第12話 ケーキと生贄

 礼拝堂に向かうとそこには、二人の老いた神官と、彼らに挟まれるように美しい少女が立っていた。重厚な法衣を纏った神官の間で少女は質素な白い服を一枚着せられているだけで、底冷えする礼拝堂の中でかたかたと小刻みに震えていた。彼らは魔法使いの姿を認めると、跪き深々と頭を垂れた。


「偉大なる神竜よ、どうぞ我らの願いを聞き届けたもう」

「聞くだけ聞こう、か弱き愚民よ。さて、我輩に何を望む?」


 大仰な動作で魔法使いがぼろぼろのマントを翻してみせる。王子は大きな柱の影に隠れ、そっと様子を伺っていた。皺だらけの神官が、重々しく口を開く。


「神竜よ、我らはタマスの村の者です。我らの村にはここふた月、まともな雨が降っていません。このままでは我らは飢えて死に絶えます。どうかそのお力で、我らをお救いくださいませ」


 魔法使いはうやうやしく自らのあごひげを撫で付けると、反り返って少女を見た。


「して、その見返りは?」

「ははっ、この乙女を、神への捧げ物としてお贈りいたします」


 王子のいばらが、どくんと伸びた。


 生贄。


 あの美しい少女が、魔法使いのものになる。あの少女が魔法使いの腕に抱かれる。魔法使いが彼女を愛する。


 ざわめくいばらが王子の心臓に根を伸ばす。蔦が絡んで棘が刺さる。感じたことのない痛みに左胸を押さえても、指は心に届かない!


 思わず王子は柱の陰から祭壇前へと飛び出しかけ、しかし魔法使いの妙な動きに、踏み出した足をぴたりと留めた。

 魔法使いは表情を変えず、ただ静かに右手を上げただけだった。しかしその瞬間神官達は、白煙を上げて姿を消した。いや、姿を消したというのは適当ではない。彼らはその身を、鼠へと変えていたのだ。


「ひっ!」


 白い服の少女が怯えて高い悲鳴を上げる。そんな彼女に構う事無く、魔法使いはつかと進み出ると、おろおろとうろつく鼠の尻尾をひょいと摘み上げた。


「贄か。ふん、気に食わん。誰かを犠牲にして自分達だけ助かろうとする、その性根が気に食わん」

「あーあ、やっぱりなー」


 ふいに耳元で声がして、王子はびくりと身を竦ませた。


「サラ……」


 いつの間にやら王子の肩に乗った蜘蛛少年が、まるで自分のベッドの上にいるかのようにくつろぎながら、ふぅっと大きなため息をついた。


「まったくねー、ご主人様も四の五の言わず犯すなり喰らうなりしちゃえばいいのに。やっぱ生贄にはどーしても甘くなっちゃうのかなー」


 王子はそれに言葉を返さず、ただ震える瞳でサラを見た。と、サラはきょとんと見返して、いとも軽々しくこんな事を言い出した。


「あれ、言ってませんでしたっけ? ご主人様のご生母って、竜の生贄に選ばれた娘だったんですよ。で、その竜に犯されて産まれたのが、ご主人様ってワケです」


 思いがけず知らされた魔話法使いの出生に、王子は軽く眩暈を覚えた。しかしそれよりも今は、目の前で起こっている事態に括目すべきだ。


 魔法使いは靴音高く怯える乙女に近寄ると、けれども彼女の顔も見ず、すっと両手を天に掲げた。途端に低く雷鳴が轟き、豪雨が城を殴りつけた。


「し、神竜様!」

「はははははは娘よ、確かに雨は降らせたぞ! 我輩は約束を守る男だ」


 激しく荒れる暴風雨に、王子は耳が裂かれるかと思った。それは恵みの雨などという優しいものでは決して無い。祭壇の前では贄の娘が、がたがた、哀れなほど身を震わせている。稲光が彼女の白い顔を照らす。魔法使いは乙女に近づくと、長い爪でついと彼女のあごを掬った。


「……っ!」

「さて、娘よ。そなたにもひと働きしてもらわねばな」


 王子は意を決すると、傍にあった燭台を掴んだ。もし魔法使いが彼女に何かしようものなら、これで殴りかかろうという寸法だ。しかし魔法使いはふっと彼女から指を離すと、腰を屈めて彼女と視線の高さを合わせた。


「娘よ。そなた、ケーキは作れるか?」

「……は?」


 その質問に娘は、そして王子は、サラは、きょとんと目を丸くした。いつもの芝居がかった調子で、魔法使いは質問を続けた。


「ケーキだ。が、野良仕事の共に持っていくようなぼそぼそとした焼き菓子ではないぞ。もっとふわふわして、クリームがたっぷり乗っていて、砂糖菓子で飾られた、真っ白なケーキだ」


 その問いに娘は震えながら、しかし確かに頷いた。


「は、はい、神竜様。あの、誕生祝いのケーキなら、作ったことがありますが……」

「誕生祝い! そう、まさにそれだ!」


 魔法使いはパチンと指を弾いて鳴らすと、乙女の鼻先を爪でつついた。


「それの作り方を我輩に教えてもらおうではないか。何せ我輩は、王子の誕生パーティまでに、それを習得せねばならん」


 ――いばらよ、いばら。


 王子は胸に問い掛けた。己の心臓に問いかけた。

いばらよ、いばら。いったいお前は僕の胸に、どれだけ深く根を張れば気が済むのか、と。


◆◆◆


 その夜、王子はいつものように魔法使いを寝かしつけた後、一人で俯き考え込んだ。風が囁くほどの声で、小さく蜘蛛を呼びつける。


「サラ。いるんだろう?」

「はいはい王子様、どうしました?」


 すぐさま天井から銀の糸が垂れて来て、蜘蛛少年が降りてきた。王子は魔法使いのすやすやと眠る顔を見つめたまま、そっとサラに質問した。


「オドラデクと母君の間に、一体何があったんだ? 母君は、いつ頃からいらっしゃらないんだ?」

「そんな、大した話じゃないですよー。生贄の娘が犯されて、子供が出来たものだから、半ば幽閉に近い形でこの城に住まわされていたんです。何百年前だったかなぁー。その頃はまだ、僕の両親以外にも梟だの鼠だの、沢山の召使いが居たんですけどね。ご主人様も、まだ人間だったし」


 思いもしなかった言葉に王子は目を丸くして、サラの顔をまっすぐ見つめた。


「ちっちゃな頃は、ちょっと変わった人間の子供程度だったんです。ちょっと角が生えてるだけで、あとは別に。だからご生母も、比較的ちゃんと息子のこと可愛がってたんですよ。もう、人との会話が成立しない程度には狂っていたというのにね。母の愛はすごいです」


 ころころと可愛らしい声で紡がれる残酷な想い出話に、王子はただ、真っ青な顔で聞き入ることしか出来なかった。


「けど、ある雷の夜、ご主人様がついに竜に変化したんです。単なる疳の虫だったんですけどね、ご生母はそれでもう限界だったらしくって、そのまま、城を飛び出しちゃったんです。彼女が最後に居た部屋が、この寝室という訳です」

「それで!? 母君は見つかったのか!?」

「翌朝、湖の中から」


 目の前が、すうっと暗くなっていく。

 喉の奥だけがひりひり乾く。


 呆然としたままの王子の前で、サラはひょいひょいと飛び回りあちこちの燭台の火を消しながら、その後の話を付け加えた。


「そこからが大変だったそうですよー、ご主人様、ママを探して毎晩城中のドアというドアを開けて回って。仕方なく召使いの一人が、ママからのプレゼントだというていで毛布を買って来てあげて、それでようやく眠るようになったらしいです。っと、これで蝋燭最後かな? じゃ、王子様も早めに就寝してくださいねー」


 サラが壁の蝋燭をふっと吹き消すと、寝室の灯りはサイドテーブルの燭台ひとつだけとなった。星よりもささやかな明かりの中、王子は言葉を失くしたまま、しばらく、その場を動けなかった。

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