第6話 はしゃぐ家具
その日、午後のお茶も済ませてしまうと、王子は本格的に放って置かれた。
『好きにするがいい。好きにできるものならな』
確かに、そう言われてはいる。城内であれば、王子は自由に動き回れる。
ひとつ部屋に閉じ込められたままよりは遥かにましだが、仮にも人質であるはずの王子をこの扱いとは、魔法使いの真意が掴めず、却って不気味で居心地悪い。
逃げ出せない事はわかっている。城内なら既にくまなく回って、どの窓もどの扉もびくともしない事を確認済みだ。
魔法使いを倒そうにも、武器となりそうな物も手に入れられなかった。
広間には立派な剣や甲冑が飾られていたが、こちらも窓や扉同様、王子が触るとカップの中の紅茶ほども揺することすら出来なかった。まるで扉や甲冑が、皆それぞれに意思を持ち、自分を拒んでいるようだ。
そんなことを思ったものの、すぐに王子は自らの考えを馬鹿馬鹿しいものとして斬り捨てた。今はそんな妄想よりも、現実的に、自分に出来ることを探すべきだ。
王子は意を決すると、個室として与えられた客間を後にした。
古い廊下を歩いていると、ただ歩を進めるそれだけで、足元から大きな綿埃がもわもわと舞った。軽く咳き込みながら王子は、思わずぽつりと呟いた。
「全く、酷い有様だな。なんなら僕の部屋だけでなく、この城全部掃除してやろうか」
その瞬間、何かに足を絡め取られ、王子はその場に転げてしまった。
強かに打った尻の痛みより、突然の出来事にとにかく王子は驚いてしまい、一層激しく舞う埃の中、ただぱちくりとその目を瞬かせた。
投げ出された足をふと見れば、艶やかな靴の飾り金具に、絨毯のほころびが不自然極まりなく絡まっていた。それはまるで石柱にくるくると伝う蔦のように巻き付いており、ただ廊下を歩いていただけで引っかかるような状態では到底無かった。
「……ひょっとして、お前が僕を呼び止めたのか?」
そっと絨毯を撫でさすりながら王子が小さく囁くと、複雑に絡んでいた絨毯のほつれがするすると靴からほどけて落ちた。王子はしばし唖然としたが、やがてくすりと肩を揺らすと、今度は優しく、絨毯を撫ぜた。
「そうか、お前も掃除して欲しいんだな? わかった、約束しよう。少しずつになると思うが、お前もきっと綺麗にしよう。その代わり、少し力になってくれるかい?」
途端に絨毯が海面のように波打って、それと同時に絨毯ばかりか窓やカーテン、壁に掛かった肖像画達や廊下の隅の白磁の壺まで一斉にガタガタ騒ぎ出し、王子は驚くより先に、激しい埃に咳込んだ。
「ゲホッ、ゲホ……わかった、わかったから! 絨毯だけじゃなくきっと皆綺麗にしよう、約束する! だから少し落ち着いてくれないか!」
王子の言葉に、まるで時が止まったかのようにぴたりと家具が鳴り止んだ。
風も無いのにそよぐカーテンや、ゆらゆら揺れるシャンデリアのガラスが触れ合うしゃらしゃらとした音が、辛うじてその余韻を伝えるだけだ。
王子は呆気に取られていたが、こほんとひとつ咳を払い、すっくと真っ直ぐ立ち上がった。
「お前達を掃除する代わりに、僕からも頼みごとがある。僕が――」
と、言いかけて王子は口籠った。
"僕がここから脱出できるよう手を貸して欲しい"。
本当なら、そう、頼んでしまいたい。
扉や窓さえ言うことを聞いてくれるならば、こんな呪わしい城など一刻も早く立ち去りたい。
けれどこの、一癖も二癖もある魔法仕掛けの城の中で、そんな願いが果たして聞き入れられるものだろうか。むしろあの魔法使いに告げ口されて、本格的に監禁されてしまうやもしれない。
だが、何もせずに過ごす訳にもいかない。どんな些細なことでもいい、ここから逃げるための手掛かりが欲しい。遠回しで、有益で、実用性のある交換条件をどうにか――。
コトリと小さな音がして、見れば大きな飾り壺が、僅かにその身を揺らしていた。
壺だけでは無い。壁掛けの鹿の頭はその耳をぴくぴくさせて王子を見下ろしているし、曲がり角に立つ甲冑までもが兜の覆いを僅かにずらし、じっとこちらを窺っている。
王子はいささかたじろぎつつも、将来、国を背負う者らしい堂々とした振る舞いで、咄嗟に彼らにこう告げた。
「僕に――今、必要なものを与えて欲しい」
途端にボッ!と音を立て、まるでドミノ倒しのごとく壁掛け燭台に続々と炎が灯り、王子を先導するかのように薄暗い廊下を照らして行った。
王子が慌ててその灯りの道を追いかけると、足元の絨毯が波を打ち、王子の後ろを急き立てた。廊下沿いの窓のカーテン達までもが、踊るように揺れている。
ふたつ廊下の角を曲がって、灯りが一際眩しく照らすひとつの扉が見えるや否や、古びたドアが待ちきれないと言わんばかりに、王子が手を掛けるその前に、大きな音を響かせて開いた。
暗い室内に、開扉されたドアが壁を叩きつける派手な音が反響する。それは埃臭い暗闇に吸い込まれ、やがて静かに消えて行った。
王子は恐る恐る足を進めると、黒い霧に包まれたかのようなぼんやりとした闇の中、懸命に室内に目を凝らした。
「何事だ、騒々しい」
しゃがれた声がすると同時に、王子へ最後の後押しとばかりに、天井のシャンデリアが、ぽ、ぽ、ぽ、と蝋燭を灯した。途端に目の前に温かい色の光が広がり、カビと埃と干した草と他もろもろの匂いが立ち込める狭い部屋と、その中にひょろりと立つ背の高い人物を露わにした。
ちくりと小さく心臓が疼き、王子の胸にいばらが刺さる。
「魔法使い……」
古びた本をその手に開き、ぼろぼろのローブに身を包んだ初老の男。
魔法使いはさも不機嫌そうに灰色の眉を歪めると、蛇のような黄色い眼で、たじろぐ王子を一瞥した。
"僕に――今、必要なものを与えて欲しい"
家具達には、そう、望んだはずだ。
これが答えなのか?
必要としているのか?
自分の心は。
胸のいばらは。
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