第三章

読者《リーダー》 (1)


 俺の胸はロリと呼ばれる人種を惹きつける何かがあるのだろうか。昨夜の千歳といい、今現在俺に全力で抱きついている千依理といい、嫌ではないのだが酷く複雑な気持ちだ。


「あ、ありえません!先輩が女の子に抱きつかれてますです!」


「あら、やっぱりタラシだったのね」


 背後からは、やかましい二人の言葉が重なるようにして聞こえてくる。


「千依理。今の気持ちを簡潔に教えてくれ」


 俺の胸に顔を埋めるエプロン姿のポニーテール少女に向けて問いかける。その質問の意図するところは、聡明な千依理であれば既に気づいていることだろう。


「あ、穴があったら入りたいぃ」


「だろうな」


 千依理は顔から火が出んばかりに、首まで朱色に染めている。どうせ「あの光希さんがお友達を連れて来るわけない」と予想しての行いだったのだろうが、残念なことに千歳と琴乃葉。全く見ず知らずの両名に、はしたない姿を見られてしまったのだ。こうなるのも無理はないだろう。


「あら、私たちはお構いなく。抱擁を楽しんでちょうだい。ロリコンさん」


「琴乃葉、鏡って知ってるか?お前も大概ロリに分類される側の人間だぞ」


「燃やすわよ」


「わわ、エイルさんの右手から火が出ましたですッ、凄いです!」


 千歳が琴乃葉の能力を見て若干テンションが上がっている。確かに琴乃葉の能力はファンタジーに出て来る物に似ているし、ゲーム脳の残念微笑女だから喜ぶのも無理はない。


「こんな所で力を使うんじゃない、火事になったらどうすんだ」


 余程俺の言葉にイラッとしたのか、昨日と同じ火球を作り出した琴乃葉が、ジリジリと俺に近づいて来る。その般若の形相からして本気で燃やされかねない気がする。

 しかし、琴乃葉の進軍を止めたのは意外な人物だった。


「み、光希さんを燃やすならーーー私を燃やしてください!」


 まるで俺を庇うように、火球を持った琴乃葉の前に躍り出て両手を広げたのは千依理だった。

 それはまるで、俺に逃げろと言ってくれた昨日のマスターのようで、やはり血は争えないのだと思い知らされる。


「もう。これじゃあ私が悪者じゃない」


 琴乃葉は肩を竦めながら「本気にしないで」とため息をついた。冗談で火球なんぞ出すな。

 毒気を抜かれた琴乃葉は、火球へフッと息を吐きかける。まるで蝋燭の火が消えるように火球は姿を消した。


「すまないな千依理。こいつは琴乃葉エイル、俺の同級生だ。見た目通り攻撃的なやつだから気をつけろ」


「その紹介の仕方はどうかと思うけれど、まぁいいわ。よろしくね、千依理」


 そうして、琴乃葉は千依理に手を差し出し、握手を求めた。


「え、エイルさんですね。こちらこそお願いします」


 おずおずといった様子が見て取れる千依理は、少しばかり緊張気味に琴乃葉の手を握り返した。


「それでこっちがーーー」


 千歳を紹介しようと、彼女の方へ人差し指を向けたはずだったのだが、そこには誰もいなかった。

 正しくは放置されて拗ねたのか、地面に座り込んでコンクリートにのの字を書いていた。コンクリートにののじを書くやつを初めて見た。いやこの場合『実際にのの字を書くやつを初めて見た』が正しいか。

 千歳の口元を見れば一定のリズムで何かの単語を言っている。何を言っているのか気になり『読唇術』を使い口の動きを読むと。


「ザキ...ザキ...ザキ」


 即死系の呪文を連打していた。


「おい琴乃葉。余程千歳に嫌われているようだな」


「どう考えても貴方に向けて唱えてると思うわよ」


 意外なことに、琴乃葉もこのネタが通じたようだ。上条さんの時も特に怪訝な表情をしていなかったし、実は隠れオタクだったりするのかもしれない。

 しかし、祝福の指輪には魔法が打ち放題になる効果があるらしいし、この世には言霊って現象もある。本当に発動しない事を祈るばかりだ。

 そんな千歳の姿を苦笑いで見ていた千依理は彼女の側まで行き、目線を合わせるようにしゃがみこむ。


「初めまして、私はここのカフェで働いている崎野千依理です。光希さんやエイルさん共々よろしくお願いします!」


 流石は千依理、大人だ。その姿は駄々っ子をあやす母親のようにすら見える。

 そこでふと思い出すが、千依理と千歳は高校一年生。つまり同い年なのだ。

 片や引きこもりのゲームオタク。片やマスターと二人で店を切り盛りする看板娘。残念微笑女に千依理の爪の垢を煎じて飲ませなければいけないな。


「は、はいです!私はお二人の後輩で、千歳雪名と申します!えっと、その。仲良くしてくれたら嬉しいです」


 千依理の言葉に元気を取り戻した千歳は勢いよく立ち上がる。

 その拍子に、目線を合わせるためにしゃがんでいた千依理の眼前で、巨大な脂肪の塊がぶるんと揺れた。

 何故だろう。この場に居るだけでざわざわと、音が聞こえてきそうだ。


「いえ、雪名ちゃんは敵みたいです」


「唐突ですッ!宝箱を開けたと思ったら、ミミックだった時くらいの衝撃です!」


「千依理。それについては私も賛成するわ」


「エイルさんまでッ?!」


 持つものは、持たざる者の顰蹙ひんしゅくを買う。これは女の世界ではとんでもなく大きな隔たりを生んでしまうのだ。

 強く生きるんだ、貧乳二人組。


                 ※


 その後、千歳VS琴乃葉&千依理の仁義なき戦いが繰り広げられていたが、いつまで経っても店内に入ってこないマスターが、呼びに出てきたことによって、一時休戦となった。

 放置しておけばいつまででも不毛な争いを繰り広げていただろう。マスターに感謝だ。

 因みに俺は近くの木陰で、昨日店長さんに借りた本を読みながら現実逃避に勤しんでいた。

 いつしか聞いた「女の争いに巻き込まれるな。巻き込まれたら最後、最終的な悪役はお前になるぞ」とは名言メーカーこと、師匠のお言葉だ。


「あぁ、店内が涼しいですぅ」


 テーブルに着くなり、だらし無い声を発しているのは当然千歳だ。

 琴乃葉は能力の関係なのか、暑さというものを感じないようで涼しい顔をしている。千歳と千依理が額に汗を浮かべ論争していた際も琴乃葉だけは涼しい顔をしていた事から、この考察は正しい気がする。


「そういえば、輝夜さんは来ないんですか?」


 そんなどうでもいい考えを繰り広げていると、キッチンからシルバートレイにアイス珈琲を乗せた千依理が、こちらに来て尋ねてきた。


「輝夜なら委員会の仕事で少し遅れるみたいだ。あと一時間もすれば来ると思うぞ」


 輝夜と千依理は姉妹のように仲がいい。輝夜は元来、面倒見のいい性格であるため不思議ではないだろう。


「輝夜さんはいつもお忙しそうですね」


「光希先輩はいつもお暇ですもんね」


「八割方はお節介で進んで引き受けてるんだから自業自得だ。それに俺は暇なんじゃ無い。読書で忙しいだけだ」


 二人の言葉に返しながら、テーブルの上で目を走らせていた本を閉じる。


「貴方は本当に本が好きね」


 琴乃葉の呆れたような言葉を聞いて、俺は偉人の名言にて返すことにする。


「本を読むことを止めることは、思索することを止めることである」


「あ、それ聞いたことありますですっ。えーと、チャイコフスキーさんですよね!」


「雪名。チャイコフスキーは作曲家よ。確かにどちらもロシアの偉人だから間違えても無理はないけど」


「フスキーしか合ってないな」


「ええ、さっきのはドストエフスキーの言葉よ」


「うぅ、なんででしょう、すっごく恥ずかしいです!」


 知らない事は知らないとはっきり言った方が、実は恥をかかなくて済むのだ。知らぬは一時の恥、聞かぬは一生の恥なんて言葉もあるくらいだからな。

 一番恥ずかしいのは、わからない事を知ったかぶりして話を合わせる奴だ。

 まぁ千歳の場合は、惜しいとこまで合ってたからこの場合には当てはまらないだろうが。


「あれ、私も何処かでそのお名前聞いたことあります!」


 そんな声をあげたのは、六人がけのテーブルにいつのまにか座り込んでいた千依理だった。

 因みに、俺の左隣に千歳で正面に琴乃葉と千依理が座っている。


「『罪と罰』って聞いたら分かるんじゃないか?」


「あ!有名な小説ですよね!」


 千依理はピンっときたのか、「はいっ」と右手を上げながら答える。


「ああ、誰しも一度は耳にしたことがある名作だと思うぞ」


「そうかしら、少なくとも私は共感を得られなかったわ」


 琴乃葉は読んだことがあるのか名作に対して、はっきりと否定する。

 まぁ本の内容の受け取り方は読者次第だ。誰にでもピンポイントで刺さるモノなどこの世界には存在しないし、仕方のないことだろう。


「どんなお話なんですか?」


「そうだな。簡潔に言えば、正義のために人を殺すという罪を犯した人間が、その後苦悩や葛藤などの罰を受ける話だな」


 あの大作をしっかりと説明しようとすれば日が暮れてしまう。なので本当に触りの部分だけを伝える。


「深いお話みたいですね。機会があれば読んでみますね!」


 それは読まないと言ってるようなものだが、まぁいい。一年生の千依理には少しばかり難しいかもしれないしな。


「人を殺めた人間はどんな理由があれど、罰を受けるべきよ」


 そう強く言い切る琴乃葉は、自身でも気づいていないのか、手の平をテーブルの上で固く握り締めていた。


「エイルさん、大丈夫ですか?」


 琴乃葉の顔が些か険しいものになっていたからだろう。心配した千歳が声をかけながら、琴乃葉の拳を手のひらでそっと包み込んだ。


「ええ、大丈夫よ。ちょっと嫌な事を思い出しただけだから」


 そう言って、千依理から渡されたおしぼりで顔を拭くと、いつもの琴乃葉へ戻ったようだ。

 人を殺した人間は罰を受けるべき。

 その言葉が何度も俺の頭でリピートされる。そして首を振る。

 俺は罰を受ける資格すらないのだから。

 その後、他愛もない話を三十分程していると、カウベルの音ともに輝夜が姿を現した。


「ごめん!お待たせ!」


「あ、輝夜さん。お待ちしていました!」


「お久しぶり千依理ちゃん。遅くなっちゃってごめんね?」


「いえいえ、お忙しい中来ていただけでも嬉しいですよ!」


 直ぐさまにウェイトレスでもある千依理が入り口へと駆け寄り輝夜を出迎えに行った。

 かなり急いで来たのか額に小さな汗の粒を浮かべた輝夜は千依理に案内され、俺の右隣へと腰を下ろす。


「丁度いい時間かな。千依理、料理を運ぶのを手伝っておくれ」


 頃合いを見測るように先程までキッチンで調理をしていたマスターが、千依理へ声を掛ける。


「はーい。では皆さんごゆっくりしていて下さいね!」


「あ、私も手伝うよ!」


 輝夜は落ち着きのない様子で、席を立ち上がり千依理について行こうとするが。


「今日は昨日のお礼を兼ねての物ですから、輝夜さんは珈琲でも飲んで待ってて下さい!たまには休まないと老けちゃいますよ?」


 千依理のその言葉に立つ動作をピキッと止めた輝夜は、まるでロボットにようにカクカクとこちらへと視線を向けた。

 その視線が聞いているのは、単純明快。「私って老けて見えるのかな?」って事だ。


「まぁ、このメンバーの中では大人っぽく見えるな」


 その意図を汲んで言葉を伝えると、ガクッとうな垂れるようにして席へと座り込んでしまった。


「大丈夫ですよ!輝夜さんは美人さんですもん!」


「そうね、何でそんなデリカシーの無い男と一緒にいるのか不思議だわ」


 ロリ巨乳こと千歳と、ロリ一直線の琴乃葉が輝夜にフォローを入れている。輝夜と二人を見比べれば、流石に同い年には見えないだろう。

 だが勘違いしてはいけない、輝夜が年相応であるだけで、残り二人の発育が遅れているのだ。


「でも、千依理の言葉も一理あるぞ。何でもかんでも人の頼みを聞いてたら無駄なストレスを抱えるだけだからな」


「もぉ、光希くん。前にも言ったでしょ?私が引き受けてるのは、私がしなきゃいけないことだけだよ」


「その中に俺の世話も入ってるのか?」


「もちろん。私がいなかったら光希くんその辺んでのたれ死んでそうだもん」


 酷い言われようだった。


「それはちょっと分かる気がするです!なんか光希先輩って本を読むのに熱中しすぎて一週間でも平気で断食とかしそうです」


「流石にそこまではしない。しても三日だ」


「十分介護が必要なレベルじゃ無いのよ」


 そう言ってエイルは呆れたようにため息を吐いた。


「三日くらいなら飲まず食わずでも死にはしないーーーはずだ」


 一週間近くなにも食べれなかった時でも死ななかったのだから。

 そう言葉を無意識に続けようとして慌てて飲み込む。

 思い出したくも無い過去の話を態々語る気も無い。


「健全な精神は健全な身体に宿るものよ。ご飯はしっかり食べないとダメ」


 エイルはヤレヤレと首を振り、子を叱りつける親のような顔をしている。

 何故こうも俺の周りには過保護な人間が集まるのだろうか。

 そんな他愛も無い会話をしていると。


「お待たせしました!当店自慢のディナーセットになります!」


 千依理が様々な料理をシルバートレイにのせて運んできてくれた。

 ディナーセットと千依理は言ったが、どちらかというとバイキング形式に近い様で、大皿一枚に一つのメニューがてんこ盛りに盛り付けられている。

 出てきたのは鶏の唐揚げに野菜の盛り合わせ、グラタンにシチュー。それにフランスパン。その他、カフェでは出て来ないであろうメニューが続々と運ばれてくる。

 テーブルに並べられたメニューは当然のことながら食欲を誘う匂いをしている…のだが。


「ま、まるで実家の晩ご飯みたいです!」


「凄いわね」


「どうしよう光希君、こんなに食べちゃったら太っちゃうよね?」


 良い意味でも悪い意味でも素直な三人だ。三者三様に並べられた料理について感想を述べている。

 元々SAKINOではディナーなんて物はやっていない。六時には店を閉めているし、何より態々喫茶店で軽食は取っても、夕食を取る物好きも少ないだろうからな。

 なのでこの眼前に並ぶ料理達はSAKINOの料理ではなく崎野さん宅の晩ご飯といった方が正しいだろう。


「ほら、おじいちゃん。皆の反応見てよ。やっぱりお店のメニューで出した方が良かったでしょ?」


「うむ、だがな千依理。サンドイッチやゆで卵なんかだとお腹が膨らまないだろう?」


 キッチンの方ではマスターと千依理が二人で小声で小さな言い合いをしていた。

 昨日のお礼とはいえ、無償で夕飯をご馳走になる身なのだ。

 俺自身はなんの文句も無い。只でさえ食べられれば何でも良い人間の俺だ。出された料理にケチを付ける気もない。


「マスター、食べても良いか?」


「もちろんだよ光希君。もし足りなかったり、食べたい物があったら言っておくれ、出来る範囲で作るからね」


 マスターは少々面食らった顔をしつつも、いつもの優しい表情でそんな嬉しいことを言ってくれる。

 かっこいい大人だな。何処ぞのギャンブル狂いのおっさんにも見習って欲しいもんだ。


「ありがとうマスター、頂くよ。折角だし二人も一緒に食べないか?」


「いいんですか!?」


「あぁ、もちろんだ。お前らも良いだろ?」


「はい、もちろんです!第一、私は棚ぼたで夕食を頂けてる側なので拒否権なんて、そもそもありませんですけど!」


「千依理ちゃんとゆっくりお話しするの久々だね!」


 千歳と輝夜は、それぞれ賛同してくれたが、もう一人の声が聞こえず不思議に思い、琴乃葉へ視線を送る。


「って、何一人で先に食ってんだよ」


 視線の先では既にシチューにフランスパンを付け、小皿に大盛りの野菜を移した琴乃葉がむしゃむしゃと食事を始めていた。


「ご飯は温かいうちに食べるのが美味しいのよ。誰も否定しないのをわかってる無駄なやり取りをする間にご飯が冷めちゃったら勿体ないじゃ無い」


 昨日、今日と琴乃葉と会話してきている筈なのだが、未だに彼女の性格が掴めない。

 そんな食いしん坊キャラだったのか?

 だが、確かに琴乃葉の言葉は一理あるので反論も出来ない。

 まぁ、一緒に食べる事を否定する気は無いと言うことなので、千依理とマスターを混ぜて、琴乃葉に続くように食事を始める。

 琴乃葉の横に千依理とマスターが並んで座り、対面に千歳、俺、輝夜の順で座っている。


「わぁ、美味しいです!」


「ホントだね!最近自分で作った料理しか食べてなかったから、こういう家庭の味を懐かしく感じちゃうなぁ」


「…」


 思い思いの感想を言い合う中、琴乃葉だけは黙々と食事を続けていた。昼間はサンドイッチを食べながらも、ぺちゃくちゃと会話していた癖によく分からん奴だ。

 その後は食事を続けながら「スタミナ消費忘れてました!」とスプーンを片手にスマホを開いてソシャゲをする千歳を輝夜が叱り、その隣で本を読み始めていた俺を千依理が注意し、琴乃葉だけは黙々と食事を続け、それを微笑ましく見守るマスターとある意味カオスな食事会になっていた。



                 ※


 食事を始めて一時間程。既にテーブルの上に並べられた料理は綺麗に平らげられ、千依理とマスターが食器を下げてくれる。

 片付けくらいは手伝います。と輝夜は席を立って二人と共にキッチンへ向かった。

 テーブルに残ったのは俺と琴乃葉とスマホのソシャゲと睨めっこしている千歳だ。


「ふぅ、ちょっと食べ過ぎちゃったわ」


「やっと喋ったか。あんまりにも夢中で食べてるもんだから、話を振る気にもならなかったぞ」


 そう、琴乃葉はあれから本当に会話に混ざってこなかった。まるで、一週間断食していたのかと思うほど、その視線は料理に釘付けだったのだ。


「ん、悪かったわね。こういう家庭の味って言うのかしら?一口食べたら、なんだか懐かしい気持ちになってしまったの」


 水で喉を潤しながら、俯き気味にそう答える琴乃葉。その言葉から、家庭の背景に何かしらがあったのが見えてしまう。


「まぁいいんじゃないか?マスターや千依理も美味しそうに食べてるお前を嬉しそうに見てたしな」


「そうーーーなら良かったわ」


 態々琴乃葉の地雷を踏み抜く気も無い俺は適当に話を変えることにした。


「それにしても、この残念微笑女はどうしたもんか」


「私からしてみれば、読書中毒の貴方も十分同類なのだけどね」


 そんな琴乃葉の言葉を聞き流しつつ、隣に座る残念微笑女の頭をツンツンと強めに突いてやる。


「い、痛いです!進化を止めたいなら私の頭じゃなくて、Bボタンを連打してくださいです!」


「これ以上、何に進化するっていうんだ。まさか腐女子と呼ばれる種族になったりしないだろうな。それは是非ともやめて欲しいな」


「あ、それは安心してくださいです!既に手遅れですので!先輩と榊原さんの絡みを見て頰を染めるくらいには腐ってますです!」


「もっと早くに連打しておくべきだったよ。お前の頭をな」


 俺は額に手を当てながら嘆息し、嫌な名前が出たことで、少し遠い目をしてしまう。

 そんな俺の様子を見て食いついたのは、琴乃葉だった。


「榊原ーーーって、もしかしてあの榊原拓徒のこと?」


「あれ、エイルさんもご存知なのですか?」


「当然よ。警衛として、知らない人なんていないでしょ?あんな人。一応クラスメイトだしね」


 あんな人。榊原のやつ酷い言われようだな。

 まぁ、それも仕方がない。


「朝っぱらから教室でギャルゲーやってるオタクの癖に、取り巻きを沢山引き連れてて、A級ライセンス持ちだからな。しかも、無駄に正義感が強くて、暇さえあれば依頼を受けてるし」


「本当にそれだけ聞くと、ラノベの主人公みたいな人ですよね。先輩なんかより、余程主人公属性が高いです」


 俺は千歳の事を残念微笑女と呼んでいるが、榊原はそれの男版。


「残念なイケメンだからな、あいつは」


「なんか、アンタにしては珍しく歯切れが悪いじゃない」


 苦笑い気味に呟いた俺に目敏く、琴乃葉が探りを入れてくる。


「榊原さんと先輩は大喧嘩をしてますもんね。なんでも光希先輩から吹っ掛けたとか聞いてますです」


「本当なの雪名。この感情の欠片も無さそうな男が、喧嘩を?」


 余りに想像できない光景だったからか、琴乃葉が目を点にして、俺と千歳を交互に見比べる。


「そうなんですよ!何でも入学当初にーーー」


「そこまでだ、千歳。それ以上は言うな。思い出したくもない」


 俺は自身の目を手の平で覆い隠しながら、自身の黒歴史を掘り返されることを阻止する。

 別に隠すほどのことでもないが、少々気が立っていた時期であったこともあり、思い出したくもないのだ。


「なによ、どうせその内にアンタの情報は全部調べるつもりだから、結局筒抜けになるわよ?」


「別にそれは気にしないさ。探られて痛い腹は持ってないからな。ただ単に、俺は過去の俺の話を聞きたくないんだよ」


 その返答に「まぁいいわ」と、琴乃葉は追求をやめると。隣から残念微笑女が頬を膨らませ、顔を近づけてきた。


「そんなんじゃ榊原さんに主人公を取られちゃいますですよ!」


「何の主人公だよ。それに俺は主人公よりも脇役Aを目指してるからな。道案内くらいでお役目ごめんだ」


「先輩はどちらかと言うと、榊原さんがピンチの時に駆けつける、友人枠な気がしますです。そして辛くも強敵を倒し。そして!ラブラブイチャイチャなバラ色の展開が!」


「フッ!」


「ひでふ!」


 俺は残念腐女子の脳天に手刀を落とした。昨日と同じ様に何処ぞの断末魔を上げた腐女子はテーブルに突っ伏し、目を回していた。


「ふぅ、いい仕事をした」


「あんたがこの子に冷たい理由がよくわかったわ」


 琴乃葉と俺の中で確信が生まれた。千歳はやはり、残念微笑女なのだと。


「あれ、雪名ちゃん。寝ちゃったんですか?」


 そんな、やり取りを見ていなかった輝夜と千依理が食器の片付けを終えテーブルへと戻ってきた。


「あぁ、流石はロリ巨乳だろ。食って寝る、まるで牛のような生活をしているからこそ、こいつの胸は育っているんだ。言う慣れば育乳だな」


「光希君はまた適当なことをーーー」


「はっ!そうだったんですね!ありがとうございます光希さん!私今からちょっとお休みしてきます!」


「え、ちょ。千依理ちゃん!」


 輝夜の言葉も聞かず、千依理は自室に向かい走り去っていった。まぁ、確かに同い年なのに、彼女たちの間には歴然とした差があるのは事実なのだから。

 そして、この場に残った二人にも。

 視線を交互に黒と紅の一点を見比べる。ぺたん、ぼよん、ぺたん、ぼよん。


「みかんと、メロンか」


 俺の呟きにピキッと、何かが浮かんだ音がした。

 その後は語るまい。

 結果的には頬に掌の跡が付き、髪が若干焦げたくらいだ。

 既に時刻は十八時、SAKINOの閉店時間だ。マスターはゆっくりして構わないと言ってくれたが、俺も今日はとある用事がある。それに、夏とはいえ女性陣をあまり夜に連れ出すのも良くないだろう。

 なので、千歳が起きたタイミングを見計らって御暇することにした。千依理はマスターが強制的に起こしたようだ。琴乃葉と輝夜は寝ぼけた千歳を抱えながら、既に店外に出ている。


「マスター。今日はありがとう。千依理もありがとな」


「何を言ってるんだい。もし、昨日君が来てくれなかったら、私達は全てを失ってたかもしれないんだよ。これくらいじゃ、とてもお礼になんてならないよ」


「そんな事無いさ、マスターが実力を隠しているのなんてお見通しだ」


「光希君は直ぐに心臓に悪い冗談を言うんだから」


「そうですよ、光希さん。おじいちゃんがこうして、元気でいられるのは光希さんのお陰なんです!」


 マスターと千依理の二人が心から感謝を伝えてくれる。

 それは素直に受け取らなければいけない物なのだろう。


「分かった分かった。でも、今日ご馳走して貰ったのから、昨日の一件はチャラだ。毎度毎度、来る度にご馳走して貰うのは俺のポリシーに反するからな。対等な関係でこれからも頼むよ」


 そう言って、両手をマスターと千依理の二人に差し出す。


「本当に君は強い子だよ」


「光希さん格好いいです!」


 そんな言葉を返しながら、二人とも手を握り返してくれる。


「そうだ、光希君。対等になったのだし、前から考えていたんだが、是非ともうちの店で働かないかい?」


「もう、おじいちゃんたら直ぐ調子に乗るんだから。でも、私も光希さんとお仕事できたら嬉しいです!」


「バイトか。確かに俺はいつもいつでも貧困だからな。確かに嬉しい誘いだが、通ってる高校が高校だからな。そんなに入れないし、何か合ったときにシフトに穴を開けてしまう可能性もーーー」


「それは安心していいよ。実は昨日あんなことが合ったばかりだからまた何かあった際に対処できる対策が欲しいんだよ。だからここには私達だけじゃ無く、若い男の子もいる。という予防策が欲しいんだ。私一人が何かある分にはいいんだが、千依理が居るからね」


「おじいちゃん...」


 つまりは、俺を番犬代わりにしたい。雑な言い方をしてしまえば、そういうことなのだろう。それが、俺の『力』を目当てにしているのであれば、マスターにどんなに頼まれた所で断っていただろうが、今回は千依理を守るためと、それが心に伝わってきてしまう。

 これを断ることは俺には出来そうになかった。


「はぁ、しょうがない。来れるときだけになると思うが、その申し出を受けさせて貰うよ」


「本当かい!ありがとう光希君!」


「あぁ、詳しい事はまた後日聞かせてくれ。あと、何か合ったときのために、電話番号を置いてくよ」


 マスターは肩の荷が下りたように、自然と笑みが零れている。

 俺は千依理と電話番号を交換した後、外で女性陣を待たせている事を思い出し最後の別れを告げ、SAKINOを後にした。


「遅かったね!光希君」


「すまん。待たせたな」


 外へ出ると、太陽が既に傾き始めており夕時特有のぬるい風が頬を撫でた。


「大丈夫だよ。千歳ちゃんはまだ夢現でふらふらしてるけど」


「まぁ、引きこもりニートの残念微笑女が今日はよく喋ってたからな、疲れたんだろ」


「もぅ、千歳ちゃんをいじめちゃだめだよ?」


 千歳はこう見えて意外と人に気を遣うところがある。さっきも、俺と琴乃葉が微妙な空気になっているのを察して、態と榊原の名を出しておちゃらけた雰囲気で場の空気を変えていたし。

 だからこそ、俺は千歳の存在をありがたく感じるのだ。

 そんな、輝夜の肩に身を寄せてムニャムニャと口を動かしている、千歳の顔を眺める。

 その時、ざざっと。千歳の体に一瞬だけノイズの様なものが走り、千歳の存在が不確かな物になった気がした。


「は?」


「ん、どうしたの光希君?」


「今、一瞬、千歳の様子が。いや、千歳の体がおかしな事になってなかったか?」


 まるで、そこに居ないように。存在が消えてしまうかのような得たいのしれない現象が起こった気がしたのだ。


「気のせいじゃ無いかな?私は何も感じなかったよ?」


「そうか」


「疲れてるんだよ。きっと」


 俺も人のことが言えないのかもしれない。昨日も散々動き回っていたし輝夜の言うとおり、きっと疲れているんだろう。

 俺は頭を振って思考をリセットすると、ここにいない奴の居場所を尋ねる。


「琴乃葉はどこ行ったんだ?」


「それがねー、琴乃葉さんにさっき電話が掛かってきて、数回言葉を交わした後、「用事が出来たから先に帰るわ!」って走って帰っちゃたの」


「急用かーーーなら仕方ないな」


 もしかしたら、彼女の『本職』に関する電話だったのかもしれない。琴乃葉はあの年齢で黒星なのだ。

 犯罪者を相手取る最前線で活躍していなければなれない、幻の階級。


「興味本位で聞くが、なにか聞き取れたか?」


「特に大した話はしてなかったと思うよ?琴乃葉さん短文で答えてたし。んと、確か。『今日』『了解』『一人で』『ダブルオーよ』かな」


「ダブルオー?」


「うん、私もそれだけ何のことか分からなかったの」


 ダブルオー。何かの隠語か?

 しかし、考えても特に知っている隠語の中にヒットする言葉は無い。


「ガンダムですね!きっとエイルさんは、家に帰ってガンダムを見るんですよ!」


 少し考え込んでいると、輝夜の横から目を覚ました千歳がそんなことを言ってくる。


「ガンダム?」


「そうです!ガンダムシリーズの中にダブルオーガンダムっていう作品があるんですよ!名作なのできっと、唐突に見たくなったんですね!」


 そうなのか?まぁ、確かに琴乃葉はラノベの話題にも意外と付いて来れていたし可能性としてはあるか。

 何にしろ、そう考えると過去の旧友との他愛もない電話だったのだろう。後は、俺を待つのが嫌になったか。可能性としてはこちらの方が高そうだが。


「そうかもしれないね、琴乃葉さんいい顔で笑ってたし」


「琴乃葉が笑ってた?」


 それはなんとも奇妙だな。琴乃葉が笑うのは数回見ているが、どれも嘲笑を含んだ物や自傷を含んだ悲観の笑みが強かった。

 そんな彼女がいい顔で笑っていたなんて、想像が付かなかった。


「ガンダムが見たくてしょうがなかったんですよ!」


「わかったわかった。ガンダムから離れろ」


 これ以上、話題を広げると千歳が永遠とガンダムについて語りそうな気配が合ったため、早々に会話を切り上げる。

 千歳と輝夜は家が同じ方向だが俺だけが別方向なため、ある程度、一緒に帰ったあとは千歳を輝夜に任し帰路へと着いた。

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