vsクエナイエル〜独奏曲第50番〜

 その錬金術師はキョロキョロと周囲を見渡した。目の前に見えるのは50と書かれたドアのみ。床は前後左右に1歩ずつ進める程度の狭さで、周囲は見えない壁で覆われている。


「先程も説明しましたが、改めて簡単なルールを説明します。あなたの目の前にあるドアの先に強敵がいます。その敵と1対1で戦い、勝利すれば元の世界に戻れます。ただし、敗北した場合、二度と元の世界に戻れませんのでご注意ください。それともう1つだけ。あなたは戦闘スタイルが異なる別人格を心の中に宿しているようなので、公平を期するため、人格の交代ができなくなる特殊な術式を施しました。元の世界に戻れば、自動的に解除される仕様になっているので、ご安心ください。それでは、激闘を楽しみにしています」


 自分を突然、異世界に飛ばした謎の女神の声が聞こえ、リオは状況を察した。

 元の世界に戻る方法は、この先にいる強敵を倒すことしかない。敵に自分の高位錬金術が通用するかどうかは分からないが、1人で戦わなければならないらしい。

 そう思ったリオは、ドアを開けた。


「ふわぁ、美味しそうなパンが流れてきます」

 ドアを抜けた先でリオはピンク色の目を輝かせた。目の前に広がるのはベルトコンベヤーに乗せられた焼き立てほやほやなアンパンが流れてくる光景。周囲に酵母菌の臭いが漂い、蒸し暑さも感じられる。後方には窓ガラス、前方には自動ドアのようなモノが見える。

 周囲を見渡しても、敵らしき影や気配も感じられず、後方にある窓ガラスには小麦畑の中でゾンビが何体もいた。その姿を目にしてから、彼女はすぐに瞳を閉じる。


 だが、瞳を開けても何も起こらない。やはり、あの女神の言う通り、人格交代が制限されているのだと、リオは思った。


 仕方ないと溜息を吐くリオが、緑色の床にピンク色の槌を叩く。すると、魔法陣の上にピンク色のショルダーキーボードが召喚された。

 それを肩にかけた瞬間、前方の自動ドアが開いた。


 現れた敵は身長180センチの白い作業着を着た大男。肌は黒く、マッチョな体型で肩幅ほどある巨大な白いどんぶりが頭部を覆っている。


「ふわぁ。大きな人です」とリオが驚きの声を出すと、その敵はフラフラしながら、相対する尖った耳の少女をジッと見た。


 

 数秒間流れた沈黙の時を破るように、リオがキーボードを鳴らす。

 すると、突然、目の前の敵が鳴り響く音楽に合わせて踊り始めた。ドンブリ頭には笑顔が浮かんでいる。

 弱体化と水弱点付与。2つの効果の曲を同時に演奏すること90秒間。ドンブリ頭はリオの背を向けた。そうして露わになった陶器の後ろ蓋が突然開き、巨大な影が飛び出す。


 それはゾウのような見た目で四足歩行の巨大生物。体には褐色の毛が生え、上下の顎には鋭い牙が生えている。


 約4千万年前から約1万1千年前からヨーロッパ大陸などで生息していた絶滅種。

 その名はマストドン。


 こんな知識を持ち合わせていないリオにとって、その生物は突然召喚された全長3メートルの未知の巨大モンスターにしか見えない。

 それを見上げている間に、リオは音を鳴らし続け、敵はヘルメス族の少女に背を向けて全速力で逃げていく。


 丁度その時、マストドンは巨大な前足でベルトコンベヤーを踏み潰した。轟音がリオの音を掻き消し、巨大生物が全速力で少女を目指して突進してくる。


 それからすぐに、工場内で轟音が響き、壁に大きな穴が開いた。窓ガラスはひび割れている。だが、そこにはリオの姿がない。


 その代わりに止まったベルトコンベヤーの上には、彼女の姿がある。


「ふわぁ。リオの術式で低威力にしたつもりだったけれど、まだスゴイ威力です。瞬間移動しなかったら、大変なことになっていました」


 リオは、驚きと安堵の声を出すのと同時に、ホッとした表情になった。

 それから、霊異の音楽家の異名を持つ高位錬金術師は、右手をキーボードから離し、人差し指を立て、宙に魔法陣を素早く記す。

 その直後、リオの周囲に無数の小さな水の玉が浮かび上がった。それは次々に工場の中を埋め尽くすように出現していく。


 続けて、水色の槌を緑色の床に叩いた瞬間、無数の直径10センチの水玉がリオの周囲に浮かんでいった。


 攻撃に転じる。そんな決意を固めたリオが真剣な表情で、またも突進してくる巨大モンスターの動きを見る。

 その怪物の素早さは先程と比べて遅くなっていた。おそらく、術式が効いているのだろうと察したリオは、左手で静かなる水の調べを奏でた。


 直進してくるモンスターの牙に周囲を漂う水玉が触れる。

 その瞬間、未知の怪物の動きが鈍くなった。大きな体は小刻みに震え、動きも遅くなる。再び、周囲に浮かぶ水玉が巨体に触れると、すぐに体勢を崩し、仰向けに倒れていく。


 

 霊異の音楽家が、すっかり動かなくなった巨大生物から視線を逃げようとするドンブリ頭の大男に映す。やはり、自らの術式の効果で動きが鈍くなっているらしい、その後ろ姿はフラフラとしていた。その動きを見たリオは演奏を止めて、両手を叩く。


「ふわぁ。スゴイです。空気中に含まれる酸素を全て水玉に変換したのに、酸欠にならずに動いています! でも、水弱点を付与されたあなたは、この環境下でリオに勝てません」


 リオの姿が停止したベルトコンベヤーから消える。

 そうして、一瞬でドンブリ男の眼前に姿を見せたリオは、右手の人差し指を男のドンブリ頭に向けた。


 その指先には水の玉が浮かび、弾かれたそれは、ドンブリ頭を砕く。

 

 ガシャンという大きな音が工場の中で響き、消えた煙の中から、割れた大きな陶器の破片と動かない大男が出てくる。その姿を視認したリオは、ホッとした表情を浮かべた。


「クエナイエル戦闘不能。勝者リオ」


 そして、どこかから謎の女神の声が聞こえ、リオの体は白い光に包まれて消えた。





 気が付くと、そこはリオにとって見覚えのある洞窟の中だった。目の前にはエルメラも浮かんでいる。

 どうやら、元の世界に戻ったらしい。そう思ったリオは瞳を閉じた。


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