第五話 邂逅-2
鼻腔をくすぐるラベンダーの香りで、僕は目を覚ます。
真っ先に視界へと飛び込んできたのは、頭上に吊るされた魔力灯の光。瞳を貫かんばかりのべらぼうな明るさに、思わず顔をしかめる。
気が付くと、僕は簡易ベッドの上に寝かせられていた。右手で庇を作りながら、上体を起こそうと腹筋に力を入れた途端、激痛がそれを遮る。
小さく呻いて、再びベッドに倒れこむと、
「おいおい、無理をするんじゃない」
しわがれた男の声が、枕元でそう言った。
「全身二十三の裂傷を縫い合わせて、その上あばら六本をくっつけ直したばかりなんだ。当分は大人しく寝てるこったな」
「何かの拍子に傷口が開きでもしたら……あの大仕事をもう一度だなんて叶わんよ」ゆっくりと上体を捻り、そう呟き声の聞こえる方を見遣ると、そこには白衣を羽織った老人の姿があった。
「ここは……どこだ」
絞り出すようにして尋ねると、
「さあな、ワシの知ったことか」
医者と思しき老人はぶっきらぼうに返答する。
「何故、僕は生きている」
「打ちどころが良かったんだろうさ」
「どれくらい、眠っていた」
「ここに運び込まれて丸一日だ。それ以前のことは知らん」
「ツイスト……ボールドウィン少尉は。デリンジャー一等空曹は。部隊のみんなは、どうなった……?」
「煩いな、どれもこれも知らんと言っとるだろう」
いかにも学者然とした顔を歪めて、医者はガリガリと頭を掻いた。
「あんたらみたいな、お空のことしか頭にないバカ連中のことなんて、ワシの預かり知ることじゃないんだ。……話の通じる奴を連れてきてやるから、詳しくはそいつに聞くこったな」
そう言い残した医者は、金属製の扉を開けて、部屋を出ていく。
耳障りな音を立て、扉が閉まりきったことを確認すると、今度は傷口を刺激しないよう、少しずつ腹筋に力を込める。両手をついてやっとこさ上体を起こすと、周囲を見渡した。
整然と並べられた簡易ベッドと、雑然とした事務デスク、薬瓶のいくつも収まった棚が置かれたその空間は、一見して、何の変哲もない診療室のようであった。しかしながら、妙な違和感と呼ぶべきか、傷病者を扱う場所にあるまじき息苦しさを感じる。
原因はすぐはっきりとした。四方を囲われた壁のどこにも、窓が見当たらないのだ。その代わり、閉塞感を少しでも軽減しようとしたのだろう、青を基調とした水彩画の数々や、ラベンダーがあちこちに配置されているのだった。
「おお、やっと気がついたのかい」
再び扉が開き、先程の医者に加えてもうひとり、軍服に身を包んだ人影が、部屋へと入ってくる。
好好爺然として満面の笑みを浮かべ、手袋をはめた左手に漬物瓶を抱えている老人。その蓋を開け、中から一粒を取り出した彼は、シミの多く見て取れる右手を差し出して言った。
「出来立てのポップコーンはいかが?……なんつって」
困惑のあまり、僕は幾ばくかの間、言葉を失った。
「遠慮はいらないよ。ちょうど今、厨房で焼いてもらったばっかりで……」
こちらが鋭く睨みつけると、好好爺はおずおずと引き下がる。
「……美味しいのに」
彼はそう呟いて、差し出した一粒を自らの口に放り込んだ。静寂で満ちた診療室に、ポップコーンを咀嚼する音が響く。
いよいよ状況が理解出来なくなってきて、僕は頭を抱えた。不明騎との交戦の末に撃墜され、目覚めてみればそこは見知らぬ天井。事情を知る人間として連れてこられたのは、身につけた軍服に不釣り合いな笑顔の老人……。風邪引きの時に見る夢の只中にいるような気分だった。
「あんたらは何者だ」
やり場のない怒りに任せて、僕はまくし立てる。
「あの後、不明騎はどうなった。ハーピー隊の連中は、無事に基地まで帰還したのか?それとも……」
「ちょっと、タンマ、タンマ」好々爺が言葉を遮る。
「老人を質問攻めするもんじゃないよ。順を追って説明するから……まずは私たちの素性について」
そこでひとつ息をつくと、彼は言った。
「私たちは『
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