紅の瞳《ルビーアイ》の少女 (3)

 名も知らぬ強盗と一戦を交えた後、俺はカウンター席に座りマスターから珈琲を頂いていた。

 因みに強盗は気を失ったままで、資源回収用のビニール紐でぐるぐる巻きにしてある。喫茶店に都合よく手錠わっぱロープがあるはずも無いので、代わりになるもので代用した結果だ。

 ビニール紐だと流石に逃げられる可能性もあったため、それはもう厳重に縛ってある。結んだ俺であっても解けと言われれば、両手を広げて降参するレベルだ。


「光希さん、本当にありがとうございます」


 そう声を掛けてくれるのはマスターの孫娘である、崎野千依理ちよりだ。

 先程の事件の間、喫茶店の休憩室に隠れていたらしく一部始終を見てしまっていたようだ。

 幸いな事に強盗に入られた事にショックを感じてはいても、流血や直接の被害を受けていなかったため『心的外傷後PTストレス障害SD』にはなっていないようで安心した。もし千依理が犯人の前にいたらと思うと、俺もあんなに呑気に戦えてはいなかっただろう。

 そこは強盗だと逸早く気づき、千依理を隠れさせたマスターの機転に脱帽だ。


「いやはや、本当だよ光希くん。君には感謝してもしたりない。どう御礼をしたものか」


 マスターはそう言って珈琲のお代わりを入れてくれるが、俺としては当然の事をしたまでなのだ。ここで逃げていれば、後で後悔したのは自分であろうし、魔人や他の教師からもキツい糾弾が待っていたはずだ。


「俺はお節介を焼いただけだ。マスター一人でも、これくらいの小物なら敵じゃなかっただろ?」


 その言葉にマスターは先程の光景を思い出したのか、一つ身震いした。


「縁起でもない事を言うんじゃないよ。今だって足が震えてるんだから」


「あぁ、さっきから震度一くらいの揺れがあると思ったら、マスターだったのか」


「光希さん凄い!震度一の揺れにも気付けるんだ!」


「無論嘘だが」


「足の震えで地震を起こせるほどの体力は私にはないよ、千依理」


 そんなたわいも無い話をしていると、少し離れた所からサイレンの音が聞こえてくる。

 先程、千依理から通報して貰ったから警察が駆けつけたのだろう。

 通報から十分と経っていない事を鑑みるに、珍しく仕事をしているようだ。世間一般での平均到着時間は約二十分と言う事を考えると、些か早過ぎるくらいだが。


「もう行かれるんですか?」


 俺が席を立ったのを見計らい、千依理が尋ねてくる。


「あぁ、訳ありで警察官とは会わないようにしてるんだ。聴取にかかる時間もきっと長くなるしな」


 別に自信が犯罪を犯した訳では無いのだが、警衛の生徒が関わっている事がバレると面倒な事になる。

 なら、見ず知らずの覆面レスラーに助けて貰ったと説明して貰った方が手っ取り早くていい。

 生憎と俺は出世意欲が低いからな。

 さて、逃げるかと。カウンターに置いた学生カバンを手に持つと。


「光希くん。御礼をしたいから是非明日うちに来てくれ。お友達を誘っても構わないから」


 マスターからそんな提案をしてくれる。お友達と一緒にと言われても友達のいない事で有名な俺だ。輝夜くらいしか頭に浮かばないが。

 折角の好意を無下にする程の罰当たりでは無いつもりだ。


「分かった。友人と言っても何時もの輝夜だけだろうが、お邪魔させてもらうよ」


「そうか、ありがとう」


「光希さん、ありがとうございました!」


「礼を言うのはこっちだ」


 そのやり取りを最後に、裏の従業員用の出口を通った俺は、今度こそ雑貨店へ向かうため足を進めたのだった。


                 ※


 おかしい。

 今日は何かがおかしい。

 雑貨店へ向かう道のりの最中、あり得ない光景に俺は足止めを食らっていた。

 いや、あり得ない光景なんて山程見てきた俺だ。先程の金属男然り、幻術を見せてくるいイカれ正義マン然り。出会い頭に発砲してくるような危険女然り。

 そのどれもが自身の想定を上回るあり得ないものであった事は否定しまい。

 しかし、しかしだ。


「これはレベルが違うだろう」


 そう口に出してしまう程に目の前の光景は、日常を愛す一般市民としては直視できない現実だった。


「いつからナルニアに迷い込んだんだ俺は」


 そんな現実離れした独白を呟く日が来ようとは流石に思ってもいなかった。

 何が悪かった?

 雑貨店へとショートカットをしようとしたのが行けなかったのか?何処かで絶望的な死亡フラグでも回収したのかもしれないと、記憶を辿るが残念なことに思い当たる節がない。


「季節外れの桜が舞い落ちる公園で、俺は一頭の紅色の虎と対峙していた」


 小説風に言ってみたが、ダメだ。やはり理解できない。いや、既に脳が理解する事を拒んでいる。

 季節外れの桜。それは、ここ稲宮公園にだけ咲いている天照大桜の事だ。

 年中無休で花を咲かせるため、近隣住民の間ではバカ桜だったり、ボケ桜だったり碌な呼び方をされていないが。他地域から訪れる人にとっては、ここ稲宮市の数少ない観光名所の一つだ。

 確かにこの桜も異常ではあるが大事なのはそこじゃ無い。

 今はそんな桜が霞んでしまう程に迷惑な存在がいるのだから。

 天照大桜の真下で寛いでいるのは、俺の身長を優に超えるであろう巨躯の虎。

 しかも、その体毛は紅色をしており、キツく鋭い紅の瞳ルビーアイは妙な既視感を抱かせる。

 既視感どころか、同じものを今朝見たばかりだ。

 くそっ。千歳の奴と会えなかったのが、無駄な結果を招いてしまった。


「琴乃葉。いるんだろ?出てこいよ」


 苛立たしげにその名を呼んでみるが、カサカサと夏風に揺られる桜の太い枝が花弁を散らせるだけで彼女が出てくる気配はない。

 俺の呼びかけに応えたのは天照大桜の下で寛いでいた紅色の虎だった。

 体を起こし眼前へと迫った虎は俺に向かって一つ吠えた。


「ガウッ」


 動物の言葉がわかるなんて便利な能力を持ち合わせていない俺でもこいつが言いたいことはわかった。


「主人に会いたきゃ俺を倒せってか」


 何とも飼い主愛のある虎野郎だ。

 飼い主、というよりは召喚者と言った方が正しいかもしれない。

 目の前の虎が元々存在していたとは考え辛い。動物園にこんな虎がいたら世界中から観光客が集まることだろうしな。

 よって、この紅虎は琴乃葉の能力により作りだされた可能性が高い。

 さて、逃げるか。

 考えてみれば琴乃葉に用がある訳ではない俺はこんな馬鹿げた虎と闘う必要なんて無いのだ。

 ということで。


「じゃあな、琴乃葉。また明日」


 そんな言葉を残し虎に背を向けた俺は、ダッシュで駆け出した。

 チラリと見えた、虎の面食らった顔は少しばかり笑えるものであったことは言うまでもない。

 だが、悲しいかな。

 虎が硬直したのは一瞬だった。地面を肉球と爪で踏み抜きながら直ぐさま俺の前へと回り込んだ。


「はぁ。やはり無理か」


 何も本気で逃げようとしていたわけではない。どうせ今日逃げたところで明日も待ち伏せされるであろうことは想像するまでもないのだから。

 逃げたことで俺に対する興味を失ってくれることに期待したのだが。

 ふと、虎の進んできた先を見ると、公園の敷地に冗談にも小さいとは言えない肉球の跡が残っている。

 こういうのが後々UMAだとか宇宙人だとか騒がれるんだろうな。

 そんな現実逃避にも似た思考をしていると。


「ガアァッ」


 いつまでもやる気にならない俺に業を煮やしたのか、紅虎はその前足を大きく振りかぶり、俺の顔面目掛けてその鋭利な爪を下ろしてくる。


「っぶねえな。カバンくらい置かせろよ」


 それを地面に転ることで回避した俺は、そのままブラジル格闘技カポエイラの要領で地面に接した背筋を軸に回転し、紅虎の顎に向けて回し蹴りを放つ。

 しかし、俺の蹴りは届かない。読んでいたのかその大柄な体を翻し、人の腕程もある尻尾で俺の足は軽く弾き飛ばされてしまった。

 だがカバンを手放した事で手が空いた。反動で飛ばされた足を宙へと飛ばしたまま、その尻尾を掴み此方に体重かけ無理やり引き寄せる。

 流石に六百キロはあるであろうその巨体を動かすことは出来ないが、動物にとって尻尾は触れられるのを嫌がる部位だ、紅虎はまるで糞を土に隠す猫のように、後ろ脚で俺を蹴り上げた。

 そのデカイ後ろ脚の肉球に己の足の裏を合わせ後ろへ飛び距離を取る。


「たく、厄介なやつだ」


 やり辛い。それが率直な感想だ。

 これが人間相手であれば攻防において、ある程度の定石というものが存在する。が動物相手となればそれが通用しない。

 更には最初から気づいていた事だが、この紅虎には知性がある。こちらの攻撃を予測し、対抗策を放ってくる。

 こんなんとやりあえるのは魔人くらいだろ。

 琴乃葉が何の目的でこんな事をさせているのか分からない俺としては下手に手の内を明かしたくないのだが。

 目の前の虎をみればそうも言ってられないらしい。紅色の虎はその体から紅い光を放ち始め、同時に夏場の暑さと違った熱波が俺の体を舐めるように通り過ぎる。

 それは言外に私も力を見せるから貴方も本気を出せ。という琴乃葉の意思が伝わってくるようだ。

 紅虎の体毛は先程より紅く眩く輝き、夕焼けに照らされたその姿は陽炎によりゆらゆらと霞んで見える。

 ザッと見て紅虎の表面温度は五百度近い熱を持っていそうだ、天照大桜から散った桜が紅虎の付近で発火し燃え尽きる。

 俺は諦めに似た溜息を吐いて、少し温くなった空気を肺に取り込む。

 見たいのならば見せてやろう。

 その結果、期待外れだったっと標的を俺以外に移してくれることを期待して。

 大型の獣が相手だ。

 ならば、その為に造られた物を使うとしよう。


執筆write


 その言葉を放った瞬間、脳へ映し出していたイメージが現実へと書き出される。

 まるで体から熱が奪われるような感覚と同時に、右の掌へと確かな重みが形成されていく。


 『デザートイーグル』


 砂漠の鷲の名を冠する。白銀の拳銃がその手に姿を現した。

 これは俺の能力である『作家リライター』に含まれる力だ。過去に読み取った事のある武器を脳内の倉庫から書き出すだけの、ただ少し便利な力。

 過去にこの能力を持つ俺のことを、師匠は『コスパだけは最強の戦士』なんて言っていた。そのことからもこの能力の微妙さは窺いしれるだろう。

 しかも『執筆write』にはいくつかの制限がある。書き出された武器は俺以外には使うことができず、他の者が使おうとすれば光の粒子となって消えてしまう。更には自身の限度を超えた武器、レーザーやら大砲やらはそもそも書き出せない。それどころか俺自身がぶっ倒れてしまう。

 あっても困らないが無くても困らない。

 以上のことから、俺は総じてこの能力を役立たずと評している。

 だが利点もある。それは弾丸すらも執筆write出来ることと、こんな風に突然襲撃されても、武装していなかったため身を守れなかったという事態にはならないなんて小さなものだが。

 熱風を放つ紅虎は、突然現れたデザートイーグルに警戒を表す。

 拳銃界最強と名高いデザートイーグルは女、子供が撃てばその反動で肩が外れてしまう程の威力を持つ。

 多少なり鍛えているつもりの俺であっても、その反動はバカにならない。

 この後、もしかしたらこれの飼い主とヤリ合う可能性も考えなけれなばいけないのだから。狙うは短期決戦だ。


「グァァアオ!」


 紅虎も同じ考えなのか雄叫びをあげた。

 その開いた大口から紅い火球が形成され。千度にも迫ろうかという高温の熱球が俺に向けて吐き出された。

 死の危険に全身が警鐘を鳴らしている。幸なことにスピードは遅い。避けるのは簡単だ。

 だが避けれない。これを避けてしまえば公園を抜けた先にある民家を火の海にしてしまう。


「なら弾き飛ばす」


 俺は眼前に迫る紅の火球を『火事でも燃えない』と言われている防火性の靴で蹴り上げた。

 上空に打ち上げられた火球が花火のように爆発する。

 火を蹴るなんてのは初めての経験だったが案外できるものだな。これも雑貨店で買った防火靴のお陰だ。

 さて今ので近隣住民にバレたかも知れない。銃声くらいは警衛高校近くの住民なら、いつも通り日常で済ませられるがこんな花火が打ち上げられれば、流石に訝しむだろう。

 紅虎は火球が通じなかったことで、中距離攻撃を諦め此方へ突進してくる。

 まるでスポーツカーのような速度だ。

 だが、生憎と俺が武器これを使うのなら。能力でキメきれなかった時点でお前の負けだ。


読み解きread


 その言葉と同時に脳内を幾千にも渡る光の道が走り抜ける。

 この光は未来だ。

 紅虎の次に動くであろう全ての行動予測。

 それが作家リライターのもう一つの能力。相手の行動を読み解く技。

 俺はコンマ数秒の世界で紅虎の突進を、腹の下を滑り込むように避ける。

 流石に五百度近い熱風に身体を焼かれるのはしんどいものがあるが、一瞬であれば燃える心配はない。


「お疲れさん。もう会わないことを願ってるよ」


 ズガンと、腹の下から撃ち込まれたデザートイーグルの50AE弾が紅虎を貫き天へと上る。


「グァ」


 俺の言葉に最後の言葉を返した紅虎は、熱のない残炎となりその姿を消した。

 なんとなくだが最後のは「俺も会いたくねぇよ」みたいなニュアンスだった気がする。最後の最後で初めて意見が合ったな。

 立ち上がった俺はパンパンと、防弾制服についた土を払った後デザートイーグルを空中へと投げる。キラッと小さな光を放った後、デザートイーグルは跡形もなく消え去った。

 さて、本当であればこのまま帰ってしまいたいのだが。


「今度こそ出てこいよ。琴乃葉」


 もう一度その名を呼ぶ。

 意味もなく戦わされたのだ、俺の声が少し苛ついたものになっているのはご愛嬌だ。

 夕暮れに迫った事で夏風が少し冷えたものに変わる。

 天照大桜が自身を見ろと言わんばかりにその大木の梢を揺らす。

 その一本の大きな幹の上。

 そこに。


「こんにちは浅瀬光希。貴方を迎えに来たわ」


 陽炎の揺れ動く夕陽を背に紅髪紅瞳こうはつこうがんの転校生。琴乃葉エイルが姿を現した。

 夏場だというのに漆黒のロングコートに身を包んだ紅の瞳ルビーアイの少女はこちらを見下ろしながら、そう言って笑った。  


         NEXT CAPTER

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