第四話 老兵は死なず-1

≪作戦空域に到達。これより、オペレーション・ドルフィンダイバーを開始≫


 1300時。予定時刻ちょうどに、管制官が任務ビジネスの始まりを告げる。


≪目標、エバークリップ市街南東部に展開中の、暫定政府防衛陣地。ハーピー隊全騎は急降下の後、攻撃を開始せよ≫


≪ハーピー1、了解≫


 エルダーが朗々と言った。


≪ハーピー4、了解≫


 ピジョンが辿々しく言った。


≪ハーピー3、了解≫


 ツイストが投げやりに言った。


「ハーピー2、了解」


 僕は努めて淡々と言って、眼下の雨雲へと騎体を飛び込ませる。

 右隣で同じようにして、翼をたたみ雲海へと鋭く突っ込んでいく三騎のファントムの姿は、成る程、イルカに見えなくもない––––そう思い浮かんだ途端、騎体は激しい振動に見舞われる。


 雲中の乱れた気流にあてられてコフィンは軋み、キャノピーにはびっしりと水滴が付着する。視界は殆ど無いにも等しく、すぐ側を飛んでいる筈のエルダー騎の姿すら見つけることが出来ない。有視界飛行を諦め、僕は目まぐるしく変化する計器との睨み合いを始めた。


 ファントムを初の「実用アネンスファリア」たらしめた由縁は、搭載された「レーダー」にある。

 生体の翼龍が先天的に持つ、互いが発する微弱な魔力を感知して群れを維持する能力を、初めてコフィンの計器へと出力することに成功したのが第三世代戦闘騎。その恩恵としてパイロットは、夜間や雲中などの視界を奪われた状態においても、安定した飛行が可能となった訳だ。


 とはいえ、目視で周囲を確認できず、荒れた気流に晒される以上、雲中での飛行は通常に比べて数段難度が高まる––––前面の天板に嵌め込まれた羅針儀レーダーへと目を向けた僕は、そこに表示された三つの光点との距離を適宜、微調整する。敵の対空砲火にやられるのならまだしも、それ以前に味方騎と接触して墜落したのでは、元も子もない。


 しばらくして、不意に騎体の振動が止まった。キャノピーの外へ視線を遣ると、雨が降りしきる向こう側に、大河のほとりに鎮座する城郭都市––––エバークリップスの市街と、その前方に点在する対空火器の数々が見えた。雲を抜けたのだ。


 哨戒に立つ歩兵がまばらなところを見るに、雨雲に隠れての奇襲作戦は、ひとまず成功したようだった。……それにしても、この状況は妙だ。連中がこちらの存在に気付いていなかったとは言え、あまりにも静けさが過ぎる。


≪……黒服野郎≫


 静かな怒りを孕んだ声で、ツイストが問うた。


≪地上部隊とやらは、いったいどこにいる≫


≪こちら管制≫


 管制官は無機質に続ける。


≪陸上騎士団から、たった今報告を受けた。到着が遅れているようだ≫


≪遅れてるだあ!?今回の作戦は陸上部隊が主役で、俺たちはその補佐って話だったじゃねえか ≫


 悪びれもせず言うもので、エルダーは珍しく声を荒げた。


≪確かに俺たちパイロットは、てめえら王府の使いっ走りになって、どんなに理不尽な命令でもこなすのが仕事だ。それで給料貰ってんだから、異論はねえ。……だけどなあ、その命令がこうも正確さに欠けるんじゃあ、使いっ走りだって満足に務まらねえんだよ!≫


≪作戦に変更はない。貴君らは後続部隊の到着までに、防衛陣地を壊滅せよ≫


 そう告げる管制官の声には、平坦な調子でありながら、どこか嘲りの色が聞き取れた。


 まさかこんなことで、ツイストや、ひいては隊の全員にしてやったつもりでいるのだろうか。仮にも軍人にあるまじき稚拙さに、一同は呆れ返って深く嘆息する。


≪……いかんな、ビジネスの前にこんな辛気臭いんじゃあ≫


 エルダーはそう言って、努めて明るい語調で続けた。


≪……さて、と。各騎『エレメント』だ。ツイストはピジョンと組め。ゲイズは俺と一緒に来い≫


 ≪了解≫景気付けにと、三人は威勢よく返答する。四騎がブーメラン型に並ぶフィンガー・フォーの隊列のうち、右から二騎が編隊を離れ、二組のエレメントが形成された。


≪なあ、ゲイズ。ひとつ勝負といかねえか?≫


 「勝負?」僕はツイストに尋ね返す。


≪ああ。どちらがより多く、あの案山子どもをスクラップに変えられるか≫


 ≪ただ勝負するだけってのもつまらんだろ≫エルダーが割って入る。


≪どうせなら、そうだな……負けた方が今晩の奢り、ってのはどうだ≫


≪そいつはいい≫


 ツイストは陽気に言った。


≪ゲイズ、給料袋がすっからかんになったって知らねえぜ≫


「おい、僕は一言も……」


≪……ハーピー3、エンゲージ!≫


 こちらの返答などお構いなしに、ツイストは市街を目掛けて一直線に突っ込んでいく。


≪ま、まだ心の準備が……ハーピー4、エンゲージしますっ≫


 僚騎の彼に引っ張られる形で、ピジョンが気弱な声をあげた。


≪まあ、せいぜい気張るこったな。ハーピー1、エンゲージ≫


「……」


 今日だけで幾度目かのため息をついて、僕は言った。


「ハーピー2、エンゲージ」


 マスターアーム・スイッチをオン。エルダー騎とともに急降下を続けながら、僕は弩のひとつをコフィンの照準レティクルに捉える。有効射程にまで距離を詰めると、操縦桿の引き金を引いた。


 空中で瞬時のうちに凍結され、鋭利な杭の形に形成された無数の雨粒たちが、一斉に弩へと殺到する。一口に氷と言えども、絶対零度の極低温まで冷却されたそれらはまさに「氷弾」。木製に所々金属で補強したに過ぎない弩はたちまちに崩れ、辺りで作業に当たっていた暫定政府の兵士たちは、一目散にその場から退避していく。その姿を尻目に、地面とキスするすんでのところで、強引に騎首を水平へと引き戻した。


 コフィンに埋め込まれたそれは、大出力の「機杖」。詠唱も、ましてや魔術の素養も必要なく、引き金を引くだけで誰もが魔術を発動することができる代物だった。

 魔力の供給もカートリッジの装填によって行うため、人体の「魔力切れ」の心配すらない。何ら訓練を受けていないズブの素人であろうと、熟練の魔術師に劣らない、大掛かりな術式を発動できる––––その汎用性の高さから、今や王立騎士団においては、歩兵用のものから戦艦の主砲に至るまで、形状も出力もさまざまな「機杖」が運用されていた。


 いっぽう暫定政府の装備はと言えば、魔術革命以前、騎士団から民間に払い下げられたものが中心。錆びつきが取れなくなるほどに使い古され、ようやく退役した旧式兵器が殆どだった。

 連中にとって対空迎撃の主力たる連弩は、その際たる例だ。もともと正確な狙いを必要としない攻城兵器として開発されたそれは、複数の矢を同時に発射することが出来る反面、仰角の調整が効かない。弾幕を張られては厄介だが、その前にこちらが低高度へと飛び込んでしまえば、後は烏除けに立っているだけの案山子も同然だった。


 それでも火砲による砲撃の脅威が消えた訳ではないが、連中の練度の低さを鑑みるに、まさか命中は見込めない。回避機動を最小限に留め、地を這うような低空を高速度で飛ばしながら、視界に入る案山子たちへと次々に引き金を絞る。

 絶叫を思わせる風切り音が鳴り響く。照準器の中で火砲が車輪から崩れ、行き先を失った氷弾たちがぬかるみを穿って、弓矢を手に逃げ惑う兵士たちの背中に泥を浴びせかけた。


≪そこのけそこのけ、ジェリコのラッパのお通りだ!≫


 一方のツイストはと言えば、同じように対空火器を蹂躙するにしても、けたたましい不協和音を響かせて、辺りの兵士たちを追い立てている。彼の騎体の後脚には風を受けて動作するサイレンが括り付けられていて、それは対地攻撃の目標から兵士を遠ざけるためのものだという。


 『ノブレス・オブリージュ、ってやつさ』いつか、彼が語っていたのを思い出す。


『貴族は貴族らしく、エレガントな立ち振る舞いを心掛けなければならない。持てる者には、それ相応の義務もまた課せられる訳だ––––そしてそれは、アネンスファリアっていう絶対的な力を振るう俺たちにも、同じことが言えるんじゃねえか』


 どうやら、ツイストはツイストなりの方法で、彼の言う「プライド」とやらを突き通そうとしているようだった。


Bull's Eye命中だ!≫


火砲のひとつを破壊して、ツイストが快哉を叫ぶ。


≪今ので九基目だ。どんな調子だ、ゲイズ?≫


「ちょうど、五基目をやったところだ」


≪御馳走さん!≫


「……言っとけ」


 僕は悪態をつく。そもそも、エレメントの長騎リードであるツイストと僚騎ウィングマンの僕では、機動の自由度が違い過ぎる。エルダーの騎動に追従するしかないこちらが不利なのは明白で、前提条件からして勝負は成り立っていなかった。


 かと言ってこの勝負、条件さえ平等なら彼に勝てたか、と問われれば、頷くことのできない自分がいる。


 素行の悪さが祟ってウィキツベリーなんて田舎で燻っているものの、ツイストには、パイロットとして確かな才能があった。地面との激突を恐れず超低空まで飛び込み、対空火器の射線に騎体を晒しながらも、皮肉を吐いていられるだけの度胸があった。


 僕はと言えば、まったくその逆だ。素行こそ問題はないものの、パイロットに求められる素質のどれにも、突出したものがない。同僚間の戯れの一環として行われる空戦大会では、それなりの成績を残せはするものの、アネンスファリア同士の実戦があり得ない以上、それはまったくもって無駄な特技だった。


『お前のその才能は、未来に向けられたものだ。いつか役に立つ時代ときが来る』


 エルダーは事あるごとにそう言ったけれど、正直なところ、当時の僕はその言葉を信じられずにいた。


 ≪……しかしよお≫それまでとは一転、どこか浮かない声色で、ツイストは続ける。


≪突っ立ってるだけの案山子をタコ殴りにしたって、やっぱり張り合いがなくてつまらねえ。そう思わねえか?≫


「ビジネスが楽に終わることに、越したことはないんじゃないか」


 これで物足りないのはお前だけだ––––内心、僕はそう付け加える。


≪まったく。今更リアリストを気取りやがって、このむっつりロマンチストめ≫


「……無駄口を叩いてる余裕はないぞ」


 図らずも、口調に角が立つのを自覚する。


「いよいよ本丸のおでましだ」


 固く閉ざされた城郭の正門。その前方、街道を封鎖する形で並ぶ砲門の数々と、積み上げられた土嚢の裏に身を潜め、陸上部隊の襲撃を待ち受ける兵士たちの姿があった。


≪数が多いな……≫


 エルダーは呟いて、


≪四騎同時に投下する。編隊を組み直して、高度を取るぞ≫


 再び編隊に集結した四騎は、騎首を鋭く引き上げる。上昇中、対空火器に騎体の腹を晒すことになるが、この速度では、連中は狙いを定めるのすらままならないことだろう。断続的に響く砲撃音に構わず十分な高度を取ると、パワーダイブに転じた。


 殆ど垂直と言える角度で降下しながら、爆撃用の照準器を操作し、その中に眼下の防衛陣地を捉える。

 閉ざされた城郭都市に響き渡るは、聖絶を告げる角笛の音色。成る程、「ジェリコのラッパ」とは上手く言ったものだ––––ツイスト騎から発せられるサイレンを聴いて、僕は今更のように感心した。


≪連中、何を呑気に構えてやがる!?≫


 一方、当のツイストは声を荒げる。サイレンの音が間近に迫っているにも関わらず、防衛陣地の兵士たちは持ち場を離れることなく、弓矢で、或いは騎士団から鹵獲したであろう機杖で、怯むことなく打ち上げてくるのだった。


≪ツイスト。……余計なことは考えるな≫


 エルダーが静かに戒める。


≪各騎、カウントに合わせて投下する。3、2、1≫


 ≪投下≫彼の合図で、操縦桿のリリースボタンを押す。騎体の腹部、消化器官を取り除いた中に格納された四発の爆弾のうち、ひとつが牽引を離れた。

 小さな羽根のついた尖形が目標へと落下してゆくのを確認して、フル・スロットル。四騎は高空へと退避する。

 直後、腹の底から突き上げるような轟音が響いた。火薬の爆発と、それを増幅する魔術の連鎖反応が地表を焦がし、衝撃波が雨の中に透明な輪郭を描く。


 巻き上げられた粉塵のもやが晴れた先では、それがいったい何のどの部位であったかすら判然としないほどに、変形し、破砕された瓦礫の数々が、辺り一面に散乱していた。


≪……くそっ≫


 ツイストがそう吐き捨てたのは、ほんの数秒前までそこにあった人影の数々が、どこにも見当たらなくなっていたからだろう。


≪……こちらハーピー1。防衛陣地を潰した、地上部隊の到着はまだか≫


≪こちら管制、あと数分を要するようだ≫


 エルダーは深く嘆息する。


 居心地の悪い沈黙が流れる。あれほど騒がしかった砲撃音はいつしか止んでいて、眼下では、兵士たちが瓦礫を踏み越え、爆発で穴の空いた門をくぐって、城郭の内側へと撤退を始めていた。連中はどうやら、市街内部で陸上部隊を待ち受ける篭城戦へと転じるつもりらしい。


≪……ピジョン≫


 エルダーが再び口を開く。


≪何故、直前になって投下をやめた≫


≪……≫


 その問いかけに、ピジョンは押し黙るばかり。


≪怖いか。見ず知らずの誰かの命を、その手で終わらせるのは≫


≪……はい≫


≪ならば、お前はこの仕事に向いていないってことだ。パイロットなど辞めてしまえ≫


 エルダーは冷たく言い放つ。


≪それが嫌だと言うのなら、いい加減、覚悟を決めることだ。戦場いくさばで躊躇えば死ぬぞ≫


≪……すみません≫


 ピジョンは消え入るような声で言った。


 エルダーが説教するのは尤もだ。その一方で、彼女が参ってしまうのも無理はない話だと、僕は思う。きっと、人間として正しい反応はピジョンのそれで、人を殺めてなお平然としていられる僕たちの方が、世間一般には異常と言えるのだろう。

 けれど「兵士」と呼ばれる職業は、どこか頭のネジが欠けているくらいでないと成り立たない。誰かを殺める度にそのことを気に病んでいては、いずれ心が壊れてしまう––––そんな言い訳を盾にして、誰かの命を奪うことになんの躊躇いも感じなくなったのは、一体いつからだったろう。


≪おい、ゲイズ。聞こえてるか≫


 ツイストの呼びかけで、僕は我に返る。


≪レーダーが新たな騎影を捉えた、方位172。後続隊か……?≫


 羅針儀へと目をやると、自騎とハーピー隊の三騎を表す四つの他に、三つの光点が、向かい側から近づきつつあるのが見えた。


≪……いや、妙だ。俺たちと同じルートを辿って来るはずの連中が、どうして市街の向こう側なんかを飛んでやがる≫


「ああ。それに、三騎しか反応がないのも気になる」


 僕は後発隊のひとつ、インキュバス隊のひとりに無線をコールする。


「……こちらハーピー2。コックサッカー、今どのあたりにいる」


 ≪こちらインキュバス3≫男の声が返答する。


≪作戦空域のすぐ側まで来ちゃいるんだが……管制官が、命令あるまで待機だとよ。そんで辺りを遊覧飛行中だ≫


 脳裏に最悪の可能性がよぎる。パイロットスーツから双眼鏡を取り出して覗き込むと、件の騎影はすぐに見つかった。


 コフィンの形状から推定される騎種も、或いはカラーリングすらてんでばらばらの、三騎編成からなる飛行隊。騎体の下部には、なにやら獣の頭部らしきものが、四つずつ吊り下げられている。

 その尾端では、首無し騎士を象った意匠シンボルが、風を受けてはためいているのだった。

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