Doc#3「限界への挑戦人たち ~現役最高齢パイロット、ハロルド=ハーグマン大尉インタビュー~」

 人類の歴史とは挑戦の歴史である。未知への挑戦、常識への挑戦––––そして、己が肉体への挑戦。


 歴史がまたひとつ塗り替えられた。五十八歳三ヶ月で現役アネンスファリア・パイロットの最年長記録を更新したのは、王立航空騎士団・ウィキツベリー航空基地航空団に所属する、ハロルド=ハーグマン大尉。四十代が鬼門とされる空の世界で、還暦の訪れを間近に控えながら、彼は今日も、愛騎の「ファントム改」を駆る。


 インタビューを始める前に、ハーグマン大尉とその僚騎の訓練飛行を見学させてもらった。陽の光を浴びて銀色に輝く二騎のファントムは、互いに一糸乱れぬ動作で、雲ひとつない蒼穹を軽やかに舞う。重力を感じさせない大尉の機動もさることながら、それを完璧に––––少なくとも素人目には––––模倣する、僚騎の技巧も素晴らしい。


 しかし、訓練飛行も終盤に差し掛かった頃、大尉が「格の違い」を見せつけた。大尉の騎体は急減速し、高度を殆ど変えることなく、騎体を垂直に「立てる」ようにして飛行してみせた。「コブラ機動」––––第四世代以降の新鋭騎をもってしても、相当の技量を必要とする機動のひとつだ。


 一時間弱の訓練飛行を終え、ファントムの操縦席から姿を現した大尉は、すぐ傍に私の姿を見つけるなり、皺の深く刻まれた顔に笑みを浮かべた。気恥ずかしさと誇らしさが入り混じった、無邪気な少年のような笑顔である。


「ハーグマン大尉だ。基地の皆からは『長老エルダー』って呼ばれてる、あんたもそう呼んでもらって構わない」


 私に向けて差し出された右手は丸太の逞しさで、凡そ老いや衰えといったものを感じさせない。握り返した掌の温かさに、確かな生命力が宿っていた。




––––––––パイロットを志したきっかけは?


 志したというよりは、成り行きさ。話せば長くなる。もともと、陸軍の出身なんだ。遠い昔、翼龍にまだ脳みそがついていた頃の話だがな。


 俺たちが所属していたのは、第三空挺団––––言ってしまえば、航空騎士団の遠い先祖みたいなもんだ。事が起きれば翼龍に乗っかって、地上部隊を差し置いて真っ先に現場まで向かうってのが、俺たちに与えられた役割だった。

 当時はアネンスファリアなんて影も形もなかったから、頸のあたりに鞍を取り付けて、騎兵が魔力の流れる鞭で翼龍を操るんだ。一方の俺たちは振り落とされることのないよう、片道数時間を翼龍の背中に必死でしがみついて、目的地にたどり着いたならば、高度数千フィートの空から身ひとつで飛び降りる––––。幸い、当時の王国は平和なものだったから、実際の戦場に空挺降下することはなかったが、いつその機会が訪れても構わないように、何百回何千回と訓練を続けた。


 三十代も後半に差し掛かった頃、俺は現役を退き、教官という立場から後続の育成に努めることにした。そろそろ年齢的に限界を感じるようになってきていたし、何より当時の俺は所帯を持ったばかりで、生まれてくる子供の為にも、いいかげん裏方に落ち着くよう嫁に口煩くいわれてたからな。


 そんな最中での魔王討伐、そして魔術革命だ。知っての通り、あれから世相はがらりと変わっちまったが、それは軍事に関しても同じことが言えた。


 兵士たちは剣や弓のかわりに、大小様々の機杖を携えるようになった。連絡を取り合うのに伝令兵が駆けずり回る必要もなくなった、魔法の箱に声を吹き込めば、魔力がそれを何マイル先までも届けてくれるってんだからな。全く、便利な世の中になったもんだ––––そう思ってた矢先のことだ、その噂を耳にしたのは。


 なんでも海軍の連中が、翼龍を利用した画期的な兵器の配備を計画しているらしい。おんなじ翼龍を取り扱う部隊ってんで、そのうち俺たちにもお鉢が回ってくるって言うんだ。当初は、根も葉もない噂話の類だと思ってたが……。


 ある日、俺たちが詰めてる基地に、海軍の役人を名乗る男たちが現れた。


 連中は、新たに設立される「特殊兵器師団」のメンバーとして、うちの部隊から若いのをいくらか引き抜きたいと言った。その「特殊兵器」とやらがどんなものか尋ねても、連中は機密がどうこう宣うだけで、一向に本質的なところを口にしない。


 いくら上のご意向だろうと、部下たちを得体の知れない兵器のモルモットにさせる訳にはいかない、俺はそう思った。少なくとも、その「特殊兵器」とやらの正体を、この目で確かめるまでは––––。


 それに。正直に言えば、俺は退屈していた。血気盛んな若者たちが訓練に励む様を、ベンチに腰掛けて、傍から呆と眺めているだけの日常に。翼龍の背中にしがみついてたあの頃が、恋しくてたまらなかった。

 

 それで、俺は役人たちに言ったんだ。若い連中を引き抜く代わり、俺のことも一緒に連れて行ってくれ、と。その先の経緯は、あんたも知っての通りだ。



––––––––現役を貫いてこられた原動力は?


 張り合い、かな。俺には七つ上の相棒がいた。この基地における初代「エルダー」、先代の現役最高齢記録保持者だ。奴とはかれこれ、四十年以上の付き合いになる。


 他人事みたいに言うのも何だが、色んな意味で正反対の二人だったさ。深く物事を考えない落ちこぼれの俺と、何かと頭の切れる優秀な相棒……。それでも、俺たちは確かに唯一無二の戦友で、お互いを尊敬し合っていた。

 俺が「特殊兵器師団」––––つまりは艦隊航空師団に志願したことを知った奴は、翌日には、海軍への出向を命じる辞令を受け取っていた。あれはやたらと口が立つ男だったからな、どうせ上官のことを上手いこと言いくるめたんだろう。それで白々しく言うんだ、「あっちでも一緒の職場とは、まるで腐れ縁だな」、と。


 人生も後半戦に差し掛かっての再スタートだったが、不思議と衰えを自覚する機会は少なかった。アネンスファリアの操縦法を頭に叩き込むことや、飛行中に受ける負荷なんかは老体に堪えたが、そうした困難も決して苦にはならなかった。それはひとえに、張り合いがあったからだろう。あいつよりも先に根をあげる訳にはいかない、って張り合いが。……そのお陰で、嫁と子供にはすっかり愛想を尽かされちまった訳だが。


 そうして二人、若者たちの中に混じって小競り合う日々も、あまり長くは続かなかった。万年大尉の俺を差し置いて、とうとう中佐にまで昇進したあいつは、アカデミーの教官に迎えられることになったんだ。五十八歳三ヶ月での退場だ。


 去り際、奴は俺に言った。「これからはお前がエルダーだ。地位や階級に縛られるな。俺には成し遂げられなかったことを成し遂げろ」––––それからの俺はと言えば、奴の残した幻影、現役最高齢記録という名の幻影を、必死で追いかけ続ける日々だ。そしてつい最近になって、とうとうそれを追い越しちまった。



––––––––この先の目標は?


 さて、どうしたものか。これ以上張り合いをなくしちまったら、この身体を支えてる魔法をなくしちまったら、俺はきっと、残された時間をただただ食いつぶすだけの年寄りに逆戻りしちまう。それだけは御免だな。


 最近になって思うんだ。俺たちみたいな老いぼれは、そろそろ舞台を降りるべきなのかもしれない。前途ある若者たちに、この世界を譲り渡してやるべき時が来たのかもしれない、って。今でこそ王府が技術を独占している訳だが、いずれはアネンスファリアが敵に回る事態も起こり得るだろう。そうなった時、空に俺の居場所はないのかもしれない。


 だとしてもやっぱり、黙って退場してやる訳にはいかない。これは、俺に残された最後の張り合いなんだ。


 まったく情けのない話だが、今この基地にいる若い衆たちは、まだまだ俺より弱っちい。けれどその中から、もし一戦を交えたとして、俺を堕とせるだけの人材が現れたなら……それとも弱いままの若い衆に堕とされるだけ俺が老いぼれちまったら、その時は潔く身を引くさ。だけどそれまでは、現役を続けさせてもらう。


 この場を借りて宣言させてくれ––––わっぱども、聞いてるか。俺は、お前らの人生三回繰り返して、それでも賄いきれないほどの場数を踏んでるんだ。さあ、この俺を引きずり下ろせるもんならやってみろ––––ってな。

 



 人類の歴史とは挑戦の歴史である。未知への挑戦、常識への挑戦––––そして、己が肉体への挑戦。


 現役最高齢パイロット、ハロルド="エルダー"=ハーグマン大尉。彼のイカロスの翼は、時代という名の重力に、この先どれだけ抗い続けることが出来るだろうか。我々はただ空を仰ぎ、彼と彼自身とが繰り広げる戦いを、地上から見守ることしかできないのだ。




(サブジェクト・タイムズ 王暦695年7月9日付より抜粋)


 

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アネンスファリアの遺言(原題:The Anencephalia) 高城乃雄 @High_Castle_Guy

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