第20話 伝説の宝剣

 負ける訳が無い。

 わかってはいても王子の心が、その時を前に落ち着く筈も無かった。そうして何かを予言するかのように、いつもは気まぐれな日時計が、珍しく正しく十二時を指した時だった。


「来ましたよ!」


 サラの弾んだ声に王子は、彼を肩に乗せたまま走り出した。螺旋階段を駆け下りながら小さな窓から見下ろせば、確かに城門から一頭の白馬が、一人の騎士を背にやって来ていた。王子が中ニ階の踊り場へ到着すると、そこでは扉という扉が、王子を待ちわびたとでも言いだけに、大きく開け放たれていた。


「ナーランジュ王子!」


 ロイス王子は庭園へ飛び出すと、馬上のナーランジュ王子へ向けて叫んだ。ナーランジュ王子は白銀の鎧に身を包み、真紅のマントをたなびかせ、大きな房の付いた兜を被っていた。右手には立派な旗のついた馬上槍を構えて、左腕にはきらきらと眩しく磨かれた盾を装備している。ナーランジュ王子はロイス王子を認めると、馬の歩を緩めてロイスに手を差し伸べた。


「ロイス王子、ああ、ご無事で何よりです! さぁ、すぐ王城へ帰りましょう。国王陛下をはじめ皆様が貴方を心配されています」


 けれどロイスはかぶりを振って、真っ直ぐナーランジュ王子を見上げた。


「行けません、ナーランジュ王子。僕は、この城に残ります」


 ナーランジュ王子は眉根を寄せると、ロイスの言葉を確めた。


「……今、何と? ロイス王子……」

「僕は帰りません、ナーランジュ王子。僕はこの胸の花が咲き続ける限り、魔法使いと共にいます」


 ナーランジュ王子の目から表情が消えた。けれどすぐに我に返ると、唇を真っ白になるほどに噛み締めて、そうして低く呟いた。


「『いばらの魔法』……! あの忌まわしい魔法使いは、貴方にかような呪いをかけたのか……っ!」


 と、二人の頭上を黒い影がよぎり、見上げれば礼拝堂の尖塔に、漆黒の翼を広げた魔法使いが立っていた。


「ようこそ! ようこそ、ようこそ果敢なマケイヌ王子よ。ほうほう、幾分格好がついたようだな?」


 にやにやと挑発する魔法使いに、ナーランジュ王子は馬上槍を向けると、声高らかに宣言した。


「今日こそロイス王子を返してもらう! さぁ、来い!」


 魔法使いは長い指で尖ったあごひげを撫で付けると、ばさり、大きな翼を羽ばたかせた。そうしてゆっくり空に浮かぶと、にやにや笑いを止め、静かにロイス王子に命じた。


「下がっておれ、ロイス」


 ぞっとするような響きに、けれどいばらの花が揺れて、ロイス王子は素直に頷くと、招くように開閉する扉の中へと駆け戻った。そうして僅かばかり隙間を開けると、そこから二人の姿を見た。


 馬上のナーランジュ王子。陽射しに銀の盾が光る。

 空中の魔法使い。黒い翼が不気味な羽音を立てる。


 その腕が太く膨れ上がる。ねじれた角が姿を現す。口が裂け、牙が覗く。黒竜はその正体を現すと、太い尻尾で宙を叩いた。


 風を唸らせ黒竜が滑降する。蹄を石畳に響かせ白馬が疾走する。ぶつかりざま牙と槍が重く鋭い音を立てる。ナーランジュ王子は体制を整えて振り返り、竜は宙で一回体を捻った。そうして再び、両者恐ろしい勢いで突進する。


 太く鋭い爪がナーランジュ王子に殴りかかり、ナーランジュ王子は危うく馬から落されそうになり、しかしその傷跡は白銀の鎧に留まった。旗がひらめき、白馬の俊足がその槍の鋭さを増す。けれど竜はぶわり羽ばたくとその切っ先を避け、僅かに腹を掠るに終わった。


 竜は大きく翼を広げると大木のような後ろ足でバルコニーにしがみ付き、太い首を引いて息を吸った。すると次の瞬間、激しい炎が螺旋を描いて竜の口から吐き出された。火焔の息がナーランジュ王子を包む、しかし彼は身動きしない。見ればナーランジュ王子はその左腕で、煌く銀の盾で、襲い来る猛炎を防いでいたのだ! 


 竜は片方の目を見開き、もう片方の瞼を半分閉じてナーランジュ王子を見つめると、忌々しげに首を捻った。


「どうも目障りな盾だと思えば貴様か、鏡の魔女よ。邪魔立てするなら容赦はせんぞ」


 と、湖水のように滑らかで美しい盾がいっそうまばゆく輝き、やがてそれは白く光る人の姿をとった。ふわり、地に降り立ったその姿は、銀の刺繍のドレスを纏い、清楚で賢い瞳を持った、妙齢の女性だった。

 彼女はやわらかく微笑むと、すい、と音もなく半歩出た。


「黒き翼の魔法使い、貴方と争うのは本望ではありません。さぁ、ロイス王子を開放なさい。そうすれば私達はすぐにでもこの城を去りましょう」

「おお、なんたる呪わしい女よ! 鏡の魔女、貴様ももうろくしたものだな。知っておろう、この我輩に命令できるのは只一人、我輩だけだという事を!」


 言うなり竜は石壁を蹴り、鋭い牙を剥き出すと、魔女めがけて滑空した。


 馬を駆り、ナーランジュ王子が馬上槍で突撃する。ゆるりとした仕草で杖を掲げ、鏡の魔女が魔法を放つ。

 それらをかわし、防ぎ、時に反撃しながら、竜もまたいくつもの魔法を繰り出した。風を起こし雹を降らせ雷を呼び寄せる。しかしいずれも致命傷にはならず、傷の数では竜の方が徐々に多くなっていた。


「もーっ、ご主人様ってば、何で本気で戦わないんだろ! 魔女はまだしも、あんな王子の一人や二人にてこずるような人じゃないのに!」


 サラのぼやきに、ロイス王子はびくりと震えた。背中を冷たいものが走る。


『つまりこうだ、我輩があのオスマシ王子を傷つけることなく戦いに勝てば良いのだな?』


「僕のせいだ」


 ロイス王子は小刻みに肩を震わせると、扉にぎゅっとしがみついた。


「僕が、あんな約束をさせてしまったから……」

「自惚れるな、ボンヤリ王子! 貴様ごときがこの我輩の足枷になどなれるものか!」


 竜が吼えると同時に落ちたいかずちが、魔女の体を二つに裂いた。高い悲鳴と共に魔女は、黒い煤へと姿を変えた。


「!」


 二人の王子が息を呑むと、竜は荒く鼻息を吐いた。


「魔女の安否は約束の範疇に無いぞ、ヨワムシ王子」


 ロイス王子はがくがく震え、風に吹かれて消えていく真っ黒な煤を目で追った。


「……殺したのか……?」

「まさか! あのバァさんが簡単に死ぬ訳ないですよ」


 サラの答えに、ロイス王子はますます困惑した。


「けれど、今確かに……」

「体が滅んだくらいじゃ死んだりしません。あいつだって魔法使いですからね、恐らく心臓は別の場所に保管してますよ」


 ロイス王子は小さく安堵の息をつくと、もうひとつ希望を見出した。


「それじゃあ、オドラデクも? 彼もやっぱり、心臓は別の場所に?」


 けれどサラは首を横にふり、四本の腕で頬杖をついた。


「心臓ってのはね王子様、自分にとって一番大事なものに閉じ込めるんですよ。王冠とか、宝石とか。けど、ご主人様ってああいう人でしょう? 自分が一番大事なんです。だからきっと、心臓もちゃあんと左胸に持ってるんじゃないかなぁ」


 ロイス王子の顔が曇る。胸が重く押し潰される。


「じゃあ、もしこの戦いに負けたら、オドラデクは」


 王子が思わずそう口にしたその瞬間、高く重い音が響き渡った。見ればナーランジュ王子の馬上槍が、真ん中からへし折られている!


「ご主人様の勝ちだ!」


 そう言ってサラは肩の上でぴょんぴょんと跳ねたが、ロイス王子は険しい表情を崩さなかった。ナーランジュ王子が、負けたようには見えないからだ。


 ナーランジュ王子は石畳の上に折れた槍を投げ捨てると、腰から一振の剣を抜いた。陽射しを反射して刃が光る。それを見た途端ロイス王子が駆け出したので、サラは危うくその肩から転げ落ちそうになった。


「王子様!? どうしたんですか!」

「オドラデク、いけない!」


 しかし竜は勝利を確信したのか、悠々と空を舞うと一転身を翻し、とどめとばかりに滑降した。


「オドラデク!」


 ナーランジュ王子が剣を振り上げる。鈍く蒼い刀身、翼を模した鍔。ロイス王子は知っていた、あれは隣国に伝わる宝剣、「竜殺しドラゴンスレイヤー」!


「オドラデーーーク!!」


 ああ、しかしその叫びも空しく雲に吸い込まれ、黒竜は地響きをたて、その巨体を横たえたのだった。

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