadはチート並みの性能を持つ。しかし、それが何の制限もなく使い続けれるかといえば当然、否だ。

 一回の使用に最低でも一分程度のインターバルは必要とする。

 それなのに、十秒にも満たない間に二回も連続使用させてくれたおかげで、脳に少なくない負担が掛かってしまった。

 まだ大将戦前だってのに早くも満身創痍だ。


「仕方ない。やりたくは無いが奥の手を使うか」


「雰囲気が変わった?」


 独り言の様に小さくボヤき、剣先を地面に置く様に持ち替える。目敏く、琴乃葉がそんな事を言っているが、気にしている暇はない。

 そして、先程の様な適当な構えではなく、しっかりと腰を落とし型を取る。

 雲雀ひばり流剣術。

 師匠が考案した超実戦専用の剣術。

 パーリトゥドなんでもありを主体とする俺の戦闘スタイルとは合わないために、使うことは滅多に無いが、その実どんな剣術よりも一撃に全力を注ぐ背水の陣を取る型を多く取り入れている。

 師匠の助言は「自分より強いやつを相手にするなら、護りを固めたってしょうがねぇ。一瞬の隙を狩れ、安心しろ狩れなきゃ狩られるだけだ」とのことだ。

 つまり自分より格上と認めた相手にだけ使えってことらしい。

 無銘刀をメインウェポンとして扱っていた師匠は剣術において無敗。正確には喧嘩でも『戦争』でも無敗だったのだが。

 無能力者の中で最強だった女。

 そんな師匠の弟子がこんな虎野郎一匹狩れないで、一番弟子を名乗れるか。


「雲雀流剣術三ノ型。麗春日うららかすが


 鋒を地面に付けた事で、相手が何処を狙ってこようと初速で負ける。正に背水の陣の構え。


「グァウッ!」


 流石にこれほど大きな隙を、知能の高い紅虎クリムが見逃すはずがない。先程、爪撃が躱された事で今度は近距離で詰めにかかってきた。


「ダメッ、紅虎クリム!」


 琴乃葉の静止の声はあと一歩遅かった。

 助かるぜ、次さっきのをやられてたら俺の負けだった。


 一瞬。


 俺の横を通り過ぎた紅虎クリムが地に足をつけた時。

 虎の頭は既に宙を舞っていた。

 今のは合気道を応用した技。全七種の型のうちの一つ、相手の力を利用し攻撃に転ずる技。

 俺がしたのは、タイミングを合わせ無銘刀を手首を使い一回転させただけ。今回は読み解きreadを使っていない、多分相手が琴乃葉であったら、この技は使えなかった。

 直前で紅虎クリムに呼びかけていたことから見ても間違い無いだろう。

 背面で紅の炎となる紅虎クリムを見つめながら琴乃葉は下唇を噛んだ。

 あわよくば紅虎クリムだけで押し切れると踏んでいたのだろう。


「さぁ大将戦だ。どちらの正義が正しいか決めようぜ」


「ええ、そうね。私は貴方を逮捕する」


「やれるもんならやってみろ」


 その言葉を皮切りに俺たちの戦いは始まった。

 琴乃葉は腰のホルスターに差していた深紅に染め上げられたベレッタで威嚇射撃をしてくる。

 数発の発火光マズルフラッシュが見えたと同時に上空から弾丸が降り注ぐ。

 闇夜であることもあり、肉眼で弾丸を視認することは不可能だ。

 だからこそ、発火光マズルフラッシュの方向を察し回避行動を取る。

 向こうは闇夜で俺と戦う事を想定した上で、目を慣れさせていたのだろう。

 こちらは紅虎クリムの熱による発光を頼りにしていたこともあり、まだ目が慣れきっていない。

 環境有利は琴乃葉か。

 だが、俺に拳銃で挑むってのは愚策ってもんだ。こちとら戦争上がり、銃弾が四方八方に飛び交う戦場の中で仲間の跳弾に被弾しない様に背後まで警戒しながら、やり過ごしてきた人間なのだ。

 一直線にしか射線の向かない拳銃なんて、撃たれた方向さえ分かれば目を瞑っていても避けられる。

 射線を読み銃弾を避けた後、琴乃葉の姿が堤防から消えている事に気づく。

 なるほど、俺と一緒で拳銃はデコイか。じゃあ、本命はーーー。

 その瞬間、俺は背後に殺気を感じると同時、背中へ強い衝撃と痛みを感じる。

 一瞬すぎて回避が遅れてしまい、琴乃葉の回し蹴りをモロに喰らってしまった。

 直様、体勢を立て直し琴乃葉へと向き合う。

 速い、いや速すぎる。

 先程まで琴乃葉のいた堤防からここまで少なく見積もっても、縦横合わせて十五メートル以上はあったはず。

 発砲から僅か数秒足らずで音もなく移動するなんて不可能に近い。

 いや。方法は一つある。


「お前、空を飛べるのか」


「あら、察しが鋭いわね。でも、残念だけど自由に空を羽ばたける翼は持ち合わせていないわ。ただ、作用反作用の法則で少しだけ宙に浮けるだけよ」


「簡単に言ってくれるぜ」


 つまり俺が弾丸を避け彼女から視線を外した瞬間、琴乃葉は上空で炎を放ちロケットエンジンの様に推進力で移動し、俺の背後に着地したと。

 使役する能力が紅虎クリムなら、当然のように使い手は数段上の熟練度を持っているらしい。

 だが、人間相手なら戦いの定石が通じる。一撃にかける必要がない分、紅虎クリムより幾何か戦いやすい。


「貴方にもう一度だけ聞くわ。罪を償って。ーーーその後、私に手を貸して。貴方の力が必要なの」


 俺はその言葉に何故だか無性に腹が立った。こいつは俺が浅瀬光希だと言う事を知らない。

 だからこそ腹が立つだろう。

 浅瀬光希と執行者としての俺。どちらにも同じような言葉で誘いを掛けやがって。

 俺は誰にでも尻尾を振る犬や、誰にでも股を開く女が嫌いなんだ。


Eat shit糞食らえ


「That's too 残念だわbad」


 汚く鈍ったスラング英語と華麗で流暢ネイティブな発音が入り混じった瞬間。


 琴乃葉の右足と俺の右足が正面で激突し、互いの黒のローブと黒のロングコートがそれぞれはためく。


 琴乃葉の蹴りは男の俺に力で負けていない、それどころか軽く押し返された。

 これは力で押し込むのは無理か。

 俺が非力なわけではない、彼女の体が戦闘に特化したものに変質しているのだろう。

 俺は蹴り出した右足を戻しながら、ハーフターンでそのまま頭部へ向けた後ろ回し蹴りへと動きを繋げる。

 しかし、琴乃葉は当然の様に屈んで避け、即座にその低い身長を利用し鳩尾への掌底を放ってくる。

 その掌を無銘刀を握っていない方、黒のグローブを嵌めた左手で恋人が手を繋ぐ様に握ってやる。


「なんだ?自分から手を差し出してくるなんてやけに積極的じゃないか」


「あら、積極的なのは嫌いだったかしら?私はこれでも情熱的なのよ?」


「どの口がーーー、クソッ」


 俺は琴乃葉の言葉の意図を察して、即座に手を離す。

 琴乃葉の右手は紅く発光しており、その温度は紅虎クリムの火球と同じくらい、千度といったところだろう。

 そんな手で握られればいくら防火性のグローブをしていたとしても、素手で燃えている炭を握るのとなんら変わりない。


「繋いだ手を簡単に解くなんて甲斐性のない男ね」


「熱い女は嫌いじゃないが、熱すぎるのはごめん被る。蕩け合うのは歓迎だが溶ける気はない」


「あら残念」


 そんな押し問答を繰り広げながら、琴乃葉への考察を脳内で繰り広げる。

 彼女は火を使うだけの能力者ではない。

 今までにも火を使う能力者を見てきたが、大概が火炎放射器のように火を放出したりするくらいの雑魚ばかりだった。

 いや、正確には火という能力は扱いが恐ろしく難しいのだ。手から火が出せるだけでは、戦闘においてほぼ役に立たない。

 そこに『操作』という行程が必要になるのだ。

 火を出し、形状を固定し、それを操作することで初めて火球といえる物が成功する。

 操作に関しては練度次第で何とかなる部分なのだが、先ほど琴乃葉がやっていたように、発火ギリギリの温度で抑え、体温を千度近くまで引き上げるなんてのは正直異次元過ぎる。

 更に琴乃葉はまだ本気を出していないだろう。

 こいつの能力には、まだ先がある。

 舐めていた訳ではないが黒星の名は伊達ではなさそうだ。


「勝てるビジョンが浮かばないな」


「大人しく降伏する気になった?」


「知ってるか?相手が強ければ強いほど燃えるのが男ってもんだぜ」


「その言葉、貴方の言葉の中で一番似合わないわねッ」


 琴乃葉はそんな皮肉を言い切ると、いつの間にかホルスターから抜いていたベレッタで俺の腹部を狙い撃ってくる。

 ババっと二連射で撃ち出された9mmパラベラム弾が飛来する。近距離過ぎて射線は読めても身体が付いてこない。そう判断した俺は羽織ったローブを吸血鬼ドラキュラの様に自身の体に巻き込み弾丸の直撃を避ける。


「くっ」


 体に襲いかかる衝撃に苦悶の声が漏れる。

 このローブも、下のインナーも防弾製なので、もし直撃していても一撃で瀕死にはなりはしない。だが、直撃すれば骨は折れるし、運が悪ければ折れた骨が内臓に刺さり死へ繋がることもある。


「まだよっ!」


 俺の思考を読んだ様に、琴乃葉は超高熱をその拳に宿したまま殴りかかってくる。


「お前実は殺す気満々だろ」


 そんな皮肉を吐きながら、頭の中で読み解きreadを発動しギリギリで躱す。

 もし当たってしまえば大火傷は免れない。

 琴乃葉の信念からして、俺を殺すことはないだろう。だが、文字通り半殺しくらいは狙ってくるはず。


「失礼ね、ちゃんと手加減してるわよ」


「それはそれで腹が立つッ」


 一進一退。琴乃葉の僅かな隙を見つけては無銘刀で反撃しているのだが、すばしっこく上へ下へ左へ右へ尽く躱されてしまう。


「あら、そんなんじゃ当たんないわよ」


「的が小さ過ぎて狙い辛いんだよ」


「失礼ね、私は成長途中なのよ」


 何故だろう。

 俺たちは戦いながら笑みを溢していた。

 己の正義を賭して戦っているはずなのに、この戦いを気持ち良くすら感じている自分がいるのだ。

 お互いが相手を殺せないと分かっているが故の安堵。まるで、腕試しとして組み手をしているような感覚。


「琴乃葉。お前、俺の正体に気付いてるだろ」

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