読者《リーダー》 (2)

 アパートへ帰ると隣の部屋の電気が付いていた。今朝方チラッと見たときには、家具の搬入など何も終わっていなかったが、引っ越し自体はスムーズに終わったようだ。

 タイミング的に琴乃葉が引っ越して来ないかと内心ヒヤヒヤしていたが、杞憂に終わってくれた。

 部屋の前に入れられた表札には『深淵フカブチ』と書かれている。

 このプライバシー保護が騒がれる時代で、律儀に表札なんか入れてるとは珍しい。

 それ以上の何かを感じるでもなく、部屋の前を素通りしようとすると。


「無用心にも程があるんじゃないか?」


 部屋の前に光る物を見つけ、手に取ってみれば、それはアパートの鍵だった。

 自分の鍵はしっかりとポケットの中に入っていることを確認している。となれば、この鍵は今日引っ越してきた、隣部屋の住人のものだろう。

 さてどうするか、と悩んだ末に俺はインターホンを鳴らした。

 ポストの中に放り込んでおいても良かったのだが、電気が付いているからといって中に人がいるとも限らない。

 もしも外出中であれば、帰ってきた際に引っ越し初日から締め出しを食らうのも哀れだろう。

 インターホンを鳴らして一分程。

 出てくる気配が全く感じられないため、本当に外出しているのかもしれないと思い始めた。

 その時。


「なんだい?ボクに何かようかい?」


 ぬるりと開かれた扉から、一人の美青年が顔を現した。いや、正確には美女なのかもしれない。一人称だけで判断するのであれば、男性なのだが、扉から出された顔は紛れもなく女性の顔。

 ショートカットの髪はプラチナブロンドで、顔の作りが少々日本人離れしていることから、ハーフなのかもしれない。

 前髪の隙間から見える、蒼玉サファイアの瞳がそれを決定づけ、白銀に光る髪が琴乃葉とは違った特異感を醸し出している。


「隣の住人の浅瀬だ。部屋の鍵を落としていたみたいだから、一応届けようと思ってな」


「本当かい。気づかなかったなぁ、ありがとう助かったよ」


 そう言って、にゅるりと擬音が出そうな動きで、扉の隙間から手を差し出してくる。

 鍵を渡せってことなんだろう。

 まるで壺から出てくる蛸のようだ。


「気をつけろよ。ここら辺は警衛高校が近いから滅多に空き巣なんて無いが、それでも無いわけじゃないからな」


 お節介だとは思いつつも、そんな言葉を付け加えて、這い出てきた手に鍵を握らせる。

 輝夜と一年以上も一緒にいればお節介体質が移ってしまうのは仕方ないだろう。


「いや、本当にありがとう。そうだ、これも何かの縁だし、良かったらボクの部屋でお礼を兼ねてお茶でも飲んで行かないかい?」


「いや遠慮しておく。さっき珈琲を飲んできたばかりなんだ」


 やはり男なのだろうか。女性が警戒もなく、見ず知らずの男を中に誘い入れると思えないし、まさか一目で惚れられた訳もあるまい。一番嫌なのは、男色の男であった場合なのだが。

 そんな考察は、次の一言で全て吹き飛んでしまう。


「つれないなぁーーー作家リライターは」


「ッ!」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は軽く開いた扉を強引にこじ開け、無理矢理部屋の中へ入ると同時に、そのまま深淵の腕を組み伏せ床に押し倒した。

 空いてる片手には執筆writeにより書き出されたガバメントがプラチナブロンドの生え際へ突きつけられている。


「痛いじゃないか作家リライター


「お前は何者だ。何故その名を知っている」


「何故って。見てたからだよ。君をーーー君だけをね」


 まるで悪戯が見つかった子供のように、へへっと笑った彼女は、抵抗する素振りすら無く組み引かれたままになっている。


「どういうことだ」


「そうだね、簡単に言えば君を作家ライターとするなれば、ボクは読者リーダーだ。君の紡ぐ物語を読む読者なんだよ」


 彼女は悪びれも無くそう言葉を放つ。俺がこいつを『彼女』と表するのは床に組み伏せられた故に、潰れている胸を見てしまったが故だ。


「先に聞く。俺に対する敵意、又は俺の周りの人間に対する害意はあるか」


「バカ言わないでくれ。読者は作家の描くストーリーが楽しみなんだ。ボクはそれに介入する気なんてさらさら無いよ」


 彼女の手が今、自由であったのであれば、やれやれと両手を広げて首を振っていたに違いない。

 余りに奇怪。余りに奇妙。

 だが『読者』として彼女の言わんとせんことはなんと無くだがわかってしまう。

 俺は書き出したガバメントを消し去ると、彼女、深淵の拘束を解いた。


「説明してもらうぞ」


 意図せずに普段より数割増しで低い声が出てしまう。こいつは油断ならないと本能が警鐘を鳴らしているのだ。


「とりあえず落ち着きなよ作家リライター。自己紹介すらまだだろ?」


 深淵はため息混じりに答えると、リビングへと向かいソファに腰を下ろした。

 やはり安アパートだけあって部屋の立地はほぼ同じ、違うのは家具と女性特有の甘い匂いが漂っている事くらいだろう。


「俺の説明はいるのか?読者さんとやら」


 深淵の座ったソファの肘掛アームレスト部分に腰を下ろす。海外から取り寄せているのか、柔らかな弾力としっかりとしたハリがあり、座り心地は悪くない。


「いや、君の説明は要らないよ。なんなら君以上に君のことを知っているのがボクなんだからね」


「そうかい」


 俺の冷たい言葉にも、さして気にした様子のない深淵は先程言っていた通り自己紹介を始めた。


「ボクは『深淵海月フカブチ クラゲ』聡明な君なら気づいていると思うけど、ヨーロッパ人の母と日本人の父を持つハーフさ」


海月クラゲ?珍しい名前だな」


「ボクもそう思うよ。なんでも海洋学者の二人が両親だったみたいだからね。その関係だと思うけど、聞こうにも既に他界しちゃっているから聞くに聞けないのさ」


「そうか」


「あぁ、同情なんてしないでおくれよ?ボクはこんな性格だからね。悲観なんてつまらない事はしないよ」


「ああ」


 両親の死。それは人にとって大きな傷を心に刻む、人生における重大事件であるはずだ。しかし、それを海月は何てことない事であったかのように話す。

 それが酷く歪に思えて仕方ない。

 まるで自身を見ているかのような感覚に囚われるのだ。


「因みにだけど、ボクは名古屋大学の一年生。つまり君からみればボクは年上のお姉さんになる訳だね」


「なんだお姉さんヒロインにでもなりたいのか?」


「生憎とボクは君と恋愛関係や肉体関係を持つ気は無いよ。読者は作家に、感想は言っても意見はしない。何故ならボクは君の書くストーリーが好きなのであって、君自身が好きなわけでは無いからね」


 それは奇しくも俺と同じ意見であった。

 おかしな話だ。海月は輝夜並みの美貌を持ち、名古屋で一番の頭脳を持つ大学に通う少し変わった女性。

 だが、彼女は俺にとってヒロインになる事はない存在。

 それだけはハッキリと感じてしまう。


「話が逸れたな。それで何故俺のことを知っていた」


 核心に迫るように、海月の蒼玉サファイアの瞳を睨みつける。


「簡単な話さ。いや、正確には『今のご時世であれば』と注釈が付くのだけどね。君の事を君より知っているというのは比喩的表現でも誇張な表現でもなんでもない。何故なら君の全てを見てきたんだから」


 ーーー全てを見てきた。


 その言葉の意味は普通では当然ありえない言葉。もし、海月が俺の幼馴染であったり共に育った姉弟の関係であれば、俺も納得はできる。

 しかし、この女とは完全に初対面であり全くの赤の他人なのは確実だ。

 だが、この女と目を合わせた瞬間感じた、既視感に違和感。まるで鏡を見ているような不気味な感覚。

 そこから導き出されるのは。


「俺の過去を見たーーーいや違うか。俺と記憶を共有しているのか。お前は」


「流石は作家リライター。これだけ少ない情報からそこまで辿り着くなんてやはり君は異常だよ」


「能力か」


「そうさ、ボクの能力は『読者リーダー』。『作家リライター』の、つまりは君、浅瀬光希の記憶を追体験できる能力だ」


 その言葉に俺は天井を仰いだ。


「冗談キツイぜ」


 それは作家リライターと対になるセット商品のような能力だ。作家リライターが存在しなければ意味の無い能力。

 いや、作家リライターがいるからこそ生まれた能力の可能性もある。

 だが、そもそも発現する能力に規則性は無いのだ。

 プロのスポーツ選手の子供はやはり、そのスポーツに対して適正センスを持って生まれてくることがある。しかし、能力においてそれは通用しない。

 どれだけ強力な能力者の子供でも、その子供が無能力者、あるいは毛ほども役に立たない能力者であることは五万とあるのだ。

 現代科学が進歩しているこのご時世でも、能力とはなんなのかそれは未だに解明できていない。

 親から子へと引き継がれる物であれば、人間が種としての進化を果たしたと言えるのだろうが、能力はあくまでも個人に依存するのだ。

 なので、読者と作家。対になるように見えるが実は全くの偶然が生んだ産物と考えるのが妥当なところなのだろうか。


「最初に能力が発現したのは小学校三年生の時だった。それまでは、普通の子供だったんだよ?それはもう女の子らしくお飯事をするような立派な女子だった。でもある日、眠ったときにボクは全く知らない地にいた。子供ながら夢だと思ったんだけど、どうにも血生臭い夢だった。何故かボクは拳銃を握っていて、目の前にいた大人を撃ち殺したんだ。そこにボクの意思が介入することは無かった。勝手に体が動くってのはああいうことを言うんだろうね。そして、別の大人は自分に向けてこう言ったんだ。作家リライターってね」


 それは間違いなく俺の記憶だろう。思い出したくも無く、思い出したところで何の意味も持たない忌まわしき過去。

 それ以上自身の過去を語られるのが嫌だった俺は話を前へと進める。


「能力の発動条件はなんだ」


「そうだね。条件といえば、ボクが眠りについた時っていうことになるのだろうけど、眠れば必ず発動するわけでも無い。不定期に不秩序に不条理に発動するんだ。残念なことに自分の意思で読者リーダーを発動する事は出来ないよ」


 本当に残念そうに。まるで読み続けている書物の新刊が出ているのが分かっているのに、続きを読むことができない読者の様に深淵海月は切なげな顔を浮かべた。


「お前は現在どこまでの記憶を見ている。今日、俺の部屋の隣に態々越してきた事を鑑みれば、一年と少し前、丁度警衛高校へ入学した地点くらいか?」


「いいや、それよりは進んでいるはずだよ。勘違いしないで欲しいのは読者リーダーという能力は、一日の出来事をそのまま体験するものでは無いんだ、所謂ダイジェスト版って言えばいいのかな?作家リライターの重要なポイント、つまり分岐点を読ませてくれるのさ。だから何月何日といった日付で表すことは作家リライター自身の記憶と照らし合わさないと判断が付かないんだよ」


 それもそうか。過去の俺ならまだしも警衛に入学してからの俺は、大した危機に瀕することもなく何の変哲も無いつまらない日常を送っているのだ。

 そんな物を態々読者リーダーが読ませるとは思えない。

 しかし、彼女がどこまで把握しているのか知るためにも、俺は昨日出会った女の名前でどの程度最近の記憶を追っているのか確かめることにした。


「琴乃葉エイルを知っているか?」


「いいや、聞き覚えのない名前だね。最近出会った人物かい?」


 なるほど、つまり深淵は昨日あった出来事をまだ追体験していないようだ。

 ここ最近で俺の物語が動いたと実感できるのは、やはり昨日の紅の瞳ルビーアイの少女との出会いだったのだから。


「あぁ、昨日出会った人間だ」


「そうなんだね、今から楽しみだ。いや、本当に楽しみだよ」


 嬉しそうに顔を綻ばせる深淵は悪気なく、悪怯れる事なく、屈託のない笑みを、笑みではない笑みを向けてきた。

 それが少しばかり恐ろしく感じる。

 まるで鏡に向かい笑う練習をしていた幼少の自分を見ている様で、心が騒つくのを感じる。

 己を見て育った女。己を手本に育った女。己の写し鏡とも言える女。

 これは同族嫌悪とは違う。まるでドッペルゲンガーと出逢った様な奇怪感。

 だが同時に、嘘で塗り固められた自身の過去を全て知る、今となっては唯一無二の存在であることに心の何処かで別の感情が湧き上がってくるのを感じる。


「全く。昨日から可笑しな事ばかりだ。だが、お前が信頼に足り得る人物だという事は分かったよ。さっきはすまなかったな」


「なに、大したことはないさ。それにああなる事を予期した上での行動だったのだから、寧ろ謝るべきなのはボクのほうだ」


 そう言って深淵は少しだけ微笑みを浮かべた。

 それ以上俺たちは特に何かを話すわけでもなく、沈黙の中で過ごした。

 不思議なことに嫌な感覚では無かった。

 久々に感じた安堵というものだろうか、自身の過去を全て知っている上で全肯定されてしまったのだ。俺はこの国に来て初めて裸になった気がする。

 深淵海月か。

 きっと彼女は俺が死ぬ事を悲しむ。そしてーーー喜ぶ。

 読者が望むのは物語の完結、それと同時にいつまでも終わって欲しくないという矛盾。そんな相反した感情の上で彼女は俺の前に姿を現した。

 その理由を彼女は語らなかったし、俺も聞かなかった。聞く必要がない事だったからだ。

 彼女は言った。

 読者は作家に感想は言っても意見はしないと。

 つまり、そういう事なのだろう。

 ただ、物語を近くで見たくなった。

 きっと、それだけなのだ。

 その後、深淵はいつの間にかソファの上で寝息を立てており、夢の世界へと飛び立っていた。


「無用心なやつだ」


 俺は彼女の寝室から、ベッドの上にあった薄い掛け布団をソファで眠る彼女にかける。

 そして、部屋の電気を切った後玄関から隣の自室へと戻った。

 流石に鍵を閉めずに部屋を出るのは気が咎めたため、逆ピッキングで外から鍵をかけておいた。たく。開けるより閉める方が難しいってのに。

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