第15話 ぐっすりおやすみ

 ばきり、怖気のする音と共に、彼の腕の骨が折られた。ナーランジュ王子が激痛に悲鳴を上げる。ロイス王子は黒竜にしがみつくと、涙ながらに訴えた。


「オドラデク、彼にひどい事はしないでくれ! ナーランジュ王子は僕の、大切な人なんだ!」

「それは良かった!」


 竜はしゃがれた声でおどけると、今度は反対の腕に噛み付いた。聞いている方が身を捩るようななんとも嫌な音がして、ナーランジュ王子が気を失う。これで彼の両腕は、そして両足は、自分で動かすことが出来なくなった。竜はそんな王子をだらりと咥えると、彼の愛馬にどさりと乗せた。


「行け、馬よ。そやつは皆への見せしめだ。我輩にたてつくとどうなるか、生き証人として送ってやろう」


 竜が前足の爪で白馬の鼻っ面をトンと押すと、馬はまるで今目が覚めたかのように、ぶるりと震えて走り出した。その後姿を見送りながら、遠ざかる蹄の音を聞きながら、ロイス王子はずるずると、足の力を失いその場に崩れた。

 竜が翼を畳む。ねじれた角が音もなく縮む。やがて黒い鱗に覆われた腕は痩せこけた人間のそれに変わり、太い尻尾もローブの中へ収まった。魔法使いはマントをばさりとひるがえすと、愉快そうにくっくっと笑った。


「さて、行くぞナキムシ王子。すぐに夕食の用意をする」


 けれど王子は膝をついたまま、その場を動こうとしなかった。魔法使いが苛々と長い爪をかち合わせる。


「早くせんか、グズ王子。我輩はもう、腹がぺこぺこなのだ」

「……やはり悪魔だ」


 王子の呟きに、魔法使いが顔をしかめた。王子は魔法使いを見ないまま、震える声で吐き捨てた。乾いた石畳の上に、握り締めた拳の上に、輝く雫がぽとぽと落ちる。


「お前は悪魔だ、オドラデク。忌まわしい魔法使い。お前の作った料理なんか、もう二度と口にするものか」

「結構! 素晴らしい賛辞だ」


 魔法使いはそう言うと、両耳の脇で指をくねくねと動かしながら、長い舌をベロベロと出し入れした。しかしそんな挑発にも、王子は黙ったままだった。魔法使いは心底つまらなそうに半眼になると、王子を置いて城の中へと戻って行った。その靴音が聞こえなくなると王子は、まるで堰を切ったように、わぁわぁと大声で泣き崩れた。


◆◆◆


「王子様ぁ。お願いです。お部屋の外へ出てください」


 サラの必死な懇願にも、王子はだんまりを決め込んだ。王子はぐったりとベッドに腹ばいになり、枕に顔を埋めていた。その周りをサラが、ぴょこぴょこおろおろ飛び跳ねる。


「ねぇ王子様、もう丸三日も何も食べてないじゃないですか! せめてスープだけでも、ね!」


 サラがちっちゃな手を四本とも使って、必死に王子の髪を引く。けれども王子は横たわったまま、返事の一つもしなかった。


 何故、あんな奴を大切だと思ったりしたのだろう。最初からわかりきっていたことではないか、奴は「黒の魔法使い」だ。祝賀会にも呼ばれやしない、忌み嫌われた魔術師だ。そもそも王子を攫って来たのは誰だ? 悪人が誰であるのか、そんなの考えるまでも無い。


『よかろう、そこまで言うならかけてやろう、この世で最も幸福で屈辱的な魔法を』


 魔法使いの言うとおりだ。あれ程までに甘かった想いが、その分、今や憎々しい。魔法も、魔法使いも憎いが、何より自分が許せない。


「王子様お願いです、ちょっとだけでも召し上がらないと。ホントに体壊しちゃいますよ?」

「それこそお前達悪魔の望むところだろう?」


 サラが困ったように枕の上に立ち尽くす。王子は掠れた声で自嘲めいて笑うと、うっすら、瞼を持ち上げた。


「……それもいいかもな……このまま僕が餓死すれば、もう、助けも必要ない。誰も傷つけずに済むんだ……」

「駄目ですよぅ王子様! このままじゃご主人様が死んじゃいます!」


 泣きそうな叫び声に、王子はふっと顔を上げた。サラは四本の手をぎゅっと握り締め、ぷるぷると震えて王子を見ていた。


「なに……オドラデクが、どうしたって?」

「王子様が篭って以来、ご主人様は一睡もしてません。できないんです、わかるでしょう?」


 王子は長い睫毛をぱちぱちとさせて、真っ直ぐにサラを見た。けれど王子の胸に広がるのは、視界に映るサラではなく、別の人物の姿だった。


「眠って……まさか、そんな」


 いばらが王子の心臓に絡む。赤い花びらが大きく揺らぐ。


 王子はがばりと起き上がると、けれど眩暈に襲われすぐさま座り込んだ。そっと掌を見つめてみる。毎夜握っていたあの手を思い出す。痩せた指、長い爪。


 ――オドラデク。


 王子はすぅと息を吸い、思い切って立ち上がった。よろめく体で、けれど強い瞳で、一歩、一歩、進みだす。そんな彼の足元を、サラが嬉しげに飛び跳ねた。




 ノックをしても返事は無かったが、王子は部屋の扉を開けた。魔法使いの寝室は相変わらず陰鬱で埃臭かったが、なぜだか妙に懐かしく感じた。

 ゆっくりとベッドに近づき、天蓋をそっとめくってみれば、そこにはあの魔法使いが、だらりと横たわっていた。もともと悪い顔色を一層暗い色にして、落ち窪んでいた丸い目もクマをより濃くして、長患いの老人のように、ぼんやり宙を眺めていた。


「遅かったな、ブサイク王子」

「それはお前だ、オドラデク。なんて顔をしているんだ、眠っていないというのは本当か」


 王子はそっと指を伸ばすと、痩せこけた魔法使いの頬に触れた。魔法使いはその手を力無く握ると、ふっと弱々しく瞼を閉じた。


「早く座れ、ヌケサク王子。我輩は眠くて眠くてたまらんのだ」


 王子は言われるまま、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。魔法使いの痩せた手を、両手でふわり包み込む。


「ウソツキ王子。ハクジョウ王子。貴様なんぞより毛布の方がずっとずっと役に立つ」

「うん、ごめん、オドラデク……」

「ヒヨワ王子。なまっちろい体で食事も摂らずに、何様のつもりだ」

「うん、食べるよ。お前が起きたら一緒に食べる。だからおやすみ、オドラデク」


 返事の代わりに、すぅすぅと心地良さそうな寝息が聞こえた。サラがぴょこんと王子の肩に乗り、ほっと安堵の息をつく。


「ありがとうございます、王子様。さ、お部屋に戻りましょう」


 けれど王子は首を横に振り、魔法使いの手をきゅっと握り締めた。


「ううん、もう少し。もう少しここにいる……」


 いばらは変わらず王子の胸をちくちくと刺していたが、その憎さ、悔しさすらも、王子にとっては愛おしい痛みだった。

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