日記

 土曜日、それは学校のない休日だ。学校がないのだから惰眠を貪っても許されるし、いい天気なのだから外に出るのも悪くないだろう。


 だが俺はそのどちらもあえてすることなく、早めに起きて自室に籠もっていた。


 退院してこの家に戻ってきてから、俺には一つの日課と呼べるものがあった。それは自室漁りだ。人聞きの悪い言い方ではあるが、これ以外に表現のしようがないので仕方ない。


 とはいえ、実際にやっているのは自分の部屋だけなので誰かに迷惑をかけるということもない。だから何の問題もないはずだ。


 それにこれには、ちゃんとしたわけがある。俺は記憶喪失で、二ヶ月より前の記憶はない。退院してから一週間ほど経つが戻る兆候もない。


 しかし医者は、何かキッカケがあれば戻るかもしれないと言っていた。だから俺は失くした記憶を呼び起こせそうなものを見つけるために、まず自分の部屋を漁ることにしたのだ。


 だが残念なことに結果は芳しくない。本棚の裏やベッドの下などの普段あまり目にしない場所まで隈なく探したが、記憶を取り戻すキッカケになりそうなものは何もなかった。


 見つけたものと言えば、幼い頃遊んでいたと思しき埃を被ったボロボロのオモチャや、本棚の裏やベッドの下に巧妙に隠してあったエロ本とエロDVDぐらいのものだ。


 おかげで、以前の自分の性癖を知ってしまった。……どうしよう、思い出したら無性に部屋の窓から身投げしたくなってきたぞ?


 まあそんな感じで部屋中を漁っても、期待したような成果は得られなかった。


「となると、後は……」


 視線が自然と部屋の一角――パソコンの方向へ向かう。あのパソコンは、どうやら親のお下がりらしく、ちょくちょく使っていたと愛佳から聞いた。


 パソコンの中身はまだ見ていない。もしかしたら記憶が戻るキッカケになるかもしれないし、確認ぐらいはしておこうか。


 パソコンの置いてある机の前まで移動し、椅子に座る。それからパソコンの電源を入れると、起動時独特の音と共に真っ暗だった画面が淡く光り始めた。


「やっぱりか……」


 立ち上げたパソコンを前に、思わず顔を顰めてしまう。なぜそんな表情になってしまったのか。その理由は至極単純なもので、画面に『パスワードを入力してください』の一文が並んでいるからだ。


 これは困ったな。パスワードがあるのは別におかしなことではない。むしろ、普通のことだ。


 けれど残念なことに、俺は自分のパソコンのパスワードを知らない。いや、より正確には覚えていない。


 何せ、今の俺は記憶喪失だ。ここ二ヶ月より前の過去のことは一切覚えていない。それはパソコンのパスワードも例外ではない。


 記憶がない以上、手がかりも皆無で手詰まりだ。どうしようもない。


「……意外に誕生日とかだったりして」


 まさかと思いつつも試しに誕生日を打ってみるが、案の定『パスワードが違います』という答えが返ってきた。流石に俺もそこまで間抜けではないか。


 どうしたものかと頭を悩ませていると、ふとパソコンの画面の端に貼り付けられたメモ紙が目に入った。


 メモ紙には、四ケタの数字と記号の羅列が記されていた。何の偶然か、要求されているパスワードも四桁だ。


 まさかと思いながらも、その羅列をパソコンに打ち込んでみる。すると、パソコンのロックはあっさりと解除された。


「…………」


 せっかくのパスワードなのに、見つかりやすい場所に残してたら意味がないだろ。以前の俺は間抜けなのかと頭を抱えたくなったのは、ここだけの話だ。


「ま、まあ、おかげでパスワードは分かったわけだし結果オーライだろ。うん!」


 自分一人しかいない自室で、謎の言い訳をする俺。ただただ虚しいだけだったのは、言うまでもないことだった。


 気を取り直して、パソコン内のフォルダを片っ端から漁っていく。……ちょくちょく肌色成分多めの画像や動画があったが、今はあえて何も言うまい。


「ん……?」


 そうしてパソコンをイジっている内に『心理学者への道』などという、いかにも胡散臭いタイトルのフォルダを発見した。


 学生のパソコンに存在するのは、少し違和感があるタイトルだ。クリックしてフォルダの中身を確認してみると、やはりタイトル通りの中身ではなかった。


「これは……日記?」


 そう、『心理学者への道』というタイトルはカモフラージュで、実際中身は俺の日常を綴った日記だったのだ。


 これは僥倖だ。今の俺が求めている記憶を戻すキッカケになるもの、という条件にもピッタリだ。


 早速中身を改めてみる。日記は高校生なってから始めたもののようで、内容はここ一年ほどのものしかなかった。


 そして、内容を確認して分かったことは二つ。まず一つ目は、どうやら以前の俺は割と適当な性格だったらしいということ。


 日記とは言ったものの、毎日書かれていたわけではなく、何か特別なことがあった日だけ書いていたみたいだ。ちょくちょく日付が飛んでいる箇所がある。


 内容自体も大半は大したものはなく、我がことながら呆れてしまうが、まあそれはいい。それよりも問題なのは、二年生になってからの内容だ。


『○月✕日。今日は驚くべきことが起こった。何とこの俺が女子に告白されたのだ。生まれて初めてのことだったから、ビックリだ。流石にいきなりのことだったから、返事はまだしてない。早く答えを決めなければ』


「…………!」


 まさかの内容に、思わずマウスを動かしていた手を止め、食い入るようにパソコンの画面に映し出された文字を追う。


 驚きのあまり記憶喪失云々に関することは頭から吹き飛び、意識は目の前の日記の続きに注がれていた。


 続きを読もうとマウスを操作したが、どうやら日記はそこで終わりらしい。俺がどんな返事をしたのかは、謎のままだ。


「く……ッ!」


 歯がゆい思いが胸中を満たす。いいところで終わるとか、まるでお預けを食らった気分だ。もしかして狙ってやったわけじゃないよな、俺?


 俺は休日の自室で一人、答えが返ってこないと分かりつつもそんな疑問を抱かずにはいられない。


 そもそも、日記には告白してきた相手のことも一切書かれてない。これじゃ誰が告白してきたのかすらも不明だ。


「……って、何してんだ俺?」


 ふと正気に戻り、いつの間にか目的を見失っていた自分に呆れてしまう。


 結局この日記憶は戻ることなく、逆に謎が一つ増える結果となるのだった。






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記憶喪失の俺の前に、彼女を名乗る美少女が複数現れた件について エミヤ @emiya

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