第二章

残念微笑女 (1)

 桜吹雪が夏風に遊ばれ舞い踊る夕暮れ。季節感を忘れてしまいそうなこの光景の中で、俺は紅の瞳ルビーアイを持った転校生との数時間ぶりの再会を果たした。

 夏場だというのに暑苦しい漆黒のロングコートを身に纏った琴乃葉エイルは天照大桜の太い幹の上から此方を見下ろしている。


「わかってないな琴乃葉」


 彼女を見上げるように視線を合わせた俺は彼女へ言葉を返す。


「私が何をわかってないというのかしら?」


 紅い髪を揺らしながら琴乃葉は元々キツい眉尻を更に細め俺を睨む。


「高所から登場するならロングコートじゃダメだろ?パンツが見えんじゃないか」


「誰が見せるかッ!って、キャっ」


 慌てたせいで木の幹という不安定な場所に立っていた琴乃葉は、あわあわとバランスを崩し木の幹から落下した。


「危ねぇな...っと」


 俺は琴乃葉を抱きかかえるようにキャッチすると、身体を触られただ、なんだと騒がれる前に桜の花弁が集まって出来た、自然のベッドへと放り投げる。

 どうせ助けなかったら助けなかったでギャーギャーと文句を言われるのが分かっているのだ。女というのは面倒臭い。

 因みに放り投げた際にロングコートがはだけて、レースの黒い下着が見えたのだが。それを言えば次は本気で殺しに来そうなので口にチャックをしておく。


「痛いわねぇ。もう少し優しく降ろしなさいよ」


「すまない。俺は男女平等主義なんだ」


「男として最低ね」


 桜のベッドの上で立ち上がった琴乃葉は、結局文句を言いながらロングコートについた花弁を払う。


「この夏場に何故そんなロングコートを着ている。余程の寒がりでも流石にそんな物は着ないと思うぞ?」


「能力の関係って言えばいいのかしら?このロングコートは特殊な動物の毛を使ってて燃えないの。私の炎は火力が強過ぎて激しい戦闘になると制服が燃えちゃうのよ。抑えて使う分には問題ないけれど今日の相手は貴方だったから。一応着てきたのよ」


 そう言った琴乃葉は自身の手のひらの上に野球ボールくらいの火球を作り出すと、「ほら、燃え無いでしょ?」と言いたげにコートに押し当てた。

 成る程。確かに燃えていない。燃えていないと言うよりかは火を弾いているようにも見える。

 まぁ、能力を使う度に真っ裸になられるのは、流石に色々な面倒が掛かりそうだし都合がいい。誰も琴乃葉のような貧相な体で興奮しないだろうが。


「そんな簡単に手の内をバラしていいのか?」


 能力者は基本的に能力を隠す。

 自身の能力が、もし敵対関係の者にバレてしまえばそれに対しての対策を取られてしまうからな。

 能力者には弱点が存在する。

 それは火に水をかければ消える。といった単純な相性で決まる事もあれば、先程の強盗のように、能力の練度の問題など、様々な場合が考えられる。

 だが、一つ言えるのは『分からない』は後手に回る事を意味するという事だ、情報は戦闘において最も重要な鍵となる。


「問題ないわ。『今の貴方』とは戦う気は無いもの」


「それは良かった」


 只でさえ、強盗と虎の二連戦で疲弊してるのだ。この後、彼女とやり合える程、俺は体力に自信はない。

 花弁のベッドから降りた琴乃葉は少しづつ歩み寄り俺と目を合わせた。二十センチ程の身長差があるため、自然と彼女は上目使いになっている。


「貴方は何者なの?さっきの戦いを見て確信したわ。ただの赤星じゃ無いわよね」


「それはこっちの台詞だ。今日転校してきたばかりで紅虎あんなのけしかけてきて、何が目的だ?」


「あんなのじゃないわ。紅虎クリムよ」


 琴乃葉は食い気味にあんなの呼ばわりしたことを否定する。

 そしてその言葉で九割方わかっていたが先程の紅虎。紅虎クリムと呼ばれたあの虎は、やはりコイツの能力である事に確証を持てた。

 それが能力の一部を指すのか、能力の全てを指す名前なのかは判らないが、一つだけ言える事がある。

『意思を持った能力』

 それは数多くの能力者と対峙してきた俺であっても、一度も出会った事のない存在。琴乃葉が普通の転校生ではないのは薄々は察していたが、想像以上にヤバい奴かもしれない。

 何より。


「迎えに来たってのはどういう事だ?」


「そのままの意味よ」


 俺の問い掛けにノータイムで言葉を返しながら、琴乃葉は長く紅い髪を耳へとかける仕草をする。

 話の流れを切るようなその行為を怪訝に思ったが、今まで深紅の髪に隠され見えなかったその耳に、あるものを見つけてしまった事で行為の意図に気づいてしまう。

 琴乃葉の右耳に付けられたピアス。

 それは警衛高校の生徒であれば必ず身につけなければいけない物。

 偽造防止のために特殊な金属で作られた物で、俺の付けている増産品とは違い黒く艶めかしい輝きを放っている。

 ーーーー漆黒の校章。

 黒星と呼ばれる、全国の警衛を合わせても十三人しか持っていないS級ライセンスの証だった。


「黒星だって?」


「あらやっと気付いたの。目が悪いのかと思ってたわ」


「一般校からの転校生ってのはブラフか」


 黒星というのは、ただ戦闘能力が高いだけで至れるようなものではない。

 いくら能力が強かろうと、犯罪者をどれだけ逮捕しようと。持つことが相応しいと警衛上層部。それどころか国家が認めない限り発行されない階級なのだ。

 さながら水戸黄門の印籠。

 先程の強盗は俺を赤星だと嘲笑っていたが、もし相対したのが彼女であったのならば、泣いて許しを乞うか一目散に逃げ出したであろうことは想像に難くない。

 それは黒星の特権の一つ。

 独断で犯罪者を殺害できる権利を持つことに起因している。

 現日本の法では当然のことながら警察官であっても特定状況下以外に犯罪者を殺すことはできない。それは警察の下部組織に当たる警衛であっても同じだ。

 つまり、次元が違う存在なのだ。

 俺の言葉に琴乃葉は学校で軽口を言い合っていた時とは別種の、含みのある笑みを口元に浮かべた。


「しょうがないのよ。私の場合ちょっと事情が特殊で、転校生っていう形じゃ無いと編入が認められなかったの」


「是非ともその事情とやらを教えてほしいものだ」


「女の過去を無闇に聞き出そうとするなんて悪い男ね」


「知らなかったのか?」


「いいえ。知ってたわ」


「そうかい」


 口では言葉を返しながら俺は脳ミソを回す。

 編入か。つまり琴乃葉は一度高校を退学しているか、そもそも通っていなかった可能性すらある。

 考えても答えは出ないが、いずれにせよ言えることは彼女が『現場』にいた人間であるという事だ。

 黒星という事を思えば、それもかなり上の立場。指揮官や司令塔にあたる人物であるはず。そんなお偉いさんが一般人代表の俺に何の用だっていうのか。

 考察をしていると琴乃葉は『迎えにきた』というその真意について話した。


「話が遠回りしてしまったけど、率直に言うわ。貴方には私とパーティを組んで欲しいの」


「断る」


「あら、即断なんて釣れないわね」


「生憎と俺は面倒ごとが嫌いなんだ」


「それは私も同じよ。だからさっさとパーティを組んでちょうだい」


「お前は耳が悪いのか?断ると言っているだろ。黒パンツ」


「明日は学校で話しましょ...ってな、何で知ってるよッ」


 つい話しを聞かない琴乃葉にイラっとしていらん事を言ってしまった。反省はしないが。

 それにしてもパーティを組めときたか。

 パーティ。つまりは犯罪者を効率よく捕まえるために組むチームのことで、二人から六人のメンバーで作成できる。警衛高校の全学年全学部の生徒で組むことができるため戦術にバリエーションを持たす事ができるのだ。

 ある程度階級の高い人間は、パーティを組み信頼の置ける人間と依頼を受ける。

 その方が依頼の成功率は格段に良くなるため、警衛でも推奨されている制度だ。

 だが、信頼どころか俺の中では敵になり兼ねない存在の琴乃葉と、パーティを組む気なんて起こるはずがない。

 彼女がなにかを隠している事は、否応無しにわかってしまうのだから。


「まぁいい。俺はこの後用事があるんだ。パーティの件は断固拒否するが。何か用があるなら、明日また出直してこい」


 結果、俺は琴乃葉を冷たく遇らうと、紅虎クリムとの戦闘で投げ捨てた学生鞄を拾い、琴乃葉に背を向け歩き出した。


「絶対逃がさないわ」


 後ろからイライラした琴乃葉の声が捨て台詞のように届く。


「じゃあな」


 俺は振り返る事もなく、後ろ手に別れを告げ、足早に公園を後にした。

 稲宮公園から数分ほど歩き、琴乃葉の視線が完全に消えたことを確認する。

 あの様子だと尾行はしてこないだろうし、明日までは関わってこないはずだ。


「ホントに食えない女だよ」


 俺はボヤきながら、制服の胸ポケットに仕込まれた『小型の盗聴器』を通りすがりのおっさんの鞄へと放り込む。

 木から落ちた事すらも彼女の演技であったとするのなら。


 ーーー流石は黒星か。


 俺は今後考えられる面倒ごとに頭を悩ませながら、雑貨店への道を進んだ。


               ※


 琴乃葉に強制的な別れを告げた後、俺は雑貨店のある商店街を歩いていた。

 今日は色々な面倒ごとが押し掛けてきたせいで、体の至る所が疲れを訴えてくる。

 俺は見た目通りのインドア派。基本的に本を読んで一日を終えたいと思っている人間が、強盗やら猛獣とやらと戦わされたのだ。一年分は働いたと言えるだろう。

 しかし、何故だか俺の嫌な予感はまだ継続している。

 これ以上面倒ごとはあるはずないと思うのだが。

 脳内でそんなぼやきをしていると、眼前に見知った顔を見つけた。というか昼間に探していた人物を見つけた。


「あ、光希先輩じゃないですかっ!」


 見えない尻尾をブンブンと振り回すように、こちらへ駆け寄ってくる一人の少女。

 彼女が走るにつれて、両胸に付いた爆弾が上下に激しく揺れている。

 しかし、今の俺にとってそんなことは些細なことだ。


「登場が遅すぎるんだよ残念微笑女っ!」


 俺は商店街の真ん中で、駆け寄ってきた小柄な少女の脳天にチョップを落とした。


「あべしッ!」


 何処ぞの雑魚キャラの如き断末魔を上げた残念微笑女こと『千歳雪名』は頭の上に星でも見えているのか、焦点が合っておらず、茶色の瞳がふらふらと彷徨っている。


「学校休んでなに商店街ブラついてんだ不良少女」


「い、痛いですぅ。エンカウントそうそう私の少ない体力HPを削ってどうするつもりですかッ?そんな簡単に捕まらないですよッ!」


「誰もお前なんぞいらんわ」


「ひ、酷すぎます!」


 この残念な少女は『千歳雪名』警衛高校でその名を知らない者はいないとまで言われる有名人だ。

 見た目は小柄で、名を表しているかの様な白い肌は病人の様な青白さといっても過言ではない。

 その小柄な体躯は一部ロリコンの生徒に大人気であり、標準を大きく上回るルックス。

 更にはその両胸に抱えられた爆弾が彼女が警衛高校の男を虜にしている決め手になっているのは間違いない。色素が抜けた茶髪はツーサイドアップになっており彼女の童顔に良く似合っている。

 ただ千歳が有名であるのはその容姿だけが理由ではない。


「で、学校を休んだ理由は?」


「ふふふ、よく聞いてくださいました!そこの古びたゲーム屋さんに二度と世の中に出回ることはないとまで言われたクソゲーの中のクソゲー、エンドレスライフが何故か残っていたのです!これを買わずしてゲーマーを名乗る資格はーーー」


「あー、はいはい。もういい」


「むー。人の話は最後まで聞くですよッ!」


 千歳は鼻息を荒くしながら熱心に熱心に俺に語ってくる。

 そう彼女は警衛高校随一のオタク。

 『雪名』という名を体現するかの如き白い肌は、常に引き籠り太陽の光に当たることなく、日夜ゲームに勤しんでいると知った時の納得感。

 動いていないから栄養が偏ったのであろう一点だけたわわに実った豊満なバスト。

 彼女の可愛さは残念の名の下に形成されていた。

 そう。彼女こそ人呼んで。


「残念微笑女の名は伊達だてじゃないな千歳」


「待ってくださいです先輩。今どういう漢字書きましたですか?!」


 残念で微妙に笑える少女。だが美少女でもあるため警衛高校に通う者としては、このあだ名を付けた者に拍手を送りたい。


「たく、今日の昼間お前を探しに探索科サーチまで行ったんだぞ」


「そうなんですか?ってことは依頼だったりするですか?」


 琴乃葉の調査を頼むために探していたのはこの残念微笑女だ。

 情報調査のプロ集団探索科サーチ。その中でも飛び抜けて調査能力が高いのが何故かコイツなのだ。どのご時世もゲームが好きなやつイコールで、パソコンに強い奴だからなのかもしれない。今は私服であるため校章は付いていないが千歳は金星。つまり輝夜と同じA級ライセンス持ちなのだ。

 だからこそ、俺が探索科サーチへ調査依頼するのは信頼の置ける確実な能力を持った千歳のみと決めている。

 あと、依頼料金が安い。何だかだでこれが一番の決め手だ。


「あぁ、依頼だったんだがーーー。急ぎじゃなくなったから、また夜にでも詳細をメールで送る」


 残念な事に先程の一件で既に琴乃葉の情報は多少なり知れた。後は過去のデータさえ手に入れば大体のことは把握できるだろう。

 琴乃葉が黒星である事を考えれば、何も出てこない可能性の方が高いのだが。


「えぇー。またメールですか。もう今の時代、メールなんか使う人いないのでわざわざ確認しないんですよ?早くスマホに変えてLINEを入れてくださいです!」


「高いから断る。俺は金欠なんだ」


「それは先輩が依頼を受けないからじゃないですか」


 自己責任ですっと千歳に怒られてしまう。その通り過ぎてぐうの音も出ない。


「まぁそれは置いといて、その荷物の量を見るに買ったのは一つのゲームってわけでもないんだろ?」


 千歳の姿を改めて見ると、両手にスーパーの袋を二袋。背中に背負ったリュックサックは重みで彼女を後方へと引っ張っている。


「そうなんですよ。聞いてくださいです先輩。私が基本的に家から出ないことは薄明の理なんですが」


「さも当然の様に堕落した生活を語るな。というか、それを言うなら自明の理だろ」


 呆れながら彼女に冷ややかな視線を送る。


「いつも本ばっかりを読んでいる変人の先輩に言われたらお終いな気がしますが、まぁ今は置いておきましょうです」


「誰が変人だ」


 しかし、俺の言葉に既に興味はないのか千歳はそれで、と話を続ける。


「先輩もご存知の通り私は一人暮らしをしているので、たまにこうして数週間分の買い物を一気にしてしまうのですよ。いつも食料はネットでポチッと注文するか出前などで確保しているのですが、日常雑貨なんかはやっぱり使い慣れたものがいいので態々、少ない体力HPを削って買いに来てるのです」


 確かに学校以外はほぼ引き篭もりの生活を送っているこいつにとって、これだけの買い物は酷く体力を使う行為かもしれない。

 同じ一人暮らしの身として、千歳の気持ちも分かるので馬鹿にできない。


「苦労してんだな」


 そんな俺にしては珍しく、労いの言葉をかけると。


「でもでも、今日の私はとても運がいいのです!」


「ん?」


 先程駆けてきた時の様に嬉しそうな笑みを浮かべ彼女は俺に右手を差し出してきた。


「だってーーー。先輩に出会えたんですから!」


 そう言った千歳は、両手に垂れ下がったスーパーの袋をまとめて俺に渡してくるのであった。

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