第三話 辺境の飛行隊-1
そのころ僕には、三つの名前があった。
ひとつは本名。自己紹介も今更だが、僕は氏名をウィリアム=ファウラーという。ツイストやエルダー、ピジョンにも、むろん各々の氏名があったけれど、それらを呼び合う機会は少ないものだった。
普段、僕たちが互いを呼ぶのに使っていたのは、コールサインと
対して戦術ネームというのは、隊の内輪で使われる、非公式な愛称のようなものだ。これは当初、無線通話中の聞き違いを防止するために作られた慣しだったが、しかし同僚たちの多くは、地上においてもこれを用いて呼び合っていた。
命名規則にのっとって事務的に割り当てられたコールサインと違って、戦術ネームは、同僚や上官が当人の個性を鑑みて名付けるもの。いつも空を眺めてばかりいる僕は"
デイビッドはこれが不服だったようで、
「なんて言うか……いかにも三下っぽい名前っすね、"ツイスト"って」
「文句言ってんじゃねえ。インキュバス隊の誰かさんみたく、"コックサッカー"なんて名付けられなかった分マシだと思うこったな。男淫魔で玉舐め野郎なんだぜ、やってられねえだろ」
そう言って、ハーグマンは豪快な笑い声をあげる。その様子を見て、ふと思い立った僕は、兼ねてからの疑問を彼にぶつけてみることにした。
「そういえば、大尉の戦術ネームって……」
「ああ、そのままの意味さ。この基地で一番の老いぼれだから、"
曰く、ウィキツベリー航空基地では現役パイロットの最年長者が"エルダー"を襲名する決まりになっているそうで、彼はその二代目。僕たちが配属される前年に引退した先代から、後を引き継いだのだという。
ハーグマンは続ける。
「先代は、航空騎士団設置以前からの相棒でな。艦隊航空師団にいた頃は、よく二人で海上偵察をこなしたもんだ」
艦隊航空師団は、王立艦隊の航空支援を目的とした部門。航空騎士団の母体となった組織で、当時「ベテラン」と呼ばれたパイロットの多くは、ここの出身だった。
「だから驚いたさ。先代から、『これからはお前がエルダーだ』って宣告されたときは。それまで相棒を呼ぶのに使ってた愛称が、いつの間にか、そっくりそのまま俺自身の呼び名になったんだからな。……しかし、渾名ってのには、不思議な力があるもんだ。何度もそれで呼ばれているうちに、終いには自分の方が、それに相応しい人物像へと引っ張り込まれちまう。お陰でこのザマだ、たった一年そこらのうちに、一気に老け込んじまった」
そう語るハーグマンの自嘲的な笑みは、当時の僕にしてみれば、どうにもピンと来ないものだったけれど。今となって考えてみると、その言葉は確かに本質をついていたように思える。
最初のうちはしっくり来なかった"ゲイズ"の愛称は、それで呼ばれることに慣れるうち、不思議なことに愛着が沸き始めた––––ちょうど新品の靴が、それを履き続けているうち、段々と自らの足に馴染んでゆくかのように。どうやらそれはデイビッドも同じようで、いつしか本名以上に、"ツイスト"の名の方が板につくようになっていた。
そうして、エルダーやツイストと共に幾多の任務をこなすこと八年。他部隊に転属となった四番騎の穴埋めとして、ある日、デリンジャー一等空曹が配属となった。
彼女に"ピジョン"の戦術ネームが与えられる、そのきっかけとなったのは、四人で初めて参加する爆撃訓練の前日のこと。基地司令がブリーフィングを執り仕切る中、あろうことかデリンジャーは、最前列の座席に座ったまま居眠りをこいていた。昨夜の歓迎会が予想外の盛り上がりだったもので、夜遅くまで長引いたことが祟ったらしい。
小さく寝息をたてる度、彼女の首が上下に振れるさまを見た基地指令はひと言、
「ハーピー隊は鳩でも飼っているのか?」
斯くして"ピジョン"は、その若さにしては肝が座った期待の新人として、基地じゅうにその名を轟かせた。勝ち気の多い女性パイロットには珍しく温厚で、ところどころ抜けた部分のある彼女の内面を、"鳩"の愛称は的確に表していると言えた。
≪あのう、皆さん……今回の任務、ちょっと変じゃないですか≫
そんな彼女が、皆が意図して口にしないようしていた懸念に気づいたものだから、僕は虚を突かれた。
ウィキツベリーを発ち、作戦空域へと飛行を続けること一時間半。澄み切った晴天の只中、眼下には黒々とした雲海が広がる。フィンガー・フォーの隊列を組んだファントムがその上を悠々と飛んでいる様は、行く先に戦場が待ち受けているにも関わらず、どことなく牧歌的ですらある。
往路の三分の二を終え、雑談のネタも切れかけていたその時、無口を決め込んでいたピジョンが矢庭に口を開いたのだった。
≪なんでも、『黒服部隊』は独自の空軍戦力を持ってるって話じゃないですか。秘密作戦にわざわざうちの部隊を動かすなんて、やっぱり妙ですよ≫
ピジョンの言い分は尤もだった。今回の作戦にまつわる一連の出来事は、人一倍鈍感な彼女でさえも違和感を抱くほどに、不自然かつ不条理なものと言えた。
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