【番外編】 王子と魔法の鍵
抱えるには少し大きなその箱を前に、魔法使いは黄色い目を瞬かせた。
「誕生日おめでとう、オドラデク。これは、僕からの贈り物だ」
はにかみながら告げる王子に、しかし魔法使いは礼も言わず、乱雑に包みを破きだした。そうして現れた贈り物に、魔法使いは丸い目をより一層丸くした。
「毛布だ」
納められていたのは、一枚の寝具。魔法使いはそれを箱から引きずり出すと、きょとんとした表情のまま、柔らかい毛足に頬擦りをした。
「毛布だ。それもふわふわだ」
「良かった、気に入ってくれたようだな」
と、胸を撫で下ろす王子の額に、その前髪に、魔法使いが口付けを落とした。
「貴様の髪と同じ色だ」
低く小さな囁きに、王子はくすぐったそうに微笑むと、自らも毛布をふんわりなぜた。そうしてふっと睫毛を伏せると、ぽつり、魔法使いに問い掛けた。
「それじゃあ、オドラデク。これさえあれば、もう、一人でも眠れるな?」
と、それまで毛布を撫でていた魔法使いの指がぴくり、止まった。
「……どういう意味だ、ウスノロ王子」
王子は微かな嘆息の後、意を決して顔を上げ、明らかな怒りを含んだ魔法使いの視線をしかと受けとめた。
「僕は来年、十五になる。そうすれば、学院に入学できる。オドラデク、僕は来年、神学校に通うつもりだ」
「せいぜい学ぶがいい、アサハカ王子。知識は荷物にならんからな」
「だから、オドラデク。その間の最低でも二年間は、僕は、寮で暮らすことになる。そうなったらもう、お前の手を握ってやる事ができないんだ」
黒竜は界隈の村々より、神としてあがめられていた。しかしその奔放な振る舞いにより、触れてはならない邪神とも恐れられていた。だからこそ王子は、神官への道を選んだのだ。竜の悪評を払拭する為に、竜がこれから生きていく為に、何より、竜の傍にいる為に。
いくつもの夜、いくつもの夢の中、いつも繋いでいた愛しい手。その温度を、一番手放し難く思っていたのは他でもない王子だったのだけれど。
王子が告げると魔法使いは、尖ったあごひげを撫でつけながら、しげしげと王子を見下ろした。それから演技がかった大きな仕草でその肩をすくめてみせた。
「だから貴様はアサハカだと言うのだ、ロイス。貴様は大事な事をみっつも忘れておる」
その言葉に、今度は王子が目を丸くした。
埃だらけの書斎、蜘蛛の巣下がる棚の上、高く据え付けられた引き戸から、魔法使いはひとつの箱を取り出した。小さな木箱の蓋を開ければ、紅い布に包まれた真鍮の鍵が現れた。
「まず、一つ目。貴様は我輩が優れた魔術師である事を忘れておる」
真鍮の鍵にはなんら飾りが施されず、至って質素で素朴だったが、それがただの鍵でないことは、魔法使いの言葉から容易に窺うことが出来た。魔法使いは鍵に通された細い鎖を輪に広げると、それを王子の首へと掛けた。
「二つ目は、貴様は自分がこの城の扉をすっかり手懐けている事を忘れておる」
魔法使いは王子を背後から抱きかかえるように腕を回し、王子の肩越し、樫の扉の前に握りこぶしを作った。
「いいか、よく覚えておけ。これが、我輩の寝室の扉の名前だ」
そう言うと魔法使いは、扉を軽くノックした。
コココ、コン、コ、コッ。
「さぁ、その名を呼んでみろ」
促されて王子も、魔法使いと同じリズムで扉を叩いた。
コココ、コン、コ、コッ。
「ふむ、今ひとつ発音が悪いが、まぁいい。覚えたな? では、その鍵で扉を開けてみろ」
言われるまま、王子は鍵を差し込んだ。カチリ、硬い音がして、ゆっくり扉が開かれる。と、そこには。
「あっ……!」
寝室だった。廊下に続いていたはずの扉の向こうに、見慣れた魔法使いの寝室が広がっていた。
「オドラデク、これは……!」
「この鍵があれば、その名を呼んだ扉が現れる。貴様は毎晩、必ずここに帰って来い。いいな?」
王子は薔薇色の頬にいっぱいの笑顔を浮かべると、何度も何度も頷いた。そうして真鍮の鍵を握り締めると、つま先立って魔法使いの頬に唇を寄せた。
「ありがとうオドラデク、なんて素晴らしい魔法だろう、なんて素晴らしい贈り物だろう!」
「何、貴様の毛布ほどではない」
その答えに王子はくすりと笑みをこぼすと、魔法使いのもう片方の頬にも口付けた。
「ところで、オドラデク。僕が忘れている『三つ目の事』は何だったんだ?」
「ボンクラ王子。トンマ王子。貴様の胸に何があるのか、まだ思い出せんのか」
苛々と長い爪をかち合わせる魔法使いにけれど王子は笑いが止まらず、魔法使いのぼろぼろのローブを引き寄せると、今度は唇に唇を重ねた。
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