第17話 王子と悪い夢
細く光る銀の糸が、複雑な幾何学模様を描く。その端々に朝露が、丸い粒を作って光る。サラはひょいと糸を伝うと反対側の柱へ飛び、自らの仕事を見下ろして、満足げに頷いた。
この城で一番早く起きるのはサラだ。彼はまだ日が昇りきらないうちに正門、西門、裏門と全ての門の間に糸を張る。こうする事で侵入者があった際、彼は真っ先のその存在に感付く事が出来るのだ。サラはついでに裏庭へと行き、そこで朝食を――つまり、仕掛けた巣にかかっている獲物を回収しにかかった。と、銀の網にもがくそれの姿を見、がっくりとして息を吐いた。
「なぁんだ、夢魔かぁー」
彼の罠には時折こうして、昆虫以外のものがかかる。それは到底食すことの出来ない下級の魔族がほとんどで、それらは折角編んだ網を傷めるばかりで、一切の得になり得ない。サラはぶつくさ文句を言いつつ、キィキィもがく小さな魔物を、ねばつく糸から離してやった。夢魔は蝙蝠のような羽を震わせると一気に高く飛び上がり、そのまま朝もやの中へ姿を消した。
「もーっ、つまんないのがひっかかったなぁ。……って、待てよ」
あることに気付いてサラはにんまり笑うと、ひょいひょいと庭を後にした。
◆◆◆
魔法使いの寝室では、この城の主が、ベッドに仰向けになったまま眉間に皺を寄せ唸っていた。そしてその傍らでは王子が、夕べ魔法使いを寝かしつけているうちに自らも寝入ってしまったのだろう、魔法使いの手を握り締めたまま、椅子に腰掛け頭だけベッドに預けた格好で、やはり苦しげにうなされていた。
「あーあ、やっぱりお二人とも悪夢産みつけられてるよー」
サラはベッドの天蓋を滑り降りると、苦しげに呻きながら尚も眠り続ける二人をにこにこと眺めた。頬杖をついて座り込み、しばしそうして愉しんでいたが、やがてそれにも見飽きてしまい、ぴょいっと枕元へと飛び移った。そうしてぽんと魔法使いの額を、次いでぽんと王子の頭を足蹴にすると、再びぴょいっと布団の上に戻った。
「うー……ん……、」
「王子様、おはようございます!」
王子はゆっくり体を起こすと、にこり微笑むサラを見て、はあっと深く息をついた。まだ顔は青く、額に汗が浮かんでいる。
「良かった、夢だったんだな……起こしてくれてありがとう。助かったよ」
と、続いて魔法使いも、その黄色い目をぱちり丸く見開き、ぱちぱち何度も瞬きをした。
「おはよう、オドラデク。お前も、悪い夢を?」
魔法使いはそれには答えず、微動だにせず天井を見上げたまま、ただぎゅっと王子の手を握り返した。
「お二人とも、夢魔に悪夢見せられてたんですよ。お疲れになったでしょう。今日はもう少し休んでらっしゃいますか?」
サラの言葉に王子は慌ててかぶりをふると、苦笑して肩をすくめた。
「いや、しばらくは夢を見たくないな。それにしても、ああ――本当に夢で良かった」
サラはとことこと布団の上を歩くと、王子の膝の上に移り、俯く彼の顔をわくわくと見上げた。
「どんな夢を見たんですか? 王子様」
「土から……墓所から、死人が蘇るんだ。青い顔をして、目が腐り落ちてて……ああ、本当に恐ろしかった」
「もう大丈夫ですよ。ご主人様はどんな夢だったんですか?」
と、魔法使いは変わらず丸い目で真っ直ぐ天井を凝視したまま、ぽつり、掠れた声を出した。
「城のどこを探しても、ロイスがおらん」
その答えに王子は小さく息を飲み、魔法使いの顔を見た。
「それが、お前の怖い夢――なのか?」
魔法使いは答えない。だが、その手はまだ冷たく微かに震えている。王子は魔法使いの手を両手で握り返すと、細長い指にそっと口付けた。
「夢だよ、オドラデク。悪い夢だ。僕はここにいる。ずっとお前のそばにいる」
サラはそおっと後ずさると、ひょいっと柱に飛び移った。それからひょいひょいと壁を伝い、寝室の扉に辿り着くと、一度だけ振り返り、くすり笑って部屋を出た。
(朝食の前に、お二人に温かい飲み物を差し上げよう。っと、その前に僕の朝ご飯だな)
くぅくぅ鳴る腹をさすりながらサラは、先程の夢魔を食べてしまわなかったことを少しだけ後悔した。
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